色々な人種がまざった「マルチレイシャル」。彼らが日々感じていること

今、マルチレイシャルの人たちが増えています。
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「マルチレイシャル」とは、複数の人種の血を引く人たちのことだ。アメリカでは、マルチレイシャルの人たちが全人口の3倍のペースで増えている、とアメリカのシンクタンク「ピュー研究所」のレポートは伝えている。

様々な人種的背景を持つ彼らは、考え方や経験も実に多様だ。

ハフポストUS版では、これまでマルチレイシャルの人たちの声を取りあげてきた。その中から幾つかを取り上げ、マルチレイシャルの人たちが、日々どんなことを感じているのかを伝えたい。

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「『どこかに属する』のが難しいことがあります。社会は、ジェンダーや宗教、人種といったカテゴリーで、人間を分けようとします。そのカテゴリーの間からこぼれ落ちてしまうと、適応するのがとても難しい場合があります」 ー フロリダ州・ナディア(20歳)

息子は、幾つかの人種の血を引いています。その息子に突然近づいて来て、髪の毛や肌など、色々なところを触るのは止めて欲しいのです。彼は珍しい見せ物ではなく、人間です。検査しなければいけない、縮れ毛の生き物ではありません。

「他の人から指摘されるまで、自分が周りと違うなんて思ったことはありませんでした」とある女性は話してくれた。彼女は「他の人が考えるイメージに、自分を合わせる必要はない」と強調している。

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父と私が他人だと思われていることに、大きくなるまで気付きませんでした。母と私は、同じ褐色の肌をしています。一方、父と私はユダヤ人です。それぞれに共通する点があります。

でも、周りからどう見られているかは、自分ではどうにもできないことなんだと大きくなってわかりました。そして、父と私がどう見られているかを知った時、正直ショックを受けました。私たちが家族だと、わかってもらえていなかったのです。父と私は違う部類に属する人間、と見られていました。

80年代に、マルチレイシャルの子供として育った私は、自分が周りとは違うと感じていました。私の父は黒人で、母はメキシコ人です。プエルトリコで生まれ、その後ハワイに移住しました。軍人の子供でもあったため、両親の母国の以外の文化で育った「サードカルチャーキッド」というレッテルも貼られました。

最終的にカリフォルニアに移住しましたが、自分はどこにも所属していないと感じていました。黒人でもないし、メキシコ人でもない。プエルトリコ人でもハワイ人でもない。自分の居場所を見つけるのが、難しかったです。

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マルチレイシャルの女性が何度も聞かれるのが「どこの出身?」という質問だ。それは多くの場合、生まれ育った町の名前ではなく、人種的な背景を聞いている。

「アメリカでは、マルチレイシャルの人たちが増えています。だけど、初対面で私の人種について質問する人の数は、一向に減りません。それは私だけではないでしょう」とある女性は話している。

様々な人種で構成される家族を撮影した、写真家のCYJOは、この経験を通じて多くを学んだと語っている。

「とりわけ私の心を惹きつけたのは、私たちが普段目にしたり経験したりする『国境や人種の違い』を、家族が乗り越えていたことです。時には、自分の文化と違いが原因で、対立してしまうこともありますが、愛があれば違いを乗り越えられると、写真は証明しています。

「かわいいハーフの子供が生まれるね!」

YouTubeのビデオブロガーで、MTVニュース動画のホストも務めるフランチェスカ・ラムジーは、「人種の違う結婚をしていることを知った人から、よくそう言われる」と話した。

なかには、将来の子供について不快なコメントをする人もいる、と彼女は動画で明かしている。 

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ハフポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。

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