|ボディ・ポジティブに乗れない自分がいる
過剰に痩せようとする、太っている人を罵る、ガリガリに痩せたモデルを賞賛するー
そうした過剰な「痩身への憧れ」に、ノーを言う。ありのままの自分の体を受け入れ、愛してみよう。それが、「ボディポジティブ」と呼ばれるムーブメントである。
どんな体型にも、それぞれの美が宿っている。それはわたしもそう思う。
わたしは高校や大学で幾度かヌードデッサンや裸婦像を粘土で作ったりしてきたが、モデルさんによって本当に一人一人体の形というのは違う。美術モデルというのは、こういう体型でなければならない、というのはない。様々な体型の人がいる。骨のバランス、肉のつき方、それぞれの個性がそこにはあって、どんなモデルさんでも、裸になったモデルさんがふっとポーズを取るたびに、毎回感動があった。それはただただ、人の体は美しい、という感動だった。
そう、どんな人もその人にしかない体を持っていて、それぞれの美しさがある。
それはわかっている。知っている。
だけど、どうしても言わせて欲しいのだ。
わたしは太りたい。
わたしはずっと
女の子たちが「太っちゃった」「痩せたいよね、一緒にダイエットしない?」などと言ってダイエットについての話題で盛り上がっている様子が、羨ましくて羨ましくて仕方なかった。
わたしはずっと、太りたかった。
ボディポジティブのムーブメントで出てくる人たちは多くは、「痩せることをやめた人」や「自分のぽっちゃり体型を愛している人」で、今まで痩せなければという強迫観念に駆られていた人々は「このままでいいんだ」と救われたことだろう。ボディポジティブのムーブメントが行きすぎて、「痩せすぎは良くない」というメッセージになってしまっている時すらあるように感じる。
わたしは痩せすぎの自分の体がずっと嫌いだった。
そんなわたしは今のこのボディポジティブのムーブメントを見ても、あまり気持ちがのれないでいる。
|「痩せてるんだからいいじゃん」を受け入れられない
ありのままの体型を受け入れ愛することはとても素敵だと思う。
だけど例えば女の子たちが友達同士で「最近太っちゃって痩せたいんだよね」「わかる、わたし最近走ってるよ!」「今度一緒にジムに行こうよ」なんて話しているのは、健全だし悪いことではないように思う。
もちろん無理なダイエットは良くないが、健康的なダイエットはちゃんと存在するわけで、自分の理想をもってそこを目指すこと自体は決してネガティブなことではないと思う。
健康的なダイエットや体づくりはそれはそれで一つの「ボディポジティブ」にならないのだろうか。
わたしはみんなが「痩せたいよね~」という話で盛りあがっている中に、「わたしは太りたいんだ~」と言いたかった。
ただその発言は常に「太りたいだなんて贅沢だ」「痩せているんだからいいじゃないか」という反発をくらってしまう。
それが悔しくて、わたしはなぜ太りたいかを説明しようとすればするほど、わたしは自分の体のここが嫌だあそこが嫌だと、嫌だ嫌だと吐き続けた。自虐ネタとして笑いを取ろうともしたがみんなは笑わなかった。
あまりに自分の体を卑下するわたしを、みんなは「そんなことないよ」「いい体だよ」と慰めた。
わたしの友人たちはみんなとても優しい。わたしが自虐的になっていると思って慰めてくれるし励ましてくれる。
そう、わたしはボディポジティブでいわれている「そのままでいいんだよ」という言葉をずっといろんな人たちに言われてきたのだ。なんてありがたいんだろう。だけど、それを言われるたびわたしは
「うるせえ!!!!!太りたいって言わせろ!!!!!!!!」
と思っていた。
意固地なわたしは彼女たちの慰めをどうしてもいつも受け入れられなかった。
ただ、わたしはわたしの「太りたい」という気持ちをそのまま普通に受け入れられたかっただけなんだと思う。だから、みんなが「痩せたいね」と素直に口にできることが、その悩みをみんなで共有できることが、わたしにはただ羨ましかった。
わたしの体が痩せているのは遺伝で、母も、姉も、おばあちゃんも、叔母さんも、みんな痩せている。
ご飯は普通の量を食べる。どちらかといえばよく食べる方かもしれない。肉も魚も好きだし揚げ物だって好きだ。だけど体重は変わらない。
小学生のころ、誰かを「デブ」と罵る子がいると、先生は注意をするのに、わたしが「骸骨と言われた」というと、「痩せてるってことなんだからいいじゃない。」と言われ取り合ってもらえなかったのをよく覚えている。痩せすぎをからかわれることは、少なくなかった。
わたしはしょっちゅういろんな人に「体重何キロなの?」と聞かれる。絶対に教えたくないので、「女の子に体重聞いちゃダメなんですよ~ふふふ」とあしらうと、「痩せてるんだからいいじゃん」と言われる。
痩せていることで悩むことは許されないのだろうか、と思う。
最近は、体重は増えていないが、昔よりも多少は筋肉もついたし、本当に太ることがなかなか難しいというのがわかってきて、まあ今のままでもいいか、という気持ちになっている。ありのままを受け入れるというよりは、諦めにちかいところがある。
わたしはこれまで何度か健康診断で「痩せすぎ」の判定を食らっているが、今年度も例にももれずひっかかってしまい、保健の先生に捕まった。そこで、「ちゃんと3食食べているか」「偏食じゃないか」「タバコや酒の飲み過ぎはないか」「発酵食品は食べているか」「肉は食べるか」「ちゃんと寝てるか」などとものすごい勢いで質問攻めにされたが、わたしは3食食べているし偏食でもないし、タバコはやらないし酒も週に1、2回、発酵食品はチーズと味噌汁が大好きだし、肉は大好きだし、睡眠は寝すぎて困っている。
保健の先生は「何が原因かわからないわ!」と頭を抱えていた。
そう、わたしはそうやってずっと頭を抱えてきた。わたしだって原因がわかるなら知りたい。でも正直、遺伝というしか仕方ない。
「痩せすぎはよくない」と言われても、わたしはこれが元々で通常だからどうしようもない。人から「ちゃんと食べているのか」「また痩せたんじゃないのか」と言われるたびに「もりもり食べてますよ!」「変わってないですよ~!」と返事しながらも、どうしても不健康に見えてしまうのかと惨めな気持ちになるときもある。
一時、太りたくて飲んでたプロテインは、恐ろしくひどい便秘に見舞われて一缶飲み終わったころにやめた。
|自分の体を愛せるようになりたい
「ありのままの自分の体を受け入れ愛すこと」はもちろん素晴らしいことだ。そうしている人は実際みんなとても美しく見える。
わたしはビヨンセのモノマネをしていたころから渡辺直美さんをなんて可愛い人なんだろう!と思っていたし、数年前「ぽちゃカワ系歌姫」として自身のその体型を前向きに歌った、まさにボディポジティブの先駆者とも言えるメーガン・トレイナーさんも好きだ。
今、自分のありのままを受け入れ愛している人たちはみんな本当に眩しくて美しくて、それができないわたしは悲しくなってしまう。
痩せているのだけが美しいと思われる世の中はもちろん間違っている。なんならわたしこそ「痩せ信仰」をおかしいとずっと思っていた。
そしてその反動でボディポジティブというムーブメントが起こったのだから、痩せてなくたっていいじゃない、というメッセージが主流になるのもわかる。
だけどきっと、世の中には頑張ってダイエットして、その結果自分の体を愛せるようになった人もいる。
わたしは強迫的に太りたいとは思わない。今はそれよりもっと別のことにエネルギーを使いたい気持ちもある。ただ、自分の体が好きかと言われたら、イエスとは言えない。太れるものなら、太りたい。
「痩せてるんだからそのままでいいじゃん」と言われることが、わたしにとっては辛かった。
でも、ボディポジティブには憧れる。あんな風に、いつか、わたしも自分自身を愛せるだろうか?
#ladiesbeopen #ボディ・ポジティブ