企業が自らのメディア(オウンドメディア)でニュースコンテンツを発信する〝ブランドジャーナリズム〟についての記事が、相次いで目についた。〝ブランドジャーナリズム〟はジャーナリズムにとって脅威なのか、と。
企業の自社メディア活用自体は、目新しい話ではない。
ポイントは、報道機関が縮小する中、ジャーナリズム業界からPR業界への人材流入が起き、ソーシャルメディアの広がりと相まって、ブランドジャーナリズムが格段にその厚みと存在感を増している、ということだ。
最近の読者は、それが読むべき記事なら、発信元がどこかはあまり気にしない。
コンテンツの客観性やジャーナリズムとブランドジャーナリズムの境界など、論点はいろいろありそうだ。
●企業の襲来
この動向に改めてスポットを当てたのは、フィナンシャル・タイムズの米国ニュースエディター、アンドリュー・エッジクリフ・ジョンソンさんの「企業ニュースの襲来」という記事だ。
3600語ほどあり、少し長い。
長いが、ブランドジャーナリズムの現状がとてもよくわかる。
ブランドジャーナリズムという言葉は、企業の自社メディア活用を、ジャーナリズムの分野に拡張した動きとして、以前から使われている。
ただ、この記事が面白いのは、ジャーナリズム業界とPR業界の地殻変動、という視点からデータを示している点だ。そしてこう述べている。
PR業界が勝利を収めている。
報道機関のジャーナリストの数は2006年に比べて、3分の2に減る一方、PR業界の雇用は増加。米国のジャーナリスト1人あたりのPR担当者の数は4.6人と10年前から倍増しているという。また、ジャーナリストの平均所得は、PR業界の65%にとどまるようだ。
PRエージェンシーは、これまでより遥かに多くの元ジャーナリストを雇うようになっている。
記事はPRウィーク編集長、スティーブ・バレットさんのこんなコメントを引用している。
●空白を埋める
PR業界に移ったジャーナリストたちの立ち位置が興味深い。
冒頭で紹介した「発信元がどこかはあまり気にしない」は、ゼネラル・エレクトリック(GE)のサイト「GEリポーツ」の編集を手がける元フォーブスのジャーナリスト、トーマス・ケルナーさんのコメントだ。
この指摘は、6年前にメディア業界で流行った、こんな引用句も合わせて考えさせる。
もしそのニュースが重要なら、ニュースの方が私を見つけるだろう。
GEリポーツは海外版も展開しているというが、その理由をこう説明している。
新聞が海外支局を閉鎖し、海外報道の予算を削減している時代に、我々はそれに逆行しようとしている。グローバルストーリーを語るグローバル企業になろうとしているのだ。
報道機関の空白をPR業界/ブランドが埋める。この動きは数年前から指摘されていたようだ。
プロパブリカは3年前にそのものずばりの、「PR業界が縮小する編集局の空白を埋める」という記事をまとめている。
フィナンシャル・タイムズの記事では、両者の共存も可能、とソーシャルマーケティング「スプレッドファースト」のアシュリー・ブラウンさんが言っている。
ブランドのコンテンツがソーシャルメディアで話題になるには、報道機関に取り上げられるのがもっとも確実な方法だ、とも。
●ブランドジャーナリズムへの反応
ブランドジャーナリズムへの反応は様々だ。
「パンドデイリー」のデビッド・ホルムズさんは「〝ブランドジャーナリスト〟の気色悪い台頭」というタイトルからもわかるように、かなり否定的だ。
それをジャーナリズムとは呼ばないで欲しいし、〝ブランドジャーナリスト〟をそんな風に扱わないでほしい。意味論の世界の話かもしれないが、そうすることで、ただでさえ曖昧な〝ジャーナリスト〟の定義が、PRやマーケティングといったジャーナリズムではない分野にまで広がってしまうからだ。
「ギガオム」のマシュー・イングラムさんは、ずっと前向きの反応だ。
それを耳にするのは辛いだろうが、現実的な答えはただ一つ:もっと頑張れ。つまり、伝統的なジャーナリストはさらに腕を磨く必要があるということだ。読者に何らかの付加価値が与えられるように――それが独自の洞察でも、面白さでも、何でも、自分なりの売りになる強みを生かしていくのだ。製品発表の際に企業自身がライブストリームやライブブログをやっている時代に、プレスリリースを書き写すだけでは、役に立たないだろう。
ジャーナリズムのビジネスが現に縮小している以上、その空白を財源のある企業が埋めていくというのは、いい悪いの問題ではない。
引用したイングラムさんのまとめは、当たり前といえば当たり前だが、至極まっとうな気がする。
(2014年9月20日「新聞紙学的」より転載)