「日本で育ったアフリカ少年」星野ルネが漫画を描き続ける、深〜い理由

日本に溶け込む最初のきっかけが「絵」だった。

カメルーン出身で、兵庫・姫路育ちのタレント、星野ルネさん(33)が描く「まんがアフリカ少年が日本で育った結果」がTwitterやFacebookで評判だ。日本の日常を鋭い観察眼で描き、投稿を重ねるうちにファンが増えている。描くきっかけ、作品への思いなどを聞いた。

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星野ルネ

星野)4歳の時、母が日本人と再婚したので日本に移り住みました。通算3、4年ほどカメルーンで暮らした時期を経て、中学以降はほぼずっと日本で暮らしています。アイデンティティーは7割が日本人で、3割がカメルーン人かな。

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カメルーンの地図(赤いピンの地域)
LorenzoT81 via Getty Images

星野)絵は日本に溶け込む最初のきっかけを作る「道具」でした。日本に来たとき、日本語が話せなかったので、紙とクレパスで絵を描いていたら、なに描いているの?と聞いてくれたのが最初の友達です。フランス語まじりで説明していた僕も、その子の話していることを真似て日本語が上達しました。

育った地域で、黒人の子供は僕だけ。人に注目されたり、話されたりすることを、それこそ何千回と経験してきました。だから子供の頃は目立つのが大嫌いでした。

星野)だけど大人になると、そういうまなざしも醒めたところで眺め返すようになって、そのうち、反応もいろいろ類型(パターン)があるな、と気づくようになりました。で、描いたのがこれ(下の漫画)です。

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星野ルネ

カメルーン人の母親が「キャラ」としてよく登場する。

星野)僕の母はすごく陽気で、家にいるときいつもカメルーンの音楽を流しながら、ワインを片手に楽しそうに踊っている人です。反対に僕はすごくシャイ。でも、そんな性格が変わるきっかけがありました。

20歳になったころ、友達に連れて行かれた姫路のクラブで、踊ろうと誘われたことがありました。恥ずかしくて一度は断ったんですけど、見よう見まねで母親がいつも踊っているイメージで踊ったら、僕の周りに人だかりできた。これが楽しかった。

それまで、人に「すごい」と言ってもらえるのって、絵ぐらいでしたから。クラブでの体験がきっかけで、めちゃくちゃシャイだった僕がテレビに出るのも平気になった。人に注目されることも大丈夫になりました。

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星野ルネ

「肌色」の概念の違いを示したエピソードの回は、Twitterで議論になった。

星野)最初は狙って書いている訳ではなかったんですけどね。笑えるネタより、考え方、価値観が揺さぶられるようなものを描くと、驚きや喜びといったエモーションが動くのか、大きな反応が返ってきます。

自分がそうだからですが、何かを表現したい人って、社会の中に自分の居場所がないと感じている部分があるんじゃないかと思っています。僕にしてみたら「普通」の日本人は、生きていく上で道筋のようなものが確立されているように見える。でも、僕は社会の中にフォーマットがないという気持ちをいつももっています。自分と同じだと思える「ロールモデル」がいない。でもそれって悪いことでもないなとも思います

自分へのまなざしを眺め返し、日本の文脈で咀嚼する。それが星野さんの持ち味だ。

星野)高校生だったころ、父に「おまえは目立つし、日本人より2倍頑張ってようやく対等になれる」と言われたことがありました。父はきっと、僕を立派に育てないと、と思って言ったのだといまは理解しています。

でも僕は、2倍頑張って「日本人」らしさを追求するより、自分が元々持っているもので自分にしかできないことをしようと思った。親に感謝しながらも、親を見返したいというか...。漫画をいま書いている意味は、そこだと思います。自分にとっては、単なる「日常」だけど、周りの人にはない視点だから、とても新鮮に写るようです。

YouTubeチャンネルも立ち上げた。

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YouTubeから

星野)カメルーンにはだいたい3年ごとに帰っていて1カ月くらい滞在しています。そこで見聞きしたものや日本で暮らす外国人の人たちの様子を収めた動画をアップしようとおもって。

自分の中のトラウマを克服する意味もあってか、結局この齢になるまで漫画を描き続けてきました。それがいま、SNSでたくさんの人たちの驚きや楽しさといった「エモーション」を動かして、つながる道具にもなっている。本当にうれしく思っています。