バスキアが10代を過ごしたNYはどんな街だったのか。映画『バスキア、10代最後のとき』の監督に聞く

「彼が今も生きていたら、アートの世界から姿を消しているかも。今の商業主義的なアートの世界は彼にとって苦痛でしょうから」
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生前のジャン=ミシェル・バスキア
©2017 Hells Kitten Productions, LLC. All rights reserved. LICENSED by The Match Factory 2018 ALL RIGHTS RESERVED Licensed to TAMT Co., Ltd. for Japan Photo by Bobby Grossman

 20世紀のアメリカを代表するアーティストの1人、ジャン=ミシェル・バスキア。グラフィティ・アートの先駆者であり、1970年代から80年代のニューヨークのストリートカルチャーの象徴でもある彼のドキュメンタリー映画『バスキア、10代最後のとき』が12月22日から公開される。

 本作は、バスキアと当時のニューヨークを知る人物たちの証言を基に、バスキアの知られざる人物像や、70年代のニューヨーク社会とカルチャームーブメントに迫る。単なる伝記ドキュメンタリーにとどまらず、当時のニューヨークの社会が何を産み出し、バスキアは何を象徴する存在なのかに迫る作品だ。

 本作はバスキアが10代を過ごした70年末から80年代はじめに焦点を当てている。アーティストとして成功したバスキアのエピソードは控えめに、あえて彼が無名の時代を取り上げているのが特徴だ。

 当時のニューヨークは治安が非常に悪く、ニューヨークの最悪の時期とも言われるが、そんな時代にバスキアやキース・ヘリングを始めとする新しいアーティストが登場し、ヒップホップなどの新しいムーブメントが産まれた。バスキアの実像に迫るとともにニューヨークの歴史についても示唆に富む内容となっている。

 本作の監督を務めたのはニューヨーク出身の俳優・映画監督のサラ・ドライバー。ジム・ジャームッシュのパートナーとしても知られている彼女は、ジャームッシュとともに当時のバスキアを知る人物でもある。彼女の言葉を交えつつ本作を紹介してみたい。

なぜ10代のバスキアなのか

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映画の1シーン
©2017 Hells Kitten Productions, LLC. All rights reserved. LICENSED by The Match Factory 2018 ALL RIGHTS RESERVED Licensed to TAMT Co., Ltd. for Japan

 本作のユニークな点は、バスキアがアーティストとして成功する前の話が数多く出てくる点だ。それは、これまで語られることの少なかったバスキアの側面に迫るという意味とともに、当時のアーティストたちの創作の原点を探る意味でも重要な意味を持つだろう。

 本作の監督、サラ・ドライバーはこう語る。

「エイズも不動産もアート・ブームもなかった。お金や野心でやる気を起こすような人はいなかった。名声、成功、野心の定義は、今とは全く違っていました。無一文になっても詩を発表することは、成功の頂点でした」

 映画ではバスキアと時代をともにしたアーティストたちの証言が数多く出てくるが、バスキアのその日暮らしの様子が浮かび上がる。友人たちの家に転がり込んでは、また別の家に移動するような生活をおくり、時には路上で寝泊まりすることもあったようだ。

 貧しさに価値を置いているわけでは決してないのだろうが、作品を作る純真な動機そのままに行動することが、当時のアーティストたちにとっての重要な価値観であり、それは有名になる前の彼の姿にこそ色濃く刻印されていると監督は考えたのだろう。

レーガン政権以降、変わってしまったニューヨーク

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バスキアの生きた時代の落書きだらけのNYの地下鉄の様子
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 70年代のニューヨークは、どん底の時代と言われている。金融危機と不況で経済状態が悪化、治安も最悪で、多くの中産階級が郊外に移住した。70年代末のニューヨークはきらびやかな世界経済の中心都市というよりも、犯罪都市のような様相を呈していた。

 中産階級の代わりにニューヨークに住み着いたのは、お金のない若いアーティストたちだった。イースト・ヴィレッジなど家賃の安かった土地に多くのアーティストたちが集まり、互いに刺激しあうことで新しいムーブメントが起こった。

 ドライバー監督は、「当時のイースト・ヴィレッジは本当に何もないところでした。その分、アーティストたちは自分たちでなんでも作ってしまおうとやっきになったんだと思います。お金はなくてもなんでもかんでもやってやろうという空気に満ちあふれていました。あそこは私たちにとってプレイグラウンドでしたね」と筆者に語ってくれた。

 治安は最悪だが、家賃が安く刺激的な街。しかし、それが80年代に入ると大きく様変わりする。

「レーガン大統領、資金流入、エイズや麻薬対策が、1981年以降全てを変えてしまいました」

 と、ドライバー監督は語る。ウォール街の復調とともに不動産価格が上昇に転じた80年代、90年代に犯罪率は激減し、ニューヨークは「高くて安全」な街に変化していった。70年代と現在ではニューヨークは全く違う街だとドライバー監督は語る。

「経済や犯罪率など、ニューヨーク社会を巡る状況も大きく変わりましたが、価値観の全く違う街になりましたね。今は金が全てを決める社会です。当時のアーティストが持っていた感覚は失われてしまいました。街を歩いていても、旅行者や高級な乳母車を押している人ばかりになりました。私としては70年代のほうがよりエキサイティングな街だったと思いますが」

 70年代にバスキアなどが活躍したアーティストのメッカだったイースト・ヴィレッジは現在、ジェントリフィケーションの結果、高級住宅地に変貌を遂げた。家賃が高騰し、住居もスタジオの家賃も格段に上がりアーティストが気軽に暮らせる環境ではなくなった。

 こうした問題は、場所を変えてニューヨークの様々な場所で起きている。今のニューヨークは、バスキアの時代のイースト・ヴィレッジのようなアーティストのコミュニティが生まれにくい環境と言えるかもしれない。コミュニティがなければアートシーンも盛り上がりにくい。バスキアの時代ほど、今のニューヨークは新しい、刺激的なアートが生まれる土壌が失われつつあるのかもしれない。(参照

今もしバスキアが生きていたら

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バスキアは音楽活動していた時期もあった
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 全く違う街になったニューヨークに、もしまだバスキアが生きていたらどうしているだろうか。本人にも会ったことのあるドライバー監督に聞いてみた。

「彼は新しいアイデアを生み出すことがとにかく好きだったんです。だから、画家にこだわらず、映画を作っているかもしれないし、音楽活動をしているかもしてません。誰にもわからないことですが、彼が今も生きていたら、もしかしたらアートの世界から姿を消しているかもしれません。今の商業主義的なアートの世界は彼にとって苦痛でしょうから」

 豊かなカルチャーはどこから生まれるのか。お金のあるところから生まれるのか、それとも70年代のニューヨークのような混沌から生まれるのか。この映画を観ながら、そんなことをずっと考えていた。