便利になった一方で、「人間関係が希薄になった」と嘆く声があることも事実。人とつながることの敷居が下がったからこそ、心から信頼しあえる人間関係の構築が、今では非常に難しいことのように思えます。
人の信頼とは、どうやって生まれるものなのでしょうか? お互いを心から信頼しあえるチームを作るにはどうしたらいいのでしょうか──?
霊長類研究の第一人者、京都大学総長の山極壽一先生へのインタビュー、後編です。(前編はこちらから)人間は脳だけで「つながった」と錯覚するが、実際には信頼関係は担保できていない
山極:先ほど、五感の中の触覚や嗅覚、味覚という「共有できないはずの感覚」が信頼関係をつくると言いました。
たとえば、触覚は触れると同時に触れられてもいますから、非常に共有が難しい。だから、母子もカップルも、肌の触れ合いを長くすればするほど信頼が高まります。
それは、「触覚」という本来「共有できない感覚」を一緒に経験しているからなんですよ。
椋田:なるほど。
山極:味覚も同じです。一緒に食事をする人たちを見たら「あの人たちは親しい間柄だ」と思いますよね? でも、視覚を共有したって、誰もそうは思わないわけです。
山極壽一(やまぎわ・じゅいち)さん。1952(昭和27)年東京生まれ。霊長類学者・人類学者。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程単位取得退学、理学博士。1978年よりアフリカ各地でゴリラの野外研究に従事。コンゴ・カリソケ研究センター研究員、日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、同大学院理学研究科助教授を経て同研究科教授。2014(平成26)年10月から京都大学総長に就任。『家族進化論』『ゴリラ』(東京大学出版会)、『暴力はどこからきたか』(NHKブックス)、『「サル化」する人間社会』(集英社)「京大式おもろい勉強法」(朝日新書)など著書多数。
椋田:チームワークを強めるには、「共有できないはずの感覚」を一緒に経験することが大切なのでしょうか。
山極:そのとおり。チームワークを強める、つまり共感を向ける相手をつくるには、視覚や聴覚ではなく、嗅覚や味覚、触覚をつかって信頼をかたちづくる必要があります。
合宿をして一緒に食事をして、一緒にお風呂に入って、身体感覚を共有することはチームワークを非常に高めてくれますよね? つまり我々は、いまだに身体でつながることが一番だと思っているわけです。
椋田:人間にしかないチームワークを支えているのは、類人猿の時代からの身体感覚なんですね。
山極:はい。人間は言葉や文字をつくり、現代ではインターネットやスfマートフォンなど、身体は離れていても脳でつながる装置をたくさんつくってしまった。
だから、安易に「つながった」と錯覚するけれど、実際には信頼関係は担保できているわけではないという状況が生まれています。
椋田:お話を伺っていると、人間は想像力を駆使して共感力を高め、脳でつながる方法をつくりあげてきたけれど、チームワークの基盤には身体的なつながりが不可欠なのかなと思います。
山極:仲間と一緒に何かをするには身体化が必要なわけですよね。
ほら、よく部下が上司の「手足になる」と言うじゃないですか。お互いがあるプロセスを分担しながら、ひとつの生き物のように目的にアクセスするような身体感覚です。脳ではなく、身体でひとつになっている感覚が、チームワークには必要だと思います。
椋田:動物の群れがいっせいに同じ行動をするイメージに近いでしょうか。
山極:まさに。動物たちには目的はないけれど、群れでそういうことをしていますね。ただ、彼らは自分の利益がそこになければ、すぐに群れを離れたり、群れを解体させてしまいます。
ところが人間の場合は、たとえ自らが不利益を被っても、時には自らの生命が危険にさらされても、チームを優先しようとすることがあります。脳でつくった目的やプロセスに身体をつなげてしまうんです。
戦争なんかも言ってしまえばチームワークなんだろうけど......、あんなバカなことはないですね。
脳の容量とチームサイズの意外な関係
椋田:群れやチームには好ましいサイズはあるのでしょうか。
山極:あります。実は、群れやチームのサイズは脳の容量と関係があるんです。
椋田:脳の容量?
山極:はい。人類は進化とともに脳の容量が増えていき、それに伴って群れやチームのサイズも大きくなっていったと言われています。
たとえば、脳の容量が500ccの時代につくっていた群れのサイズは15人くらいだった。それが約150万年前には脳の容量が600ccに増えたので、30〜50人の群れを作るようになったんです。
椋田:へえ......!
山極:そして約60万年前に脳の容量は1500ccに達し、人間は150人の群れを形成できるようになりました。この頃から現代に至るまで脳の容量は変わっておらず、今の人間も実は「150人の群れ」のための脳しか持ち合わせていないんですよ。
椋田:そうなんですか!
山極:150人というのはマジックナンバーと言われていて、人間が記憶できる顔の数なんです。しかも、言葉で覚えているのではなく、過去に身体感覚を共有した人の数。
何か困ったときに無条件に相談したり頼みに行ったりできる「社会資本」と呼びますよね。その社会資本となる人の数が150人ぐらいだろうと言われているんです。
椋田:おもしろいです。では、150人以上の集団はどうやってコミュニケーションをするのでしょうか?
山極:150人より大きな規模の社会で暮らさなければいけなくなったから、7万年前にコミュニケーションのツールとして言葉ができたんでしょうね。
ただ、言葉によるつながり、脳によるつながりは、信頼関係をつくる上では成功しなかった。だから、今でも身体的なつながりに依らざるを得ないんです。
椋田:今、FacebookなどのSNSで、多くの人が150人以上とつながっています。なかには、「脳だけのつながり」もあると思います。
山極:あるでしょうね。でも、いざチームワークを組んで何か一緒にやろうというときには、ネット上の文字やシンボルは役に立ちません。一緒に行動した記憶が積み重ならないと、チームワークはできないんです。
便利な時代にいるからこそ、人とつきあうことがコストになってしまっている
椋田:先生は、大学で教鞭(きょうべん)をとられていたので、毎年入れ替わる18〜25歳くらいの年齢の若者にずっと接してこられたと思います。たとえば、20年前には携帯電話さえなかったけれど、今は誰もがスマホを使っています。あるいは、昔は下宿で飲んでいたけれど、今はLINEのグループでやりとりをしていたり。
スマートフォンなどの、人と容易につながれる端末の出現によって、若者の身体感覚の変化は感じていらっしゃいますか?
山極:すごく感じますよ。僕は総長になる前は理学部で教えていて、その時に感じた生徒の一番の悩みは「友だちができないこと」でした。なぜか、友だちは簡単にできると思っているし、いったん友だちになると相手を信用しすぎて、お互いに負担をかけあってしまう。
脳ではつながろうとしているけれど、身体ではうまくつながれていない。友だちに対して、何かこうしっくりこない感覚を持ち続けているのが現代の若者たちなんじゃないでしょうか。
椋田:それは、真の信頼関係を築けていないからなんでしょうか?
山極:はい。おそらく、彼らには身体でつながり合った記憶があまりないんだろうと思います。何でもいいから、一緒に共同作業をすればすぐに友だちになれるんだけど、なかなかそういうことができないでいるのが現代なわけです。つまり、人に頼まなくても自分ひとりでできてしまう。
椋田:たしかに。私もGoogle Mapが普及してから、人に道を聞くことがなくなりました。
山極:便利な時代にいるからこそ、人とつきあうことがコストになっちゃっているんです。
昔は、知識は本か人からしか得られなかった。だから、講義を受けて一緒に勉強をして、本を読んでその感想を語り合ったりしたわけじゃない? インターネットで検索して知識が出てくるなら、講義にも図書館にも行かなくていいですもんね。
椋田:人づきあいがコスト......。なんだか寂しい話ですね。
山極:今の資本主義社会は、個人の欲望をかなえさせることに特化しています。
本来なら、信頼関係をかたちづくっていた150人の人たちを社会資本として、いろんなふうに人間関係をつかいながら制度や社会に接することができたはずなのに、今は個人がみんな裸で孤立してしまっている。そこを何とかしないと幸せになれない気がします。
椋田:うーん。何らかの発想の転換が必要になりそうです。
山極:友だちをつくる時間をコストと考えてはいけないですよね。共感力をつかって信頼関係をつくるには、時間をかけないといけないんです。共感と信頼は時間との係数だから、いくらお金を使っても1分で友だちになるのは無理です。
椋田:友だちだけではなく、仕事を共にするチームのメンバーとの関係においても同じことが言えそうです。
「自己実現をする人が成功者」は間違い。他者と共有する目的を持ちながら、いろんな役割を演じる楽しさを経験したほうがいい
椋田:そういう今の若者が30代、40代になり社会を引っ張って行く立場になったら、社会はどうなってしまうんでしょう。
山極:僕は「自己実現をする人が成功者」だという考え方は大きな間違いだと思うんですよ。自分だけの目的を持つのではなく、他者と共有する目的を持ちながら、いろんな役割を演じる楽しさを経験したほうがいいと思います。
それに「リーダーシップが大事だ」と言うけれど、いつもリーダーじゃなくてもいいんじゃないかな。時にはしんがり(最後尾)でもいいし、サポーターでもいい。仲間と一緒に、疑問が解けたり、目の前で閉じられていた幕が開く楽しさを感じたりすることが大事だと思います。
椋田:自分ひとりで何でもやらなければいけないと思い過ぎなくてもいいんですね。
山極:そもそも、自分ひとりでできることは限られているのに、それを強制的にやらされている気がします。本当は孤独にならなくてもいいのに孤独にさせられているというかね。
人間がサルや類人猿から受け継いだのは、共感力を高めて協力関係を網の目のように張り巡らせることでしたよね。時間軸を広げることで、あるときは自分が犠牲になることがあっても、長い目で見れば自分も豊かになれる環境を模索できたから、類人猿には住めない環境に出て行けたんです。
そこをもう一度考えないといけないと思います。いずれは、脳だけでつながってそれを幸せと感じる人間も現れるかもしれないけど、今はまだ人間は身体でつながり合っている方が幸福だと思いますよ。
椋田:少しプリミティブ(原始的)なくらいに身体のつながりを持ち込むことが、より良いチームワークのヒントになるのかもしれないですね。
<おわり>
執筆・ 杉本恭子/撮影・清原明音/企画編集・椋田亜砂美、明石悠佳