ドヌーヴたちの書簡は、男性を「擁護」しているつもりは、さらさらない

こういう書簡を出すことで結局は、男性たちにも警鐘を鳴らしていると思います。「当然、教養ある男であるならば、わかってるよね?」と。
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「#MeToo」運動に物申す、ベテラン俳優、カトリーヌ・ドヌーヴ率いるフランスの女性たちが殴り込み、とのニュースが入ってきました。

ハリウッドの大物プロデューサーへのセクハラ告発に端を発し、被害を受けた人たちが声をあげる「#MeToo」キャンペーンが2017年、世界中で大きなうねりを生み出したわけですが...こうした動きを「魔女狩り」として、ドヌーヴたちはこんな指摘をしています。

「レイプは犯罪だが、口説くのは違う」と主張し 「男性たちは制裁を受け、辞職を迫られている。彼らがやった悪事といえば、 膝を触ったり、キスを迫ったり、仕事がらみの食事の場で性的関係を求めたり、 好意を持っていない女性に性的なニュアンスのメッセージを送ったりといったことでしかない」と記した。(ハフポストから抜粋)

この書簡を読んだ第一印象は、「やっぱりフランス女やりおる!」です。

基本的に、会話に水を差す、空気を読まない、ひとを怒らせてなんぼ、がフランスのエスプリ(精神)です。

今回の書簡に、「ふむふむ、さすがフランスの女性はエロスをわかっておる。朗報!」とお思いの男性のみなさま。

夢を砕いて申し訳ないですが、この発言をいいように解釈してはなりません。断言しますが、フランスの女性ほど、「強い」女性はおりませんので、勘違いしないようにお願いします。

フランスは、賛成してても安易に「賛成」と言ったら「負け」という価値観を持つ人たちが多い国です。それ賛成!自分も同じ!とは言わないし、同じことに「価値」を求めないんです。

意見に賛成だと言ったら途端に会話がつまらなくなって、その先に進まなくなる。別の視点を加えることで、議論の流れをさらに豊かにさせるようなことがよくあります。

こういう書簡を出すことで結局は、男性たちにも警鐘を鳴らしていると思います。「当然、教養ある男であるならば、わかってるよね?」と。こっちの方が怖いです。

一方でフランスというのは、「恋愛大国」であります。

「男に誘われなくなった女なんてC'est fini(セフィニ、終わりよ)」

そりゃそうでしょうとも...しかしそこには、

「お誘い、アプローチを受けるか受けないかは、女が決めるもの!!」

というゆるぎなき不文律があるからなのであります。

実際、書簡にもこう書かれています。

性的な誘いを受けた時に「ノン」という自由は、ウザがられる自由無しでは上手く働かないと私たちは考える。 そして私たちは、このウザがられる自由にどう応えていくかを知らなければならない。性的な獲物の役割に閉じこもる以外のやり方でだ。 

ドヌーヴ「女性を口説く権利」 全訳より引用

そして男性たちにもそのルールに従え!と要求しつづけてきていますので、セクハラなんてことは、うかつにもできません。

やったら、どれだけの「制裁」が、公共で、家庭で、職場で待っているかわからないわけですから...

わたしがフランスで学生をしていたころ、教室に行くと、男子学生たちが廊下にいっぱい立っていたことがありました。

「どうしたの?」と聞いたら、「会話の中で(カップルが一緒に住んだとき)週末なら男も掃除するよ、って言ったら、女子たちが怒って、教室に入れてもらえないんだ...」とのこと。

週末掃除してくれるならいいじゃないか、と思ったら、掃除はふだん女がするものという発想を抱いたことすら許せない!とのことで。

えええええ!!と驚きました。

今回のドヌーヴさまの発言は、古い時代の置屋の女将みたいな風情すら漂わせておりますが、決してセクハラ男どもにとっての擁護にはなっていないという、女から女への高度なメッセージだと受け止めました。

いずれにしても「同意なきおさわり」を試みたり、「この女なら抵抗しなさそう」とかいう発想の男は、そもそも脳内に存在しないし、人間として扱わない、ということが前提だと思います。

なぜ今回急にこんなことを言いだしたのかは謎ですが、こうしていまも元気に発言しているのも、ジャンヌ・モローやフランスギャル亡き今、「フランス女性」として頼もしい限りです。

Wの悲喜劇スタッフブログより改変、転載。