【本の処分に困っている方へ】 本の供養というのがあるらしいですよ

処分したり、リサイクルショップに持って行くこともできるが、大切な本は手放したくないのだ。本は読みたいのに、場所をとられてしまうのは困るというパラドックス。「置く場所がないから」という理由で、本の購入をためらってしまうこともあるほどだ。同じ悩みの人も多いのではないだろうか?

先日、ついにうちのオトンがKindleホワイトペーパーを購入し、ボクより一足先に電子書籍ライフをエンジョイしはじめた。著作権の切れた古典や古い小説を入れまくっては読んでいるようで、今は島崎藤村の「破戒」を読んでいるのだそうだ。

いちおう、IT業界で働くボクを差し置いて、72歳のオトンに先を越されてしまった。まあ、こっちはIT業界にいるとはいえ、アナログなものを好む性格なので、未だに書籍は紙が基本なのだ。多少重かろうが気にしないし、本屋に行くのも好きなので、紙で読むことを苦労だとか、遅れているとは思わない。

だが、頭痛の種なのが、置き場所の確保だ。本の量が臨界点をオーバーすると、なにをどう整理しても本棚には収まらない。やがて、床に積み、本棚の空きスペースに押し込み、美しくディスプレイできなくなる。困ったものだ。

処分したり、リサイクルショップに持って行くこともできるが、大切な本は手放したくないのだ。本は読みたいのに、場所をとられてしまうのは困るというパラドックス。「置く場所がないから」という理由で、本の購入をためらってしまうこともあるほどだ。同じ悩みの人も多いのではないだろうか?(まあ、そういう人が電子書籍にスイッチしていくのだろうが…)

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そんなことを考えていた先日、叔父の法事に行く機会があったのだが、ふと

「そういえば、故人の本ってどう処分したのだろう?」

という疑問がわいた。

本って、さすがに相続の対象に入らないだろう。形見として分与するとか、ばらまくことも可能だが、それだって量には限界がある。もしも数百冊とか本が残ってしまったら、遺族はけっこう困ってしまうかもしれない。

やむなく破棄とか、価値を見極めずにリサイクルショップで処分・・・となってしまう残念なケースも少なくないような気がする。それはもったいない話だ。故人が望んだことかどうかもわからないし、ひょっとしたら読んでほしいと願っているかもしれない。自分が死んだ後でも、雑に廃棄して欲しくはないし、できれば家族とか、読むべき人の手にわたってほしい。金銭的な価値はなくたって、自分にとっては財産なのだ。

そんなとき、「本の供養なるサービス(というか活動?)があるらしい」と聞いたので、どんなものか調べてみた。供養って、人形とかぬいぐるみ、ペット、印鑑、あるいは筆にはあるけれど、本に供養?そんなの存在するんだ?と思った。これは初耳だ。

本の供養とは、かんたんに説明すると、「故人の本や雑誌、教科書など、捨ててしまうのは忍びないものをお祓いし、書籍のプロに選別してもらうもの」だそうだ。役割を終えたものはリサイクル、まだ利用価値のある本や雑誌、後世に受け継いで行くべきものに関してはセリで入札をする・・・らしい。

供養そのものは、石浦神社が行うのだが、この神社、別に本の供養を専門にしているわけではなく、一見ごくふつうの神社のようだ。

<石浦神社>

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引用元 http://www.ishiura.jp/

供養は神社がやり、その後の処分方法は書籍の専門家が取り決める、という分業で行っている。なるほど、理にかなってる。

こんなパターンもあった。

京都にある知恩寺では、「古本供養」を定期的に行っている。境内や本堂・庫裡はフリーマーケットの会場として貸し出されており、京都古書研究会主催で開かれる「秋の古本まつり」(会期は概ね10月末から11月初めまで)の会場となっていることで知られているとのことで、検索するとやたら知恩寺に関するソースが見つかった。古本供養の世界では、有名なようだ。

<知恩寺>

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引用元 http://jodo.jp/290004/03/

古本供養は、古本まつりの初日に行われる法要で、読まれずに本棚や段ボールに入れられたままの本や、役目を終えた本などに対して、感謝をする法要だ。ただ、供養するといっても、本を燃やしはしない。供養が済んだ本を出品して、誰かに読んでもらえれば供養になるとされている。ちなみに、供養そのものは無料だそうだ。

※供養された本は買うこともでき、会場から宅配便(有料)で自宅へ送ることも可能。

古本供養のようすはこちら

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引用元 http://milky.geocities.jp/kyotonosato/gyoji10/10furuhonkuyou08.html

本の供養の場合、燃やすことは当然NGで、誰かに読んでもらうことが前提となる。そうしてはじめて供養になる。この、“新しい持ち主の手に渡す”のって、言霊を継いでいくようなかんじの概念でいいね。

現実問題として、大量の本を抱えて神社まで行き、供養してもらうってことはなかなか難しいとは思う。でも、「この人なら」って思える人に不要になった本をあげてしまうのって、リサイクルするよりずっとステキな方法なような気がした。

(2014年3月6日「Booklap Web Magazine」より転載)