「何と戦えばいいのか分からない」 韓国の巨匠イ・チャンドン監督が『バーニング 劇場版』で描いた人間の怒り

村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を原作とした映画、『バーニング 劇場版』が公開された。
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『バーニング 劇場版』より
HuffPost Japan

国際的に高い評価を受ける韓国の巨匠、イ・チャンドン監督の新作『バーニング 劇場版』が、2月1日に全国で公開された。

原作となったのは、村上春樹の短編『納屋を焼く』。NHKと韓国の映画制作社PinehouseFilm. の共同で制作され、すでにNHKでは短縮版が吹き替えで放送された。劇場版は異なるラストを迎えている。

イ・チャンドン監督は、重度の障がいを持つ女性と元受刑者の男性の恋愛を描いた『オアシス』(2002年)など、社会からこぼれ落ちてしまう人たちを鋭い視点で描きつづけてきた。また、『シークレット・サンシャイン』(2007年)では、カンヌ映画祭で主演のチョン・ドヨンが女優賞を受賞、『ポエトリー アグネスの詩』(2010年)ではカンヌ映画祭にて脚本賞を受賞するなど、国内外での注目も高い。

そんなイ・チャンドン監督の8年ぶりの新作となる『バーニング 劇場版』は、「人間の怒り」を表した作品という。12月に来日した監督に話を聞いた。

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イ・チャンドン監督
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ストーリーは、アルバイトで生計を立てる小説家志望の主人公ジョンスが、幼馴染のヘミから正体不明の男・ベンを紹介され、不可思議な出来事に巻き込まれていく、という内容だ。

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©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved

原作の著者・村上春樹は、韓国でも高い人気を誇る。チャンドン監督は韓国での村上春樹の影響力について、「人気作家というよりも社会現象だった」と語る。

「村上春樹の人気は、韓国の若者の生き方が変わるのと相まって高まったと思います。韓国では80年代に民主化運動があって、そのときに経済的、社会的矛盾を改善しようという動きがありました。90年代に入ってから、若者は、洗練され、自由やクールな生き方を模索するようになりました。そんなときに象徴的なものとして村上春樹の文学があったのです」

しかし、今はすでに2010年代も終わろうとしている。

90年代、村上春樹の文学に新しい生き方を見出した若者たちは大人になり、現代の若者は、また違う生き方が定着しようとしているのではないだろうか。

「さきほども言った通り、90年代初頭は、韓国社会に希望が見え始めて、それで村上春樹のような生き方の影響力が出始めました。そこから20年以上経って、そういう洗練された生き方が根付いて、誰もが享受できるようになりました」

「世の中は便利になり、素敵なものに溢れ、一見、何の問題もなさそうに見えます。でも、今は経済的な格差もあります。今の若者は洗練されているように見えて、実は未来に対して不安を持っているということがあると思います」

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『納屋を焼く』は、1983年の1月に発表された小説だ。

もう30年以上も前の小説を、現代の韓国を舞台に映画化するには、現代的な解釈がないと不自然になってしまう。

『バーニング 劇場版』には、格差社会に生きる若者の姿を描くなど、イ・チャンドンならではの解釈が入っていた。主人公の「僕」は原作よりも若く、また小説家ではなく「小説家を目指す青年のジョンス」に変わっているのだ。

それによって、韓国だけではなく、現代の日本の観客にも、小説とはまた違った意味で響く作品になっていると感じる。

「一見すると洗練されているように見えるのに、未来は見えず、不安である。どこかに問題はあるのに、それが何の問題かわからず、何と戦っていいのか分からない。だから若者は無気力になってしまい、怒りを感じているけれど、それを内面に秘めてしまう。そんな一面があるのではないでしょうか」

「この作品は、人の怒りを表した映画でもあります。主人公ジョンスを演じたユ・アインさんは、感情を表には出さずに隠す、受動的な人間として登場しますが、最後には感情を爆発させます。それは、今までユ・アインさんがやったことのない役だったので、彼が演じたらどうなるだろうという興味がありました」

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「何と戦えばいいのか分からない」。その漠然とした「何か」を体現しているのが、何の仕事をしているのか分からないけれどお金持ちのベンという役ではないだろうか。

「ベンは彼自身がミステリーそのものだし、映画全体を引っ張っていくところがあります。彼の持つミステリアスさは、映画の中のミステリーに留まらず、私たちの人生や、世界で起こっている物事ともつながっているんです。彼は、もしかしたら凶悪な人物かもしれないし、ただ単に親切で人間味のある人かもしれない。ベンはこの世の中のミステリーを表しているんです」

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原作の『納屋を焼く』では、ベンは「彼」という名前で出てくる。

「彼」は謎めいたお金持ちで、そして「納屋を焼く(韓国ではビニールハウスを焼く)」という、奇妙な嗜好を持っている、ということはベンと共通している。

しかし、小説と映画で大きく違うのは、小説の「僕」はそんな「彼」の謎の行動や考えかたに対して、何かしらのシンパシーというと大げさだが、疑問を持ちつつも自分の中にも同様の感情があるのではないか、と好奇心を持って見ているのに対して、映画のジョンスは明らかに違和感と怒りを感じている、という点にある。

「今、世界を見渡しても、国籍や宗教人種のことなど、みんなが怒っている状態にあると思います。そういうとき、政治はその怒りを利用しようというところがあります。『バーニング』では、その怒りの正体はどこから来て、どうしたらいいのかを考えていきたいというところも描きました」

映画の最後には、ジョンスはある行動を果たす。

このジョンスの行動に対しては、どう解釈すべきなのか、見終わった後もずっと考える人は多いのではないだろうか。

ここからは、映画版のみのネタバレになってしまうのだが、この映画を見た人に、更に深く考えるヒントを監督からもらったので書いておきたい。

「最後に、ジョンスは怒りを爆発させます。そのときのジョンスの行動は、普通に考えると、証拠を消すためのようにも見えますが、あの行動を視覚的に見たうえで、私からのひとつの『質問』として受け取ってほしいとも思いました」

「例えば、もう一度生まれ変わりたいという願望のようにも見えるし、怒りに任せた怪物のようにも見える。彼の最後の映像で、私は質問を投げかけたつもりです。しかも、この映画は幾層にもなっていて、最後のシーンだって現実かどうかも分からない。ジョンスを見て、いろんな想像を広げてほしいと思います」

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イ・チャンドン監督の解釈を聞いて、筆者が思ったことも最後に書いておこう。

原作の『納屋を焼く』では、「彼」はお金持ちだが、それに対して「僕」は、年齢や職業、教養などの点において、引け目を感じていない。

だからこそ「僕」は、「彼」の「納屋を焼く」という、自分をまるで神のような視点に置いているかのような傲慢な行為にも強い怒りを感じることはない。

そして、突然いなくなる「彼女」に対しても、その喪失感は淡々としたもので、彼女よりも、焼け落ちる納屋を思う「僕」の姿が最後まで描かれている。

一方、『バーニング 劇場版』では、ベンに対して、ジョンスは経験、お金、地位など、まだ何も持っていない。

それは格差を描くポイントにもなっている。ジョンスは、ベンとは違うところにいるからこそ、ベンが「ビニールハウスを焼く」ことを高みから楽しんでいるような点に明らかに疑問を持つし、突然いなくなる「ヘミ」の不在に対しても、感傷に浸るなどという自己満足的な感情ではなく、はっきりと怒りを感じることもできる。

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『納屋を焼く』は、洗練された「彼」の側に近い「僕」の視線から、自己のアイデンティティに焦点を当てて描いた作品であるとわかる。それは、1980年代の日本にも、また民主化を経た1990年代の韓国でも必要なものだっただろう。

それに対して、『バーニング 劇場版』は、明らかにジョンスを「弱者」として映しだしており、そこから見た社会を描いている作品であると捉えられる。

同じモチーフを使いながら、新たな解釈をして一本の作品を撮ることで、ここまで考えさせられることが違ってくることに驚きつつも、今の自分は、明らかに後者を描いた作品を必要としている、と感じさせられた。

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イ・チャンドン監督
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