日本代表ではもはや味わえない「魂を揺さぶる試合」ミャンマーに羨ましささえ感じた

U-19アジア選手権の準々決勝で日本チームは敗れてしまったが、その後ヤンゴンに移動して準決勝を観戦してから帰国の途に就いた。
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Than Paing of Myanmar (C) celebrates after winning the AFC U-19 Championship quarter-final football match between Myanmar and the United Arab Emirates at Thuwanna stadium in Yangon on October 17, 2014. Myanmar won the match 1-0, securing a place in the U20 world cup. AFP PHOTO / Ye Aung THU (Photo credit should read Ye Aung Thu/AFP/Getty Images)
YE AUNG THU via Getty Images

U-19アジア選手権の準々決勝で日本チームは敗れてしまったが、その後ヤンゴンに移動して準決勝を観戦してから帰国の途に就いた。今は、夜のシンガポール・チャンギ空港で、昨夜の試合を振り返りながらこの原稿を書いているところである(10月21日時点)。ミャンマーのU-19代表がカタールに挑戦した歴史的な試合だった。ミャンマー代表は延長の死闘の末に敗れ去ってはしまったが、試合終了とともに健闘を称える拍手は鳴りやまず、僕も30秒くらいは拍手をしていたような気がする。

大方の予想を覆してベスト4入りと来年のU-20ワールドカップ出場を決めたミャンマー。ミャンマー(ビルマ)のサッカーは40年ほど前までは、アジア最強の一角を占めていた。東京で開かれたアジアユースでも当時のビルマはベスト4に進出したのを覚えている方もいるだろう。そう、韓国にあの金鎮国(キム・ジングク)がいた時の大会だ。だが、ミャンマーは最近すっかり弱体化。世界大会出場というのは史上初の快挙である。いや、サッカー界だけではなく、同国のスポーツ界全体にとってまさに画期的な出来事であり、人々は当然決勝進出、そしてアジア・チャンピオンを夢見た。

準決勝にも決勝進出を期待する地元の観衆が詰めかけ、観客数は2万9870人。トゥワナ国立競技場は、立錐の余地もないほどの観客が入り、試合開始前から熱狂的な応援が繰り広げられた。両チームがピッチに入場する......。タッチラインをまたぐ時に十字を切る風景はヨーロッパや南米のサッカー・シーンでよく目にするが、ミャンマーの選手たちは両手を合わせて合掌してからピッチに入る。ミャンマー人は、少なくとも多数派民族であるバマー民族はみな熱心な上座部仏教の信徒なのである。

しかし、試合が始まってみると実力的に勝るカタールが完全にゲームを支配。それでも、地元の大声援をバックにミャンマーの選手たちはボールに食らいつき、シュートコースに体を入れて防ぎ切り、前戦のツートップのアウントゥンとタンパインを走らせて、カウンター攻撃でカタールのゴールを脅かしていたが、前半の追加タイムにCKからカタールに先制ゴールを許してまう。

前半のゲーム展開から考えて、「これで勝負あった」と僕は思った。第三者なら、皆、そう思ったはずだ。だが、ミャンマー選手は決して諦めることはなかった。後半も、カタールの猛攻を防ぎながら反撃を仕掛け、次第にボールを回せるようになっていく。そして62分、中盤でうまくパスが繋がり、トップのタンパインが落としたところをアウントゥンがシュート。これが右上隅に決まって同点。さらに、その2分後にはFKから逆転ゴールが決まり、わずか2分間でミャンマーがリードしてしまったのだ。

もちろん、場内は盛り上がる。あちこちで国歌の合唱が起こり、手拍子が鳴りやまない。だが、75分にはカタールがFKから同点ゴールを決めると、後は本当の死闘になった。特に、蒸し暑い気候もあってアウェーのカタールチームには足を痙攣させる選手が続出。一方のミャンマーもボールを追ってすべての選手が走り続ける。前線のタンパインはサイズもあり、また走るスピードも速い選手で、日本代表にも欲しいタイプのCFだったが、後半の苦しい時間帯になっても相手のバックパスにも決して諦めることなくボールを追い続けた。

スタンドの祈るような期待の気持ちと、それを受け止めて足を止めずに闘い続ける選手たち......。僕も、次第にミャンマーの勝利を祈る気持ちになっていった。結局、延長前半の開始2分に、またもCKから決勝ゴールを決められ、国際経験の乏しさから来る試合運びの拙さを露呈した形になったが、それでも最後までボールを追い続けたミャンマーの選手たちの姿は見る者を感動の渦に引き込んだ。

確かに、U-19日本代表のテクニックのレベルはこの大会でも群を抜いていた。日本が技術の差によってポゼッションで圧倒した北朝鮮だったが、準決勝の第一試合では技術力でウズベキスタンを圧倒し、5対0と大勝。カタールも準々決勝の中国戦よりはるかに良い出来ではあったが、いずれも日本の技術力には敵わないはず。ともに、ワールドカップ出場はならなかったが、技術力で言えば、やはりアジアにおける日本と韓国の優位は揺るがない。

ミャンマーとカタールの試合も、タンパインのようなすばらしいFWもいたし、カタールの2列目は魅力的な選手が目白押しだったが、それでも技術的、戦術的にそれほど高いレベルにあるとは思えない。だが、それでもあの試合は、本当に感動的だった。決勝進出を祈る地元の大観衆の声援と、それに応えようと、自らの持つ力を100パーセント発揮した選手たち。僕は、今年になって160試合くらい観戦してきたが、「今年最も感動的だった試合は?」と聞かれたら、ワールドカップ決勝のドイツ対アルゼンチン戦を差し置いて、このミャンマーとカタールの試合を挙げることだろう。

技術や戦術のレベルと、ゲームの感動というのは、全く別の事なのである。日本代表がこんな感動を覚えるようなゲームをしたのは、この所全く記憶にない。例えば、ワールドカップ初出場を目指して戦った、1997年のフランス・ワールドカップ予選。あの時には、全国民が祈るような気持ちで一喜一憂し、そして、それに応えようと選手たちは全力を尽くしてもがき続けた。時には、観衆が暴徒化するなどということもあったし、ヒステリー状態の様にも思えたが、あの頃が全く懐かしい。

そう、ジョホールバルのあのイラン戦以来、日本代表の試合に人々が本当に感動した事がいったい何度あっただろうか。2002年のベルギー戦やロシア戦くらいのものだろう。そして、最近はアジア相手の予選では誰もが「勝って当然」という気持ちだし、逆にワールドカップに出たら出たで「負けて当然」と思ってしまう。「勝ってほしい」という祈るような気持ちで日本代表の試合を見ることなど、今の日本では全くなくなってしまった。ましてや、先日はまるで二軍のようなチーム編成でブラジルに挑んで、予想通り惨敗を喫したばかりでは、本当にミャンマー人が羨ましく感じてしまった。U-20ワールドカップの出場権はともかく、日本の若い選手にはミャンマーとあのスタジアムで戦って、そんな「魂を揺さぶるような試合」というものをぜひ体験させたかった。

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授

(2014年10月22日「後藤健生コラム」より転載)