20~30代で乳がんになった女性たちが、フラチームを結成し踊りを披露している。若くしてがんを体験すると、結婚や妊娠、子育てや仕事とどう向き合っていくか悩みも多い。前編「『居場所があるから頑張れる』若年性乳がんフラチーム、仲間と踊って自然と笑顔に」でメンバーの思いを紹介した。仲間と支え合い成長する場として、専門医も応援。今回は、若年性ならではの課題やサポートグループの目的について聞いた。
■ 若さゆえ直面する悩みに対応・従来の患者会とは違うグループ
フラチームは、「ピンクリング」という若年性乳がんのサポートグループから生まれた。
ピンクリングは2010年、聖路加国際病院(東京都)で若年性乳がんのグループ療法の臨床研究としてスタート。グループで継続して話す場を作り、どんな効果があるか探った。ブレストセンター長の山内英子さんは、「患者さんには、働いている人、若い人、高齢者がいて、様々なニーズがあり、従来の患者会だけでは対応しきれなくなりました。同じような悩みを抱えている人と一緒に解決できたら。若い患者さん向けのグループがあればいいなと思って」
山内さんによると、乳がん患者のうち、35歳以下はおよそ2パーセント。割合は高くないものの、若くして乳がんを体験すると、恋愛や結婚、妊娠や子育てといった人生の大きな出来事に影響する。病を告げて恋人に別れを切り出された人もいる。薬によって婦人科系にダメージを与える場合もあり、治療後は年齢が上がることから、治療前に受精卵を凍結して子供を授かる人もいれば、妊娠をあきらめざるを得ない人も。治療のリスクや、妊娠が乳がんにどのような影響があるか情報が少ない。幼い子を抱えて闘病する人もいる。
「ピンクリングの特徴は、患者さんだけでなく医療関係者が加わっているところ。医療者にとっても勉強になり、患者さん同士のピアサポートができてQOLの向上に効果がありました」と山内さん。聖路加には他に同じようなやり方で、患者の仕事をサポートする「就労リング」、治療とお金について学ぶ「おさいふリング」、治療によって外見が変わることへのケア「ビューティーリング」などのグループがある。
ピンクリングは現在、体験者と医療関係者が一緒に運営する形になり、病院の垣根を超えて活動している。正しい医療情報の発信や、研究への支援をするほか、パーティーやピクニックなどのイベントを開き、閉じこもりがちな患者の出会いの場を設ける。
■ ハワイで知ったフラを医療者が披露・「傷ついた蝶からバラへ」願い
こうしたピンクリングの活動の一つとして、フラチームが生まれたのは2011年。山内さんは5年間、外科の研修をするためにハワイに滞在していた。そこで賛美歌に合わせて踊る「ゴスペルフラ」を知った。帰国後、山内さんや看護師らがフラを練習し、乳がん体験者とスタッフが交流する集まりで披露し、「私たちもやりたい」と声が上がったのがきっかけという。
「アメリカのドクターが、患者さんに向け『傷ついた羽の蝶から、バラへ変身してほしい』という詩を書いています。フラチームは、まさにバラになって輝いている。仲間を励ましたいと一緒に踊ったり、お客さんに見せたり。自分たちの成長にもなり、一番の治療ではないでしょうか。乳がんの学会で体験者がファッションショーをやったように、フラだけでなくいろいろな形でやりたいことをやればいいと思います」(山内さん)
フラチームを応援してきた山内英子医師 なかのかおり撮影
■ 振り付けてもらった曲、踊りながら泣いた・今は笑顔で
ピンクリング代表の御舩美絵さん(38)も、フラチームで活躍している。広島出身で、20代は仕事に没頭していた。31歳のとき、結婚の直前に乳がんがわかる。「結婚や子育て...未来を思い描いていたのに、どうして私がと戸惑いました。病気になったことへの憤り、女性としての喪失感、ライフプランが崩れる不安を感じ、生きていられるのだろうか怖くて孤独でした」。結婚後に治療を始め、左胸の全摘手術、乳房の再建、5年間のホルモン療法を経験した。
広島で治療を受けていたころ、インターネットで検索してピンクリングを知った。乳がんに対して暗いイメージしかなかったのが、ホームページはきらきらと輝いて見えた。夫の転勤で東京に住むことになり、「参加したい」という夢がかない、2代目の代表に。
フラチームは練習日を設け、ゆったりとフラを楽しみながら、悩みや不安を話して支え合う。病院のイベントでステージに立つうち、自信を取り戻し、がんになっても自分らしく希望を持って生きていけることに気づいた。そしてそのメッセージをもっと社会に伝えたい思いが出てきたという。
初めは、知り合いのフラの先生たちが教えてくれたが、先生がいない状態に。YouTubeの動画を見て練習したものの、「フラは代々、受け継がれるもの」と知った。フラの経験がある乳がん体験者の協力のもと、「フラガール~虹を~」にやさしい振付をしてもらった。昨年2月に振付が完成して練習を重ね、3月に都内であったフライベントで初めてオリジナルの踊りを披露した。
ウクレレ奏者のジェイク・シマブクロさんがフラガールの映画に提供し、シンガーの照屋実穂さんが訳詞をつけた曲。
♪星の見えない夜には 夢見るのさ 目を閉じて...
「初めは、踊りながら泣いてしまいました。今は笑顔で踊れるようになりました。仲間と出会えたこと、今こうして生きていられることに感謝の気持ちがわいてきます」と御舩さん。
今、フラチームのメンバーは22人で、通っている病院は様々だ。それぞれに無理なく続けている。「治療でつらい日、しんどい日もある。心も体もいろんな波があります。仲間を支えたり、支えられたり」
イベントのステージに出演するのは5人~15人。昨年はメンバーがお揃いの衣装を作り、8回のステージに立った。がん関連ではないイベントでも温かい拍手をもらい、勇気づけられた。がんを体験した人や、お客さんから、「元気になったらステージに立ちたい」「笑顔になれた」と声をかけられて嬉しかったという。
御舩さんも、これからの人生を考えている。「治療前に強く希望して、子供を持てる可能性を残しました。ホルモン治療を5年間した後、すぐに授かれるかと思っていましたが...。治療が終わったら終わったで、新たな選択があり、道のりは長いと思っています」。それでも、治療を乗り越えてがんと共に幸せに生きる方法を知った。「今、つらい思いをしている人たちの光になるように。それぞれの現実と向き合って生きている仲間に寄り添えるピンクリングでありたいです」
なかのかおり ジャーナリスト Twitter @kaoritanuki