在宅医療に力を入れている桜新町アーバンクリニックに、「家庭医」として勤務している杉谷真季先生。本格的に医師を志すようになった高校生の頃、家庭医療について知り、以後その道を進み続けています。杉谷先生は、自らが理想とする家庭医の姿に近づくため、どのようなキャリアを歩んでこられたのでしょうか。
◆在宅医療が必要なのはへき地だけではない
―杉谷先生の目指す医師像とはどのようなものですか?
東京や関東近郊などいわゆる都市部で、外来から在宅まで一貫して診察できる家庭医を目指しています。
私は横浜市出身で、大学も東京都内だったので、都会で診療をしていくイメージを抱いていました。今のクリニックで診療をしていると、都会に住んでいる方ならではの医療に対する理想・期待を感じることがあります。そして何かの拍子に理想を追い求められなくなると、とたんに現実とのギャップが生じることもあると思っています。
例えば都会には、「この医師にかかりたい」「この病院に通いたい」などのこだわりを持っている方が多くいる印象があります。交通の便が良いこともあって、遠距離でも時間と労力をかけて通いたい病院へ通っているケースが少なくありません。しかし、体調を崩すなどして遠くの病院に通えなくなると、近くにかかりつけ医がいない状態になり、医療資源豊富な都市部に住んでいるにもかかわらず、急に医療アクセスが悪くなり困ってしまうということが起こり得ます。このような問題も抱える都市部で在宅医療を必要とする方々の力になりたいと思っています。
―そのような医師像を思い描くようになったきっかけは何だったのでしょうか?
横浜市で一緒に住んでいた祖父が、開業医をしていました。そのため、私にとってはもともと、医師という仕事がとても身近でした。
また、幼い頃に祖母が脳梗塞で寝たきりになり、自宅で介護をしていた時期が長く、訪問入浴などを身近に見ていました。祖父も晩年、ちょうど介護保険制度が始まった頃に認知症を患い、その際も自宅で介護をしていたので、在宅で療養することを体感していたのです。
そのような経験があり、医師を目指そうとの思いに現実味が増してきた時、読売新聞で「家庭医という専門医」という記事に出会いました。その記事を読んだ時に「私がしたいのは、こういう仕事だ」と確信したのです。
―医学部に入る前から家庭医を目指していらっしゃったのですね。そうは言っても、約15年前はまだ家庭医を目指す医学生も教える教授も少なかったと思います。大学入学以降、家庭医を目指す上で壁に感じることはなかったのでしょうか?
大学の実習のときなど「家庭医になりたい」という話をしても、あまり的を射たアドバイスを得られないことはありました。しかし、当初から「自分がやりたいことをやる」というスタンスでいるので、悩んだり心が折れてしまったりしたことはなかったですね。
また、医学生の頃から「医学生・研修医のための家庭医療学夏期セミナー」に参加し、運営にも関わるなどしていました。そこで家庭医の先生や家庭医を目指す仲間とも数多く出会うことができていたので、迷うことはなかったです。
◆得た知識や経験を活かし、家庭医を極めたい
―現在のクリニックに勤務されるまでのキャリアを教えてください。
大学卒業後の初期研修では、研修医1年目からしっかりと指導を受けながら外来のトレーニングを積むことができる国立国際医療研究センター病院の総合診療科プログラムを研修先に選びました。そして後期研修では、外来だけでなく、入院管理から救急対応まで広く学べる東京医療センターの総合内科を選びました。
もちろん、いずれも家庭医になるための選択で、東京医療センターの後期研修では、5年間の地域総合医療プログラムを選択しました。最初の3年間で家庭医療後期研修を修了した後、1年間在宅医療の研修に出させてもらう予定にしていたのですが、国立成育医療研究センター病院の母性内科から人員募集があり、急遽予定を変更して9カ月間研修に行くことになりました。
その後、再度1年間の在宅医療の研修先を探している時に、桜新町アーバンクリニックが受け入れてくださいました。東京医療センターの先輩がそのクリニックで働いていらっしゃって、在宅医療を一生懸命されていることを知っていたのと、大学3年次に系列クリニックを見学させていただいていたことにもご縁を感じて、「なんとか1年間研修させてもらえませんか」と無理なお願いをしたところ、寛大に受け入れてくださったのです。
当初は、2015年1月から1年間という約束でしたが、研修を終える頃にはもう、東京医療センターでの後期研修も終わり、次の進路を決める時期にきていました。
研修のときから、パワーと、職種に関係なく皆で何かを生み出す力があるクリニックだと感じており、もう少しここで研鑽を積みたい、クリニックの家庭医診療所としての成長に関わっていきたいと思いと思い、今も桜新町アーバンクリニックに勤務しています。
―ご自身の今後はどのように考えていらっしゃいますか?
祖父が横浜市で開業していたこともあり、「ゆくゆくは横浜で家庭医療を」という思いは医師を目指した時から変わりません。とはいえ、祖父の医院はすでに閉院していますし、「どこでやるか」という問題があります。
あとは母性内科での貴重な研修や、自分が出産を経た経験から、家庭医として、産前・産後ケアなどにももう少し関われないか、と考えています。現在の、ご高齢の方が多い在宅医療の現場中心だと、なかなか難しいかもしれませんが、ゆっくりと取り組んでいきたいと考えています。都市部の家庭医療をより深め、進化した、新たな形を作っていきたいですね。
(インタビュー/北森 悦、ライター/原田 怜果)
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●医師プロフィール
杉谷 真季 家庭医療
横浜市出身。2009年順天堂大学医学部を卒業後、国立国際医療研究センター病院にて初期研修修了。東京医療センター総合内科で後期研修を受ける。2015年1月より、桜新町アーバンクリニックに勤務、現在に至る。