ビジネスにおいて勝ち負けにこだわることは、重要なのか?

ビジネスの世界は非情だ。勝てば得る、負ければ失う。いかに競合に勝つか、いかに同僚に勝つか。経営者も会社員も、社内で社外で、競うことを要求される。
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ビジネスにおいて「勝ち負けにこだわること」は重要だろうか?

ビジネスの世界は非情だ。勝てば得る、負ければ失う。

いかに競合に勝つか、いかに同僚に勝つか。経営者も会社員も、社内で社外で、競うことを要求される。

しかし、中には「勝ち負けにはこだわりません」という人もいる。

私生活では「まあ、自己責任だから」で済んでも、会社においては事情が少し違う。

「やる気が無い」

「熱意が足りない」

そう言われることも少なくない。

ビジネスをしていれば「出世」にしろ、「成績」にしろ、勝ち負けに非常にこだわらなければいけないと教えこまれる人は多いのではないだろうか。

一方、これはもしかしたらビジネスだけではないかもしれない。

人は子供の頃からテストで競い、スポーツで競い、あらゆるところで競争し、勝ち負けを判定される。

特に受験は純粋に勝ち負けで入学できる学校が決まるので、最も熾烈な競争だ。

だが、スポーツなどにおいては必ずしも純粋な「勝ち負け」は大事にされているわけではない。

例えば高校野球などにおいて、サイン盗みや敬遠などを行い「何が何でも勝とうとした」チームが批判されるといった事象が毎年のように起きている。

だが、それは一部の例外であり、現実的には卒業すれば、ほとんどが「勝ち負け」で判断される社会に放り出される。

現代社会において、競争は世の中を良くすると信じる人は多いのである。

フリードリヒ・ハイエクはその論考である「競争の意味」において、現代の競争をこう述べている。

競争とは大部分、評判と愛顧を求める競争であることが、我々に自分たちの日常的諸問題を解決することを可能にしてくれる最も重要な事実の一つである

(市場・知識・自由 ミネルヴァ書房)

ハイエクの述べる通り、競争が私達の生活の質を向上させる、それはひとつの事実である。

だが、勝ち負けにこだわり過ぎることもまた歪みを生む。

競争は疲れる上、勝者はほんの一握りだからだ。

「疲弊しました」

「競争はしたくないです」

そう言って会社を辞めていく人を何人見たことだろう。

社内外によらず、競争相手が増えれば増えるほど、ダンピングや過当競争で全体のパフォーマンスが落ちてしまうということも十分に考えられる。

では一体、競争に対してどのような態度で接すればよいのだろう。

もちろん競争してもよいし、引くことができるのであれば適当なところで引いても良い。

それは自由だ。

ただ、私が数多くの会社に訪問し、観察したのは意外にも、本当に強い会社は「勝ち負け」など重要とは思っていない点だ。

実際、そのような会社が何をやっているのかといえば、ほんの小さな企業であっても「競争のルール」を作っている。

わかりやすいところでは、Googleは検索のルールを作り、Appleはアプリのルールを作る。だから、ビジネスにおいて重要なのは本当は「勝ち負けのルールを決める側に回ること」なのだ。

社内の出世競争において、一番得をするのはトップ営業マンではなく、社長である。

スポーツの世界では、優れた選手が出てくると一人勝ちを防ぐためにルールが変更され、得をするのはそのスポーツを管理する団体である。

勝ち負けにこだわることも重要である。しかし、ルールが理不尽であったり、勝てる見込みが無いと感じたら一歩枠の外に踏み出し、「もっと良いルールで皆が競争できるようにルールを作り替える」のも、また戦略の一つである。

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