ボコ・ハラムは「イスラム国」より多くの人々を殺害している

ナイジェリアの恐るべきテログループの存在を忘れるな。
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11月13日にパリで起きた同時多発テロでは、世界最悪のテログループが、普段と変わらない生活を送っていた人々に対して並外れた大量虐殺を仕掛けた。

この事件の報道で霞んでしまったが、ナイジェリアでも大量虐殺が行われていた。

11月17日の夕方、ナイジェリア北部のヨラで、夕食の買い物客でいっぱいの青果店を自爆テロ犯が襲い、少なくとも34人が死亡した。「私の店の近くは、地面が見えないほど死体でいっぱいになっていました」と、アルハジ・アハメドはロイターに話した

18日、午後の祈りを捧げる人々が集まっていたカノ近郊の混雑した携帯市場で、爆薬を体につけた2人の女性が自爆したAP通信によれば、2回の爆発で少なくとも15人が死亡した。

2件の爆発事件はともに、ナイジェリアのイスラム過激派グループ、ボコ・ハラムによるものだと言われている。ボコ・ハラムは具体的な攻撃についての犯行声明をめったに出さないが、この地域では6年にわたり残虐な暴動を続けている。

2015年11月に発表された新しい調査によれば、ボコ・ハラムが過激派組織「イスラム国」(IS)を追い抜き、「世界で史上最悪のテログループ」になった。

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最近数週間のナイジェリアでの連続自爆テロには、過激派グループによる犯行の特徴があった。

国際テロリズムインデックスによると、ボコ・ハラムは2014年、世界のテロリストグループの中で最も多い6644人を殺害した。ISは6073人で続いた。

ボコ・ハラムは3月、ISに忠誠を誓ったが、グループ間に協力の広がりがあるかどうかは、現段階では明らかになっていない。この2つの組織を合わせると、2014年に世界でテロに関係した全死亡者数の51%を占めた。

国際テロリズムインデックスはニューヨークを拠点とする経済平和研究所により毎年発行されるレポートで、世界中のテロによる死者を記録している。ここではテロとは、「非国家主体による意図的な暴力行為または暴力による脅威」と定義づけている。テロ攻撃による死と、戦いによる死を分けており、ISに殺された人々の多くが戦闘の中で死んだという。その数は2014年は少なくとも2万人にのぼる。

ボコ・ハラムの暴力行為による死者数の合計も、テロによる死者数よりも多いとされる。アメリカを拠点とする外交問題評議会が編集し、高い信頼を得ているナイジェリアセキュリティートラッカーは、2014年に6000人を超える人々がボコ・ハラムとナイジェリア軍の衝突の中で死んだことを明らかにした。

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ナイジェリア軍は、昨年国内で支配地域を拡大したボコ・ハラムに対し、対応を強めることを表明している。

ボコ・ハラムは2002年ごろからナイジェリアの北東部に出現し、イスラム過激派のやり方を採用したり、(石油で潤う国にもかかわらず)この地域に存在していた差別や貧困を利用するなどして勢力を伸ばした。ナイジェリア政府との衝突が続いた後、2009年に暴動を開始。数千の死者を生み、ナイジェリアの北東部を複数地域にわたってめちゃくちゃにした。

2014年に入るとボコ・ハラムは攻勢を強め、北東部の町や村を占領したり、数百人の人質を取ったりした。チボクにある寄宿学校を襲い、約300人の女子学生を捕らえた2014年4月の事件は、世界規模の非難の対象となった。

この年のある時点では、ボコ・ハラムが支配した領域はベルギーほどの大きさになっていた。情け容赦ない連続自爆テロは、国中の人々を怯えさせ続けているが、その自爆テロの多くが女性や幼い少女によるものだ。彼女たちは、脅されてテロに利用されているとみられる。

2013〜2014年までの間、ナイジェリアにおけるテロに関係する死者の数が劇的に伸び、300パーセント増を記録した。国際テロリズムインデックスはこの伸びを「それまでにどの国も記録したことがないような最も大きなテロによる死者数の増加」とした。

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2015年10月3日土曜日、ナイジェリアのアブジャにて。爆弾の爆発で負傷した男性が救助されている。死者数は多くの場合、ナイジェリアの北東部などの首都から離れた場所においては確かめることが難しい。

しかし、都市から離れた周縁部であるナイジェリア北東からのニュースが伝えることは、わずかしかない。ほとんどの記者や役人が足を踏み入れることすら恐れている場所で、コミュニケーション・インフラもほとんどないか、意図的に壊されている。ボコ・ハラムの攻撃に関する情報は、たいてい詳細に乏しく、死傷者数は大きくずれがある。

「この危機による被害者数――住む土地を奪われた人々や苦境にある女性も含んでいます――は、実際より少なく報告されていると思われます」と、2015年前半、国際危機グループのナイジェリア担当シニアアナリストのナムディ・オバシは、ハフポストUS版に話した。オバシ氏によると、ナイジェリア北東部の暮らしは「地獄のようなもの」だという。

ナイジェリア中央政府が住民の苦境を無視していることを、多くの人々が非難している。しかしナイジェリア軍と政府を支持する民兵もまた、2011年からの7000人を越える軍事勾留下での死者を含む市民の大量虐殺について、人権派グループに訴えられている。

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今年の5月に政権を取ったムハンマドゥ・ブハリ大統領

ムハンマドゥ・ブハリ大統領は、汚職にまみれた悪名高き政府の正常化と、軍事力によるボコ・ハラムの破壊を表明し、今年初めに大統領選で選ばれた。ブハリの汚職取り締まり政策の評価は賛否両論だが、少なくとも彼は軍の上層部を一掃し、幹部を訴追した。その中には、ボコ・ハラムに対する軍事予算の中から約20億ドルを横領した人もいた

ナイジェリアは近隣国であるチャドやカメルーン、ニジェールとの連携を進めている。これらの国は、ボコ・ハラムが姿を隠して市民を攻撃している場所で、またアメリカが対ボコ・ハラム作戦のために軍事支援を広げている地域でもある。過激派が占領したほとんどの地域を、自国軍が2014年に奪還して多くの人質を解放したと、ナイジェリア政府は訴えた。

ボコ・ハラムはナイジェリアにおける本拠地を失い、戦略を変えてきていると専門家は指摘する。目標をナイジェリアの近隣国に変更。ナイジェリアでの活動は、領土獲得から、例えばヨラやカノの市場のような市民が大勢のいる地域を自爆や爆弾で攻撃することに変わった。

11月の3週目、ナイジェリアで死傷者が増加したことで、人々は自分の怒りや悲しみを表現するためにソーシャルメディアを使った。ナイジェリアの国旗をプロフィール写真に加えたり、#PrayForNigeria(ナイジェリアのために祈りますの意)というハッシュタグが利用されたりした。これは、同じ週、悲しみに暮れた人々がパリやベルギーのためにしたことと同じだった。

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約300人の女子学生がボコ・ハラムによって2014年に攫われ、世界は怒りの反応を示した。そして、#BringBackOurGirls(私たちの少女を返して)というハッシュタグを中心に世界は一つになった。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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