新幹線が登場した当時のことを筆者はよく知らない。しかし、「夢の超特急」と呼ばれていたと聞くと、当時の国民にはそれが実現することへのワクワクするような期待感があったのだろうと想像がつく。そしてその期待感は、新幹線の実現からしばらく経ってからも続いていたと思う。
というのは、筆者の小学校入学祝に親戚から贈られた図鑑に、未来の乗り物の想像図が描かれており、年上の従弟の家にあった少し古くなった漫画雑誌には、未来の都市の想像図が描かれていたからだ。筆者が小学校に入学する直前の第一次オイルショックの頃までその期待感は続いていたのだろう。
思い返せば、それらの画に共通しているのは、未来の姿がインフラストラクチャーを含めて表現されていた点だ。林立する超高層建物の間を縫うようにリニアモーターカーが高速で移動し、その下を自動運転のクルマが整列して進んでいく。乗り物が走行するための構造物は、都市の中に立体的に整備されていた。
新幹線や首都高速、東京タワー、霞が関ビルなどの建設を目の当たりにし、その延長で将来のイメージを想像し描いたのだと思われる。未来の都市に対する期待感とともに。
しかし現在の都市は、そのような姿にはなっていない。まだ、超電導リニアも自動運転も実用化されていないからなのか?そうではない。なぜなら、中央新幹線が建設される予定の超電導リニアはともかく、少なくとも自動運転は、走行するための新たなインフラの整備を前提にしていないからだ。
現在主要各社が開発している自動運転車は、新たな構造物を必要とすることなく、今の都市にそのまま導入される。毎日のように自動運転の話題を目にするようになった昨今、多くの人は既にそのことを当然のように受け止めているかもしれない。しかし筆者は、新たに道路などを整備することなく導入できることこそが、自動運転の普及にとって非常に重要だと考えている。
昨年、独ボッシュ社とダイムラー社が発表した、完全自動運転が普及した社会を描いた想像図(*1)は、かつての想像図にまったく似ていない。実際にある都市の今の街並みが描かれているようにしか見えない。そして、自動運転車が実に街並みに溶け込んでいる。そこからは、ワクワクするような感情とは別の、自動運転が目指す方向性への安心感のような、好ましい期待を抱かざるを得ないのである。
(*1) ボッシュ・イン・ジャパンプレスリリース2017/04/04 http://www.bosch.co.jp/press/group-1704-01/
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(2018年3月27日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
社会研究部 准主任研究員