ケーキを持ち上げる君の手を

この腕を落とすのが私の役目。 医者という職業は本当に幸せなのだろうか?
Open Image Modal
photo by JUNJI NAITO

 カンボジアに小児医療センターを開設し、入院患者を受け入れはじめて1ヶ月が過ぎようとしている。

この病院をつくった大切な目的のひとつは、小児がんを治療することだ。

日本では既に8割程度も救命することが出来る小児がんの種類でも、カンボジアで治療を受けることが出来ている子どもたちは、おそらく10%もいないだろう。また金銭的な理由や医療設備の面から見ても、たとえ治療にこぎつけたとしても、最後まで治療を完遂できる子どもたちはほとんどいない。つまりそのほとんどは亡くなっているものと思われる。

 現在、私たちが特に力を入れているのは固形腫瘍というタイプの悪性腫瘍だ。

このターゲットとする固形の悪性腫瘍は、腎臓や肝臓、神経や筋肉などから発生する悪性腫瘍もので、通常は血液から発生する白血病よりも弱めの化学療法を行うことが多い。だから、感染症に対する過度な設備投資も一般的には不要になる。

ただし固形腫瘍は、薬剤治療だけがメインの白血病と違い外科的手術も必要になる。

しばらくの間はカンボジア、ミャンマー、ラオスのこのような腫瘍の子どもたちをこの小児医療センターに受け入れて、力の及ぶ限り助けていきたいと思っている。

小児悪性腫瘍で一番頻度の高い白血病は、無菌室や骨髄移植、造血製剤など様々な設備面で現在のカンボジアの状況ではハードルが高く、次のステップにターゲットとするしかない。

 長い間、たくさんの子どもたちの難病と関わってきて、なんともやりきれないような気持ちになることもある。

そんな中、この9月に手術予定である一人の少女の話をしようと思う。

 その少女は8歳。幼い頃に右上腕の筋肉から腫瘍が発生した。そしてそれは悪性だった。

少女は、不十分ながら小児のがんを治療してきた(しかしほとんどは成人のがん治療しかしていない)カンボジア最大の国立病院であるカルメット病院で治療し、元気に小学校にも通っていた。

ところが昨年の12月、再び悪夢が襲った。そして入院。再治療を開始したが、、、。

 お父さんはクーラーの修理屋、お母さんはホテルで働いていた。家族は少女を含め子ども4人の計6人家族。母は闘病に付き添うために仕事を辞め、父親もこの2ヶ月仕事をしていないという。

一体生活はどうなっているのだろうか?

まだ幼い弟は、この間、おばあちゃんに預けられている。

そして6ヶ月、治療を続けてきたが、金銭も尽きてしまう。

その国立病院の唯一のがん専門医から電話がかかり、家族がジャパンハートの病院に行きたいといっているという。既に治療もあまり効果が見込めなくなっていたのかもしれない。

しかしまだ設備的に準備ができない状況の中、再発のこのタイプの肉腫は難治性で移植を含む高度な治療となり、気の毒ではあるが難しい...と、ジャパンハートの小児医療センター小児がん専門医の嘉数医師と相談していた。 

ところが、患者が返事もまだしていないうちに勝手に押しかけてきてしまった。

それには理由があった。

少女は激しい痛みに苦しんでいたのだ。

その痛みのためにずっと泣き叫んでいる。

もうそれが長い間、続いていたようだ。

既に、この8歳の小さな身体に大人の使う数倍の量のモルヒネが投与されている。

しかし痛みはコントロールできていない。

泣き叫ぶ少女に寄り添いながら、両親は助けてほしいと拝んでいる。

わが子をこの痛みから救ってほしいと、拝んでいる。

痛みがなくなるならば、この腕を落としてほしいとせがまれる。

私も嘉数医師もこの家族を帰すわけにはいかなかった。

もちろん完治が厳しいことはお互いに多分理解している。

でも、やらないわけにはいかないだろう。 

せめて、痛みを止めてあげられないか?

 

 命が助かる可能性が低いとき、何もしないという効率的なものが医療なら、私はとうに医者を辞めていただろう。

医療は、その人の人生を少しでもよくする為にあるのであって、決して数量で割り切れるものではない。

私はいつもそうやって、一つ一つの命、一人一人の人生と向かい合ってきた。

たとえ命が助けられなくとも、この子から痛みを取り除いてあげることができれば、それもまた、立派な医療のひとつのかたちなのだ。

 その日から、嘉数医師によって抗がん剤治療が再開される。

それが落ち着いた頃、たった8歳の、この子の大きく腫れ上がった右腕を切り落とす手術をする。

誰もしたくないそんな手術を、私はやらねばならない。

2週間後、私が再びカンボジアを訪れたとき、少女は部屋で両親と笑っていた。

抗がん剤が効き、痛みから解放されたのだ。 

家族で一緒にトランプをしていた。

その腫れ上がった腕の先、彼女の指にはトランプが何枚も握り締めてられていた。

 少女は先日外泊した際、お家でお誕生日会をしたそうだ。

本来彼女の誕生日は11月なのに「なんで?」と聞いたら、「腕が上がるうちに、両手でケーキを持ちたかった」と。

それは彼女自らの提案だったそうだ。

 もうすぐその日がやってくる。

この腕を落とすのが私の役目。

医者という職業は本当に幸せなのだろうか?

カンボジアの小児医療センターに興味のある人はジャパンハートのホームページをのぞいてみてほしい。