カンボジアの都市といえば首都のプノンペン、または有名な世界遺産、アンコール遺跡群のあるシェムリアップを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかし、プノンペンと24の州から成るカンボジアには、ほかの都市にもそれぞれの魅力があります。今回は、カンボジアに滞在して延べ7年になる駐在員の園田知子が、「住みたい町No.1」のカンポット市をご紹介します。
対岸の景色に、ホッと一息
カンポット州は、プノンペンから約150kmのカンボジア南西部に位置しています。プノンペンからは、車や長距離バスのほか、現在は電車で行くこともできます。タイランド湾から数キロ内陸にある州都のカンポット市は、フランス植民地時代、カンボジアの主要な港の一つだったようで、植民地時代の建造物、フレンチ・コロニアル様式の建物が現在でも多く残っています。2017年には、政府がカンポットを含む国内3都市を、世界遺産都市として認めるようユネスコ(国際連合教育科学文化機関)に求めました。
歴史的な雰囲気の残る落ち着いた町並みを歩き、市内西部を流れる川岸から対岸に見える山や夕日を眺めているだけで、日ごろの疲れも癒されること間違いなしです。
川岸からの眺め。夕方からは、夕日と(運が良ければ)蛍を見られるリバークルーズも楽しめます(2014年5月)
市内には、趣のある建物が建ち並んでいます(2016年4月)
たった3つの材料で絶品ソース?!
カンポットの名産品といえば、胡椒(こしょう)とドリアンです。
胡椒はフランス植民地時代からカンポット地域で栽培されており、その豊かな風味は世界的にも高く評価されていました。その後、内戦時代を経て2000年代から再び栽培され始め、今ではカンポット産の胡椒は、EU法が規定する地理的表示保護制度(Protected Geographical Indication: PGI)に登録されています。カンポットおよび周辺地域で定められた基準に沿って栽培された胡椒だけが「カンポットペッパー」とみなされます。畑の見学や胡椒を使った料理を味わうことも、カンポットでの楽しみの一つ。胡椒と塩を混ぜてライムを絞るだけで、おいしいソースになります。乾燥させた胡椒は保存も効くので、お土産としてもお勧めです。
収穫時期にはたくさんの実がつく胡椒の木(2018年5月)
収穫した胡椒を茎から取り外す作業は一つずつ、手作業で行われています(2018年5月)
青胡椒を収穫して乾燥させた黒胡椒。赤くなるまで完熟してから収穫・乾燥させた赤胡椒。完熟した実を水に浸して皮を取り除いた白胡椒。それぞれ風味も異なります(2018年3月)
シーフードの青胡椒炒めは、ぜひ味わうべき一品。私の場合、風味づけの青胡椒もそのまま食べるとご飯がすすみます(2009年2月)
毎年1度は食べたい、果物の王様
棘(とげ)でいっぱいの皮の中には柔らかい実が。果物というよりはクリーミーなデザートです(2018年6月)
また、カンポットには「果物の王様」と称されるドリアンの畑が多く、毎年5月ごろの雨季が明ける時期になると、市場や道路沿いの至る所で売られています。ドリアンと言えば、その強烈な匂いから苦手な人も多く、公共の建物やホテルなどでは持ち込み禁止の場合もありますが、新鮮なものは匂いも気にならず、独特の濃厚な味わいはほかには代えがたいものです。家に持ち帰って食べきれないときには実を冷凍するのもお勧め。栄養価だけでなくカロリーも高いので食べ過ぎは注意ですが、毎年、カンポット産のドリアンが出回る時期になると一度は食べたくなります。
カンポット市内中心部では、ドリアンのモニュメントがお出迎え(2018年5月26日)
大きく成長したドリアン。木の下を歩くときには、実が落ちてこないかなと少し心配になります(2018年5月25日)
開発で訪問者数も上昇、豊かな自然も楽しめる
カンポットではそのほか、塩や魚醤(ぎょしょう)も有名です。また、郊外にはフランス植民地時代に避暑地として人気のあったボーコー国立公園のほか、歴史的な名所や豊かな自然を満喫できる場所も多くあります。開発が進み、訪問者も増えるにつれて町並みも常に変化していきますが、昔ながらの良さは失わずにいてほしいと願っています。カンボジア旅行を考えていらっしゃる方、時間があればぜひカンポット訪問はいかがでしょうか。
標高1,080メートルに位置するボーコー国立公園からの眺め(2015年5月)
乾季(11月上旬〜5月中旬)には、塩田で作業する人々の姿を見ることもできます(2009年2月)
※ EUにおける高品質な農産品・食品の名称を保護するための3つの制度のうちの1つ。EU加盟国以外の第三国減産の製品も、EUで認定・登録されると、認証ロゴを商品のラベルに表示することができる。
【報告者】
カンボジア事務所 園田 知子
2013年4月よりAARカンボジア事務所駐在。大学卒業後、在外公館勤務を経て、英国の大学院で教育開発を学ぶ。その後、青年海外協力隊員としてカンボジアで2年間、途上国の学校運営に携わり、AARへ。山口県出身