今年、千葉大の学生が、飲み会で酔った女性に性的暴行を加えたとして集団強姦罪に問われました。被告の主張は、「同意の上だと思っていた」。
もし、あなたが飲み会に誘われ、酔っぱらって意識が朦朧としているところで性的行為に及ばれたら、果たしてそれは「同意」なのでしょうか?
イギリスやアメリカでは、数年前から性行為における同意(consent)が盛んに議論されるようになりました。千葉大のようなキャンパスレイプ(大学内での性暴力)が社会的問題として認識されるようになったからです。
では同意とは、一体、どういうものなのでしょうか?
同意について知っておきたい、3つのこと
同意とは、アクションに関わる人たちの間で行われるコミュニケーションから生まれるものであるため、全ての状況シナリオに適用できる単一的なガイドラインや定義が存在する訳ではありません。
しかし、同意については、大事なポイントがいくつかあります。
1)同意を得る責任は、アクションを起こす側にあります。
残念なことに、性暴力を防ぐ責任は被害者にあると考えている人は少なくないです。そのような考え方は、「抵抗すれば防げる」、「自ら進んで酔っぱらったり、薬物を使った人は、レイプされても文句を言えない立ち場にいる」などの有害なレイプ神話(性暴力にまつわる嘘)に象徴されます。
しかし、どんな場合であっても、何か性的アクションを起こす場合は、相手がそれに同意をしていることを確認する責任は、そのアクションを起こす側にあります。当然、相手が泥酔等により同意ができない状態や、同意が得られていないにも関わらずアクションを強要すれば、性暴力です。
では、何を持って、相手が同意をしていると考えられるのでしょうか?
2)同意は、その行為に対する積極的な参加の意思表示を意味します。つまり、NOという言葉は当然同意ではありませんし、沈黙も同意ではありません。
NOという意思表示があったら、それは絶対尊重する必要があります。さらに、意思表示は必ずしも明確なNOでない場合があります。例えば相手が教師や上司という目上の人のため、従わざるを得ない、相手の気分を害することができない、という場合ははっきり断ることは難しいです。
また、恐怖で体が固まってしまったり(フリーズ)、断ることで相手を怒らせてさらなる危険に晒されてしまうこともあり、はっきり断ったり抵抗したりすることは難しいです。つまり、相手が何も言わないからと言って、それを同意と捉えることはできません。
3)1つの行為に同意したからと言って、全ての行為に同意をした訳ではありません。
6月21日に放送されたあさイチの性暴力特集の中で、あるアンケートが発表されました。「性行為の同意があったと思われても仕方ないもの」としてあげられた行為は、なんと「露出の多い服装」が23%、「二人きりで車に乗る」が27%、「泥酔している」が35%という驚きの結果になりました。
本来は、1つの行為に同意したからと言って、それ以降の行為に同意したことにはなりません。二人でお酒を飲んでも、家やホテルに行っても、キスをしても、裸になっても、性行為に同意したことにはなりません。人間誰でも、自分が参加する行為1つ1つに対して同意するか拒否するか決める権利があり、アクションを起こす側はその都度、相手の意思を尊重する必要があります。
同意が広まった先にある社会とは
同意について考えることは、自分と他人の関係性を見つめ直すきっかけになります。同意を理解し、日常生活の中で大切にすることで、相手を尊重した人間関係が築けるようになり、知らないうちに大切な人を傷つけていた...ということも、少なくなります。
また、同意という概念は、私たち一人ひとりが持っている「性の自己決定権」にも繫がっています。性の自己決定権とは、「私の身体は私のものであり、他の誰のものでもない。私の身体については、私が決める権利がある」という概念です。これは、言い換えれば、自分がいつ、誰と、どういう形でセックスをするかということを決める権利は自分にあるということです。
同意について一人ひとりが考え、社会全体として理解を深めていくことは、性暴力防止の役割も果たします。日本の性教育が乏しいため、アダルトビデオやポピュラー・カルチャー(テレビ、映画、音楽等)から性について学んでいる人が多くいます。
アダルトビデオでは特に、レイプを助長するような作品が蔓延しています。同意について学ばなければ、そのような歪んだストーリーを現実として捉えてしまいます。
そのため、性暴力を受けているのに、性暴力として認識出来ないという状況にもいたってしまいます。「それが当たり前」と思っていたら、当然ですよね。
また、性被害予防対策として、真っ先にあげられるのが、被害者(特に女性)の自己防衛です。暗い夜道を歩かない、二人きりにならない、お酒を飲まない・・・でもこのような考え方は被害を防ぐ責任を被害者に押し付けているだけですし、加害をしていいと考える人がいる限り、効果があると思えません。
本来教えるべきは、性行為において相手の意思を尊重する大切さ、相手を思いやって同意を得る大切さ、ではないでしょうか。それは今の性教育において、欠如している点です。
ハーバード大学を始めとする有名大学が学生に同意ワークショップを提供
冒頭で述べたように、イギリスやアメリカを含む欧米諸国では、同意(consent)という概念が当たり前に理解され、オープンに議論される社会的土壌ができており、性犯罪の法律にも明記されています。
アメリカのカリフォルニア州では「affirmative consent」(積極的同意、要するに、嫌と言わなかったから同意というのではなく、自ら進んでYESと言ったから同意になるという考え方)が法律に盛り込まれた他、ドイツでも2016年に「No Means No(嫌は嫌)」の法律ができ、以前は言葉で不同意を示しただけではレイプと認められなかったものが、この法改正により認められるようになりました。
そして、同意についてより多くの人に理解を深めてもらうための企画も、大学を中心に広がっています。
例えば、ハーバード大学を始めとする様々な有名大学が学生に同意ワークショップを提供し、オックスフォード大学や、ロンドン大学の一つである東洋アフリカ研究学院(SOAS)はロンドンにある大学として初めて、新入生に対する同意ワークショップを義務化しています。その他に「I Heart Consent」(イギリス)、「Consent is Sexy」(アメリカ)等のプログラムが行われています。
同意が大切にされる社会に向けてできること
ちゃぶ台返し女子アクションでは、性暴力に関する法制度と文化を変えることを目指したビリーブ・キャンペーン(https://www.believe-watashi.com/)の一環として、同意について考えるワークショップを、延べ500人以上の社会人や大学生を対象に、幅広く展開してきました。
ワークショップの参加者からは、様々な声が寄せられました:
「性暴力というテーマに真剣に向き合ったことがなかったので、セックスと性暴力がどのように違うのか等の基本的だけど意識しなければならない問題を知り考える機会になった」
「大学生になってから考えるのは、少し遅いと思う。せめて中高生にこのワークショップを開いてあげてほしい」
「同じひとりの人間として扱わないところから「性暴力」がはじまるんだなと思った」
一人ひとりが、自分の性や身体に関する思いを尊重し、相手の意思を尊重すること。それを可能にする信頼関係を築き、コミュニケーションをとること。それは、セックスや性を主体的に楽しみ、傷つかない・傷つけない豊かな人間関係を育む基本だと思います。
7月22日(土)14:00〜16:30で、これまで多くの方々にご参加いただき支持いただいた同意について考えるワークショップを、再び開催します。少しでも興味のある方、ぜひご参加下さい。私たちと一緒に同意について考え、同意が大切にされる関係性が広がる未来を作っていきませんか?
詳細、お申し込み方法はこちらからご覧下さい。
これまでのワークショップの様子は、こちらの動画でご覧いただけます。
また、もしご自身が性被害にあった、誰か大切な人があった、と言う場合は、ビリーブ・キャンペーンで一緒に活動してきた「NPO法人しあわせなみだ」さんのこちらのページ(http://shiawasenamida.org/m01_02)をご覧ください。
最後に、こんな動画を紹介します。
ロンドンのテムズバレー警察が作成した動画、「Consent - It's as Simple as Tea」(同意〜お茶の子さいさい〜)は、同意という概念を、お茶を入れることに例えて、それがどれだけシンプルなものか説明しています。同意って何?という疑問の入門編としては、とても分かりやすい動画です。まだ見たことがない方は、ぜひ見てみてください。