怒濤の都知事選が終わった。なんだかんだで鳥越俊太郎氏の応援には4回行った。どこに行ってもすごい熱気で、確かな手応えを感じた。
しかし、蓋を開けてみたら、あっという間に小池ゆりこ氏の当確。今、「選挙って、なんだ!?」という問いが、「人生って、なんだ!?」くらいの重さで私にまとわりついている。が、ここで腐っていてもしょうがない。まずはこれから小池都政を徹底的に注視していくしかない。
そんな都知事選の最中、あまりにも痛ましい事件が起きた。
相模原の施設で、19名が殺害された事件だ。
この事件について共同通信配信で記事を書いたところ、各地の新聞に掲載された途端にすごい反響があったので、少し、内容を紹介したい。
まず、私の従兄弟の女の子は知的障害を抱えていて、20代で亡くなった。従兄弟以上・姉妹未満みたいな感じで育った年下の彼女は、身体は健康だったものの、ある時、風邪の菌が脳に入ったとかで体調が急激に悪化。
救急車を呼ぶものの、「知的障害の人は受け入れられない」と病院に拒否された。自分の症状を説明できないからだという。翌日、受け入れ先の病院が見つかったものの、すでに手遅れの状態で、あっという間に亡くなった。
今回19名殺害の事件を受けて、メディアなどでは「かけがえのない命」「命は大切」という言葉が繰り返されている。頷きながらも、どうしても違和感を覚えてしまう。果たして、この社会は本当に「命」を大切にしてきたのだろうかと。
1999年、都知事になりたての石原慎太郎氏は、障害者施設を訪れた際、「ああいう人って人格があるのかね」と発言した。一方、麻生太郎副総理は今年6月、高齢者問題に触れ「いつまで生きるつもりだよ」と発言。2008年には「たらたら飲んで食べて、何もしない人の医療費をなぜ私が払うんだ」と述べている。
「かけがえのない」と言われながらも、その命は常にお金と天秤にかけられる。費用対効果などという言葉で値踏みされる。この国では、命に対するそんなダブルスタンダードがずっとまかり通ってきた。実際、これまでの障害者の事故死などを巡る裁判で、彼らの逸失利益(将来得られたはずの収入など)は「ゼロ」と算定されるケースがままあったではないか――。
ものすごくざっくりだが、そんなようなことを書いた。言いたかったのは、痛ましい事件が起きた時だけ、「命は大切」というのはもうやめよう、ということだ。普段から、本当に命を大切にする実践をしようということだ。
それは障害を持つ人に対してだけではもちろんない。隣の誰か、少し弱っている誰か、大変そうな誰かへの優しいまなざしを忘れずにいること。「利益を創出する者だけに価値がある」なんて暴力的な価値観に抗うこと。弱い立場の人の目線になってみること。そんな実践からしか、「命を大切にする社会」は生まれない。
さて、共同通信ではそんな原稿を書いたのだが、もうひとつ、言いたかったことがある。
容疑者は、障害を持つ人々を殊更に「不幸」と決めつけているわけだが、今、私は「そんなことはない」と声を大にして言いたいのだ。
例えば都知事選の投開票日に放映されたNHK Eテレの「バリバラ」をどれくらいの人が観ていただろう?
バリバラとは、障害者のための情報バラエティー番組。最近は障害者だけでなくすべてのマイノリティの問題を取り上げている。で、私はこの番組をたまに観ているのだが、都知事選の日は「マイノリティのお笑い日本一」を決める「SHOW-1グランプリ」が放映されていた。
車椅子だったり寝たきりだったりLGBTだったりと様々な障害やマイノリティ要素を持つ人々が「お笑い芸人」として登場し、コントをしたりネタを披露したりするのだ。
これがまぁ、衝撃だった。
高次脳機能障害の人が自分の障害をネタに笑いをとり、寝たきりの人が「雇ってください」と仕事の面接を受けに行くネタをやったり、発達障害の人たちが「発達障害あるある」的なコントをしたり。果ては「言葉による場外乱闘」になると、寝たきりの男性芸人が筋ジストロフィーで車椅子の男性芸人に向かって、「いいか、障害は寝てからだぞ」(障害は寝たきりになってからだぞ)と言い放ったり――。
「自分の障害をネタにした障害者」の底力の半端なさを「これでもか!」と見せつけられ、爆笑しつつも「人間の尊厳」なんて上っ面な言葉を遥かに超えたところにある何かに、感電するほどにシビれたのだった。
精神障害の分野だって、素晴らしい取り組みがある。当事者研究で有名な「べてるの家」は北海道・浦河で80年代から活動を続ける当事者たちの共同体だ。年に一度のべてる祭りでは「幻覚&妄想大賞」が開催され、その年でもっとも幻覚や妄想に苦労した人が表彰される。
ちなみに「べてるの家」には、今話題のポケモンGOが流行るずーっと前からピカチューが見えていた人がいるというのだから、ゲームなど必要ないではないか。
そんな「べてるの家」の理念は「安心してサボれる職場づくり」「べてるに来れば病気が出る」「昇る人生から降りる人生へ」「弱さの情報公開」などなど。全身から力が抜け、よろけてしまいそうなほど素晴らしい。彼らの取り組みは世界的な注目も集めており、毎年、世界中から北海道の田舎町に数千人の研究者らが見学に訪れるのだ。
脳性麻痺の分野でも、とてつもない取り組みがある。それは「青い芝の会」。07年に、75年に出版された『母よ、殺すな!』という本が復刊され、私は本の推薦文を書いたのだが、まあ彼らの運動といったら凄まじい。
ちなみになぜ「母よ、殺すな!」なのか。それは70年に起きたひとつの悲しい事件に端を発する。この年、2人の重度脳性麻痺の子どもを抱えた母親が、2歳の下の子を殺してしまったのだ。母親は脳性麻痺の子どもに対し、「この子はなおらない。こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ」と思ったという。
この事件に世間は同情を寄せ、母親への「減刑嘆願運動」が起きる。それに対して、脳性麻痺の人々の団体「青い芝の会」が、「殺されてもやむを得ないなら、殺された側の人権はどうなる!」と「殺される側」から声を上げたのだ。
『母よ、殺すな』著者で脳性麻痺の横塚晃一氏は、以下のように書いている。
なおるかなおらないか、働けるか否かによって決めようとする、この人間に対する価値観が問題なのである。この働かざる者人に非ずという価値観によって、障害者は本性あってはならない存在とされ、日夜抑圧され続けている。
あるがままの「命」を肯定しようとする叫び。これほどに力強い言葉が他にあるだろうか。生存を否定したり、条件つきにしようとするあらゆる力に対し、彼らは全身全霊で抗う。そんな「青い芝の会」の行動綱領には、以下のような言葉が並ぶ。
「われらは強烈な自己主張を行う」「われらは愛と正義を否定する」「われらは問題解決の路を選ばない」
一見過激だが、彼らの言葉は、なぜこんなに躍動感に満ちているのか。不自由な身体を抱える彼らの内面に、どれほど溢れんばかりの言葉の洪水が満ちているのか、鳥肌が立つ思いがするのだ。
もうひとつ、紹介したいのは、ALSの人たちのコミュニケーションだ。身体中の筋力が徐々に奪われ、死に至る病である。病気が進行すれば呼吸器をつけなければならないので話せなくなる。身体も動かせなくなると、手で文字盤などを指すこともできない。そうなるとどうやってコミュニケーションをするのかというと、介助者が当事者の腕を取り、「あ、か、さ、た、な・・・」と発語する。
例えば「こんにちは」と言いたい時は「か」のところでほんの少し動く筋肉を動かし、今度は「か、き、く、け、こ」の「こ」のところで動かす。こうやって1文字ずつ、言葉の欠片を拾っていくのだ。
数年前の院内集会でその光景を初めて見た時、私は「荘厳な儀式」を観ているような気持ちになった。そして、人間の「伝えたい」というコミュニケーションへの執念に、胸を打たれた。
車いすに乗り、目を閉じて眠っているように見える女性はそうして長い時間かけて言葉を紡いだ。端から見たら失礼ながら「瀕死」「重症」に見えてしまう彼女がそうして紡いだ言葉は、「まだ死んでない」だった。最上級のブラックジョークに、会場はどっと笑いに包まれた。
反貧困運動を始めて、10年。その間、数々の障害者運動の人たちと出会ってきた。そこから私は、多くのことを学んだ。障害者運動は、熱い。本気でギリギリの「生きさせろ」という叫びを、私はどれほど聞いただろう。
ある意味で、貧困だったり非正規だったりするということは「状況」だ。一過性のものかもしれない。そこからの脱出を、多くの人が望んでいる。しかし、障害者運動の「覚悟」は違う。一生これを引き受けて、どう生きていくか。私は彼らの言葉に何度目を開かされ、何度涙を流しただろう。
容疑者は、こんな豊かな世界があるということを、知らなかったのだと思う。生きることそれ自体が闘いという世界。そこから生まれてきたたくさんの言葉と文化と作法と、生き延びるためのたくさんの知恵とノウハウ。そして彼らの運動は、これまで確実に政治を変えてきたのだ。
多くの人は、障害者というと24時間テレビに登場するような「頑張ってる障害者」「清く正しく美しい障害者」を想像するのかもしれない。が、それはほんの一断面で、主張する障害者もいるし、言うこときかない障害者もいるし、お笑い芸人になる障害者もいるし、たぐいまれなる笑いのセンスや才能を持つ障害者もいる。
格差と貧困が深刻化し、生きる基盤がどんどん切り崩されている今、「生存」を求めて闘ってきた障害者運動の歴史から、私たちは学ぶべきことが山ほどあるのだ。
ちなみに、私は北朝鮮に5回行っているが、かの国で障害者を見たことはない。北朝鮮で生まれ育った人に聞いても、彼らも「見たことがない」ということだった。そんなかの国で生まれ育った人が日本に来て身体障害者を見た時、驚いて指をさしたのを見て、「本気で見たことないんだ」と戦慄したことを覚えている。
障害を持つ人も持たない人も当たり前に生きられる社会。立場の弱い人やハンディを抱えた人に視点を合わせた社会。
結果的にそんな社会は、誰もが生きやすい社会だと思うのだ。
(2016年8月3日 マガジン9 雨宮処凛がゆく!「第384回 障害者の世界は、「豊か」だ。の巻」より転載)