1985年のフラーレン発見以来、ナノチューブやグラフェンなどのいわゆるナノカーボン類は社会に多大なインパクトをもたらしてきた。
ナノカーボン類は現在、レーザー照射などでグラファイトを蒸発・凝結させるといった「トップダウン型」の手法で合成されることがほとんどだが、近年、ナノカーボン構造を有機合成の手法で構築する「ボトムアップ型合成」の研究が盛んになっており、この手法に関する総説がNature Reviews Materials 創刊号に掲載された。
著者である名古屋大学の伊丹健一郎教授、瀬川泰知特任准教授、伊藤英人講師のお三方に、有機合成で作ることの意義と現状、今後の展望について伺った。
ボトムアップ法の意義
―― ナノカーボン類は簡単な方法で作れます。それをわざわざ、長い工程を要する有機合成の手法で作ろうというのはなぜですか?
伊丹氏: 従来の製法でできたナノカーボン類には決定的な問題があります。フラーレン以外、「単一分子として扱えない」という点です。生成したカーボンナノチューブ(CNT)は巻き方、直径などが多種多様で、グラフェンの場合は面積やエッジに結合した官能基に違いがあり、これらは異なる性質を示します。それが混在しているのです。
―― 分離精製も難しい?
伊丹氏: はい。ですので現在我々が知っているCNTやグラフェンはあくまで混合物であり、その性質はさまざまな物質の平均値でしかありません。
―― 従来の製法では、ナノカーボンの真価はまだ見えていないということですね。
伊丹氏: となれば、唯一の論理的な解決法は、有機合成の手法で単一あるいは統一的な構造を、選択的に作り出すしかないわけです。
―― 具体的には?
伊丹氏: ナノカーボン類には、フラーレン、CNT、グラフェンが知られており、マッカイ結晶など3次元構造をもったものも理論的に予測されています(図1)。これらをボトムアップ的に合成するには、当然個別に方法論が必要になります。
図1: フラーレン、CNT、グラフェン、マッカイ結晶 (図提供:伊丹健一郎)
リングからチューブへ
―― では、個々に伺っていきます。まずCNTの有機合成はどうして難しいのでしょうか?
瀬川氏: 「曲がっているから」ということに尽きます。本来平面である芳香環を丸めるのは難しいことです。反応性についても、平面分子とは全く違うものだということをひしひしと感じています。
―― その難物を、どのように作ろうとしているのでしょうか?
瀬川氏: 大きなマイルストーンになったのは、2008年にCarolyn BertozziとRamesh Jastiらが合成に成功したシクロパラフェニレン(CPP)です(図2)。アームチェア型CNTを、一層分だけ輪切りにした形の分子です。この成功の後、我々のグループを含めて合成法がいくつも報告され、関連論文は100報以上になっています。
図2: ベンゼン環をリング上につなげたCPP(左)は、CNT(右)合成の足掛かりとなる。 (図提供:伊丹健一郎)
―― CPPが、CNTボトムアップ合成の足掛かりになるという共通認識があったわけですか?
伊丹氏: いえ、CPPという分子はCNTの登場のはるか以前、1930年代から考えられていました。しかし、ここからCNTを作ろうという着想は、我々がCPP合成に着手した2005年時点ではほとんどなかったと思います。
―― CPPから上下に伸ばし、CNTへと成長させるわけですね。
瀬川氏: 有機合成的な手法で上下に伸ばす方法には多くの研究者が取り組んでいますが、2段3段と積み重ねたものは難しく、成功例はまだありません(図3)。
伊丹氏: 我々も多くの手法を試していますが......普通のテーマであれば諦めているところです。
図3: 有機合成によるベルト状ナノリングへのアプローチ (図提供:伊丹健一郎)
―― 有機合成以外の方法で伸ばすことは?
瀬川氏: CPPをテンプレートとした化学気相成長法(CVD)を、我々が2013年に報告しました。CPPを基板上に塗布し、エタノール蒸気下で加熱することにより、テンプレートとなるCPP分子の直径やキラリティなどがかなり反映されたCNTができます。
Roman Faselらは2014年に、キャップ状の炭化水素をテンプレートとして、より高選択的にCNTを生成させています。ただし完全な制御にはまだ至っておらず、思いどおりのCNTを量産できるようになるには、まだいくつかブレイクスルーが必要かと思います。
―― とはいえ、非常に大きな飛躍ですね。
伊丹氏: ちょっと脱線しますと、ドイツのFritz Vögtleというまさに巨人というべき化学者がいますが、彼はCNT発見のはるか前である1983年にすでにベルト状の化合物(図4)を着想し、合成研究を行なっていました。驚くべき先見性で、彼が現代の有機合成手法を使えていれば、確実にこれを作っていたでしょう。最も尊敬する化学者の一人です。
図4: Vögtleが合成を試みていたカーボンナノリング (図提供:伊丹健一郎)
―― 先駆者はいたわけですね。
伊丹氏: 実は、20世紀最大の有機化学者といわれるRobert Woodwardも、1970年代にフラーレンやCNT、グラフェンの構造に思い至り、有機合成で作ることを考えていたそうです。
―― 驚きですね。Woodwardがあと何年か生きていれば、化学の歴史が変わっていたかもしれませんね。
グラフェンに挑む
―― 続いてナノグラフェンです。こちらは平面ですが......?
伊藤氏: まず、単純な芳香環の繰り返しなので反応性が低く、合成の手掛かりが少ないです。また、平面的なのでπスタッキングなどで凝集してしまいやすく、反応や精製を受け付けにくくなる点も問題です。
―― ナノグラフェンは、無限に広がるグラフェンと違い、任意の面積をもちます。性質に違いはありますか?
伊藤氏: 特に、テープ状の細長いグラフェンであるグラフェンナノリボン(GNR)は、長さや幅、末端の構造によって、磁性を示したり、電気伝導性を示したりします。つまり、これらを制御して合成することには、大きな意義があります。
―― この分野でブレイクスルーとなった研究は?
伊藤氏: ドイツのKlaus Müllenらによる一連の研究ですね(図5)。鈴木-宮浦カップリングやDiels-Alder反応で多数の芳香環を連結し、ここに塩化鉄を作用させて水素原子を取り払いながら炭素-炭素結合を作る、「グラファイト化」と呼ばれる手法で、多数のGNRを合成しています。
図5: Müllenらの「グラファイト化」戦略 (図提供:伊丹健一郎)
―― 非常にシンプルですが、強力な戦略ですね。
伊藤氏: ただ、合成工程が長くなることと、条件が厳しいためにフェニル基の転位などの副反応が起こることが難点です。そこで我々は最近、APEXと呼ぶ反応を開発しました。
―― どのようなものですか?
伊藤氏: annulative π-extensionの略です。事前の官能基化を必要とせず、一段階で芳香環の拡張が行える反応を指します。例えば、パラジウム触媒の作用により、多環芳香族炭化水素の「K領域」と呼ばれる部位に選択的に付加する試薬を開発しました(図6)。短工程でナノグラフェンを合成する手法として期待しています。
図6: APEX反応の一例 (図提供:伊丹健一郎)
日本の貢献
―― このジャンルに関して、日本人の貢献度はどうですか?
伊丹氏: 日本が世界をリードしていますし、層も厚い。トップを走り続けるための環境も整っています。その1つが、きっちり分子を作っていくという伝統があることです。また、日本生まれの反応であるクロスカップリング反応が非常に威力を発揮する分野ですので、蓄積があります。日本の強みがバッチリはまっている分野だと思いますね。
―― 今後もリードを保つには?
伊丹氏: これらの化合物を実用化する上で、エンドユーザーである企業が積極的に加わり一体化して研究が進められれば、今後も独走できるでしょうね。
―― レーザー照射やCVDなどで一気に作る手法は米国で発達し、丁寧に合成していく手法は日本とドイツで進んでいるというのは、民族性の現れかもしれないですね。
伊丹氏: 面白いですね。ナノカーボンのボトムアップ合成は、日本の強みとして育て得るジャンルになると思っています。
未来課題・3次元ナノカーボン
―― 次世代のナノカーボンの姿も見えていますか?
伊丹氏: 負の曲率をもった3次元構造のナノカーボン類(図7)は、非常に大きな可能性を秘めていると思います。理論では予測できない性能が必ずあるでしょうし、新しい材料、新しい世界がここから生まれると確信しています。歴史的にも、炭素の新しい形は新しいサイエンスを拓いてきましたから。
図7: 3次元構造をもったナノカーボン類 (図提供:伊丹健一郎)
―― 3次元ナノカーボンの難しさは?
伊丹氏: 負の曲率をもつためには、7員環や8員環を含む構造でなければなりません。これらは有機合成で作りにくい構造です。
瀬川氏: 7・8員環を含むナノカーボンの報告は、部分構造の合成を含めても非常に少ないのが現状です。実は我々が2013年に作った「ワープドナノグラフェン」と呼ぶ構造も狙ってできたものではないのです(図8)。7員環ができるとは想像もしていませんでした。
図8: ワープドナノグラフェン(右)の合成 (図提供:伊丹健一郎)
伊丹氏: ワープドナノグラフェンの発表以降、ナノカーボンの3次元構造を意識した論文が増えました。CPPの時と同じで、ひとたびモノができて「こういう問題がある」と示されると、途端に人が集まってきます。新しい領域開拓のきっかけになる論文だと思っています。
ナノカーボン合成の未来
―― 今後、このジャンルの発展に必要なのは何でしょうか。
伊丹氏: いろいろな分野から人が来るといいですね。たとえば常用される構造決定手法は、分子のサイズが大きくなると通用しなくなります。分
析方法にサイエンスの限界が決められてしまうのではなく、その限界を乗り越えていくのが、あるべき姿と思います。それには、心理的障壁を越えてさまざまなバックグラウンドをもった人がたくさん集まり、新しい分析・測定手段を切り拓いていくことが不可欠です。
瀬川氏: 最近は数学方面の方とも話をしますが、全く気付かなかった「ものの見方」を提供してくれます。また実用化には何が必要かを知るために、物理方面の人とも密に話し合う環境を整備しています。
―― 今回の総説は、注目を集めるきっかけになりそうです。
伊丹氏: 合成化学のもつ可能性や、分野を横断した学際的研究の必要性など、研究論文には通常書けないような我々の視点を述べられたと思います。
瀬川氏: この分野に関わって6年ほどですが、このジャンルは短期間に大きく発展しました。これを改めて整理し、再確認できたことは、非常によい経験でした。
伊藤氏: 材料科学分野向けに書くのは初めてでした。有機合成や物性についてはほとんど触れず、「形」にこだわった内容です。材料科学、有機化学両方の研究者のご意見、ご感想を聞いてみたいです。
―― ボトムアップ法によるナノカーボン類合成の可能性について、最後に一言お願いします。
伊丹氏: ナノカーボン類の世界で現在応用に供されているのは混合物です。自信をもって言えるのは、この世界は、ボトムアップ法によってきれいなものが作れるようになった途端、全てこの製法に切り替わるだろうということです。ボトムアップ法はポテンシャルのある手法であり、それを支えるものこそ、有機合成化学だと思っています。
[Nature Reviews Materials 掲載論文]
Review Article: 原子レベルで精密な均一構造のカーボンナノ構造体 (日本語要約)
Nature Reviews Materials1 : 15002 doi:10.1038/natrevmats.2015.2 | Published online 11 January 2016
Author Profile
伊丹 健一郎 名古屋大学大学院理学研究科 教授
名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長
JST-ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクト 研究総括
1998年京都大学大学院工学研究科博士後期課程修了
1998年京都大学大学院工学研究科 助手
2005年名古屋大学物質科学国際研究センター 准教授
2008年名古屋大学大学院理学研究科 教授(現在に至る)
2012年名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長(現在に至る)
2013年JST-ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクト 研究総括(現在に至る)
瀬川 泰知 名古屋大学大学院理学研究科 特任准教授
2009年東京大学大学院工学系研究科 博士課程修了 博士(工学)
2009年名古屋大学物質科学国際研究センター 助教
2013年名古屋大学理学研究科 特任准教授(現在に至る)
2013年JST-ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクト グループリーダー(現在に至る)
伊藤 英人 名古屋大学大学院理学研究科 講師
2009年北海道大学大学院理学院博士後期課程 修了
2012年名古屋大学大学院理学研究科 日本学術振興会特別研究員(PD)
2013年名古屋大学教養教育院 講師 (現在に至る)
2013年名古屋大学大学院理学研究科 協力教員 兼任(現在に至る)