【書評】 「日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか」矢部宏治著 (集英社インターナショナル)

戦後の米軍占領下にさかのぼり、そこから二つの安保条約、昨年の新安保法制まで、歴史と国際政治学を縦糸と横糸に編み込み解き明かした。

「無期限に、どんな兵器を持ち込んでいるのか日本政府へ知らせる義務もなく、日本防衛以外の他の目的でじゃんじゃん使える」基地を、どうしてアメリカが日本国内に持つことが可能になったのか?

戦後の米軍占領下にさかのぼり、そこから二つの安保条約、昨年の新安保法制まで、歴史と国際政治学を縦糸と横糸に編み込み解き明かした。

戦後米軍占領下マッカーサーの最初の構想は、日本は非武装中立となり、沖縄を含む太平洋の島々に配備する国連軍に守られるというものだった。

それが1950年朝鮮戦争が起こり、占領軍が日本から朝鮮へ出撃してゆく最中(「日本の4つの島は巨大な補給倉庫になった」)、サンフランシスコ平和条約で日本が独立したことで、歯車が狂いだした。

平和条約と同時に結ばれた旧安保条約の追加文書に、

「継続中の朝鮮戦争については、国連軍への日本を通しての軍事支援を今まで通り続ける(要約)」

とあった。国連軍は、もちろん米軍を意味し、つまり日本が独立後も米軍への軍事支援を行い続けるという素地がここで出来上がってしまった。

そして、何度かの修正の過程で、

朝鮮戦争での国連軍への軍事支援 

   → 朝鮮以外の場所でも自由に戦争する米軍への支援

(駐留する米軍は)外部からの武力攻撃に対する日本の防衛だけを目的とする 

    →極東における安全保障、ならびに日本防衛  (意訳)

へと書き変えられていった。

つまり、「極東における安全保障」のためなら、米軍は日本から出撃して世界のどこでも戦争ができるということにされた。

最初の段階から比べると、まさに「詐欺に遭った」歴史。

そして、これに様々な密約が追加され、60年の安保改定、日米地位協定という不平等条約になった。

占領下における戦時体制(戦争協力体制)をずるずると引っ張られ,うまいこと言って、使われているのが、今の日本の米軍基地であり、殆ど隷従的な日米関係なのである。

ここまで読むと、げんなりしてしまうのだが、筆者はこれをふまえて、日本はどうやって、日米を対等な関係に持ってゆけるのか、誠実で深みあるリサーチをふまえて提言をしている。

<二つの日本独立モデル>

 フィリピン・モデル ----米軍撤退条項と加憲型

 ドイツ・モデル ----朝鮮半島統一による朝鮮国連軍の消滅、そして米軍撤退

これは、リアルにあり得るモデルケースとして説得力がある。

こういった提言を通して筆者が最も強く主張しているのは、戦後占領下からずるずると続いてきた、国連軍という名の米軍に日本を自由に使わせる不平等条約(「敗北を抱きしめて」のジョン・ダワー氏のいうサンフランシスコ・システム)を一度リセットしようというものだった。

改憲問題を語る上で、必ず語らざるをえない歴史の経緯と現状の矛盾がここに整理されている。

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