生物の細胞は複雑な小宇宙である。そこには多くの種類の生体物質が混在している。その細胞内のビッグデータから大規模な多階層ネットワークを自動的に再構築する方法を、東京大学大学院理学系研究科の柚木克之(ゆぎ かつゆき)助教と久保田浩行特任准教授(現・九州大学生体防御医学研究所教授)、黒田真也教授らが世界に先駆けて確立した。この方法を、インスリンの投与によって生じる経時的な変化に適用し、インスリンが作用する生体分子のネットワークの全貌を初めて明らかにした。
この方法を使えば、病気ごとに複雑な代謝制御のネットワークを突き止めることができ、大規模な代謝制御地図を作製できる。病気の診断に役立つバイオマーカーの探索や治療法の開発に使えそうだ。生物学や医学もビッグデータ時代に入ったことを宣言する成果として注目される。慶應義塾大学の曽我朋義教授、池田和貴特任助教、九州大学の中山敬一教授、松本雅記准教授、大阪大学の三木裕明教授、船戸洋佑助教らとの共同研究で、8月15日の米科学誌セルリポーツのオンライン版に発表した。
細胞は、遺伝子のDNA、RNA、タンパク質、代謝物といった物性の異なる分子群から構成され、物性がよく似た分子同士を集めたグループを「オミクス階層」と呼ぶ。細胞の多彩な生命機能は、複数のオミクス階層にまたがるネットワークで実現している。これまでの生物学研究は、一部の分子の変化を追跡する個別解析か、せいぜい1つのオミクス階層のみを網羅的に調べるシングルオミクス解析に頼っていた。異なるオミクス階層の間をつなぐ大規模な代謝制御地図は、解析手法が確立されておらず、ほとんど明らかになっていなかった。
研究グループはまず、タンパク質リン酸化と代謝物の2つのオミクス階層にまたがるネットワークを網羅的に再構築する方法「トランスオミクス解析」を確立した。濃度が変動した代謝物から出発して、変動の根本原因の刺激因子へとさかのぼることで、複数のオミクス階層にまたがるネットワークを7段階で再構築する方法で、内外の特許も出願した。
血糖値を下げるホルモンであるインスリンをラットの肝細胞に1時間投与して、実際の細胞内のビッグデータを取得し、インスリンが作用する分子のネットワークを初めて再構築した。その結果、変動した代謝物44個と、これらの生成や分解に関わる酵素198個、この酵素の活性を制御するリン酸化酵素13個などからなる大規模なネットワークが浮かび上がった。この方法で新発見も相次いだ。「従来は部分的に推測するしかなかったインスリン代謝の理解が深まり、肝臓だけで働く血糖値調節や、インスリンによる新規の調節経路が見つかった」という。
研究グループを率いる黒田真也東大教授は「細胞のビッグデータが集積して、実現した方法だ。この方法は、インスリンだけでなく、どんな刺激にも対応でき、組織や臓器、個体レベルにも適用できる。オミクス階層を網羅的につなぐ解析は初めての試みで、病気の解明などにも欠かせない方法になるだろう」と話している。
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・科学技術振興機構 プレスリリース