わたしの家には、ドライヤーがなかった。
夜はお風呂に入らずコタツで寝る。
朝起きてシャワーをし、濡れた髪は、自転車を漕ぐ風で乾かした。
下着は中学生のときから同じもの。
ブラジャーのサイズは合わないし、変色もしてる。
肩紐は伸びきっているから、肩のところで結目をつくって調節した。
雨くらいじゃ傘はささない。びしょ濡れのまま講義を受ける。
女子力のカケラもなかった。これが4年前の、大学2年生のわたし。
変わりたい。でもわたしは、変われない。
だけど本当は、心のどこかでそんな自分を変えたいと思っていた。
綺麗でキラキラと輝く女性に、実は強い憧れを抱いていた。
ただ、その気持ちに真正面から向き合うと、心がボロボロになってしまう。
「綺麗とは、才能である 」
わたしの中の、格言だ。
綺麗な人のお母さんは、きっとお上品だし、家もとても可愛い。
本人も、嫌いな食べ物はお肉で、好きな食べ物はオーガニックの野菜。
きっと彼女たちは、息を吸うように、綺麗にかかせないことができる。
わたしとは生まれた環境、生まれた星さえ違うんだから・・。
そうやって、ああだこうだと理由を探しては、思考停止することで、自分自身を諦めていた。
マネすることから始めよう。
大学2年生の春。
女子力の高い友達ができてしまったせいで、その押し殺してきた感情に、わたしは向き合わないといけなくなった。
お化粧品を選ぶ彼女のキラキラとした顔、新しいお洋服を買ったと嬉しそうに話す口調。
その瞬間、彼女が普段と明らかに違う「特別な女性」になっているのは、ズボラなわたしでも分かった。
「わたしだって、綺麗になりたい。変わりたい。」
忘れかけていた感情は、一瞬にして呼び起こされた。
だけど、「才能」がないわたしは、何をしたらいいのかも、何から始めたらいいのかもわからなかった。
そこで、ヒントはないかと綺麗な人たちのSNSを見てみた。
メイク道具や、お洋服の写真。並べた雑誌や、おいしそうなご飯たち。
彼女たちの生活の一瞬一瞬が切り取られた写真には、わたしの憧れそのものが詰まっていた。
それを見て、わたしだって根本的には変えられなくても、この"瞬間"をマネすることはできるかもしれないと思った。
そして、自分が一番興味を持てる「食」からマネをしてみることにした。
食器をたくさん使ったり、テーブルコーディネートをするとなると、自分のセンスがばれてしまう。
それに3食ともマネをするのは大変すぎる。
だから、食器はワンプレートで、背景は統一。
一番簡単にできる、「朝ごはん」だけ頑張ってマネをする、というマイルールを設定した。
フリをし続ければ、本物になる。
「綺麗な人」の朝ごはんをマネし続けたある日、無意識に自分の中で変化が起きていることに気づいた。
ファストフードや夜中のカップラーメンが大好きだったわたしは、オシャレで体に良さそうな、「いいもの」に自然と手が伸びるようになった。
食の部分以外にも気が向くようになり、自然と生活や趣味も変化した。
意識しなくても女子力が高い人を、羨ましいと思った。
綺麗になるにはセンスや才能が必要なんだと嘆いた。
SNS上で演出された自分と、現実のギャップに傷ついた。
いくら頑張ったって本物にはなれないんだと、諦めそうになった。
頑張っている自分がカッコ悪く思えたり、自分は無理をしているんじゃないかと、迷ったこともある。
だけど今、わたしは確実に変わりつつある。
無理して「なりたい自分」を演出することが減った。
マネして始めたことが、自分の習慣へと変化した。
「なりたい自分があるのなら、とにかくフリをし続けること。そしたらいつかきっと、本物になれる。」
この4年間、もうダメだと心がおれそうになる度に、自分へ言い聞かせてきた言葉だ。
価値観が変わるから、行動が変わるだけじゃない。
行動を変えるから、価値観や考え方まで変わることがあるんだと、今のわたしは思う。
明日の朝が、わたしを変えるかもしれない。
何より大きな変化は、今のわたしを、わたし自身が好きだと思えているということ。
始めは、綺麗な人がしていそうなことを、ただマネするだけだった。
マネを続けていると、「頑張って」していた行動が、自然と自分で行動できるようになった。
そして今のわたしは、その上で自分の「好き」や「こだわり」を持てるまでになった。
食事は、胃を満たすためだけではなく、自分が今何を食べたいのかよく考えるようになった。
自分がしたいネイルがあって、お気に入りの爪になれば、嬉しくて何度も何度も爪も見てしまう自分がいる。
自分の着たい系統の服があって、買い物が終わった日には、鏡の前で何度も一人ファッションショーをする。
今のわたしは、自分の意思で、意識して日常の小さな選択をしている。
何を着よう、何を食べよう。そう考えている時間がとても好き。
そして、そんなわたしが、そんなわたしの毎日が、わたしはとても好きだ。
わたしはずっと、綺麗になりたかった。
だから綺麗な人のマネをし続けてきた。
だけど本当は、そうじゃなかったのかもしれない。
自分の可能性を信じ、毎日の変化を楽しんだり、自分のために日々の選択をしているような、そんなキラキラと輝く女性に、わたしは憧れていたんだと思う。
それは、「才能」なんか関係なく、できることなのに。
わたし自身が、勝手に自分を諦めていただけだった。
ズボラだった私は、4年間朝ごはんを作り続けた。
4年目の朝。わたしの「日課」。
今日もまた、「なりたいわたし」の1日は、朝ごはんから始まる。