どうしようもなく盛り上がらない今回の衆議院選挙でちょっと面白く思っているのは、「支持政党なし」という政治団体が出てきていることだ(あえてリンクははらないでおく)。別にこの団体を支持しているわけでもないしこの団体への投票を呼びかけたりするつもりもない(もちろん否定もしない。あくまでニュートラル)。シンプルにネタとして面白いのでわが内なる悪乗り回路が発動してしまったのだが、それだけでなく、ちょっと考えさせるものがあるようにも思うので手短に。あくまでもネタとして。
この政治団体をやっている人たちがどんな人たちなのかはまったく知らないし今回の行動の真意もはかりかねる(一応公式サイトらしきものがあってのぞいてみたがどのくらい本気なのかすらよくわからなかった)が、どうも各法案に対して構成員が投票した結果をそのまま賛否に反映するという一種の直接民主制的なやり方を掲げているようだ。
現実にどの程度機能するのかわからないが、発想自体はある程度理解できる。どちらかというと、国政よりも市町村議会あたりのような身近な問題を扱う場に向いているような気がするが、まあやりたいという人たちに異を唱えるほどでもない。面白いのはこれに「支持政党なし」という団体名をくっつけたことで、つまりこの政治団体が候補者を立てている衆院比例北海道ブロックで「支持政党なし」とか「支持なし」とか書くとこの党への票としてカウントされることになるわけだ。
当然、気づかずに(うっかり)「支持政党なし」と書いてしまう人の票を当て込んでいるのだろう。知った上でそうする人は少ないだろうから、このことを知らないまま投票する人がたくさんいることを期待しているのかもしれない。今のところメディアではあまり取り上げられていないようだし。とはいえ、これで実際に議席を獲得できる可能性はそう高くはなさそうだが。
この手の「ネタ」は、割と考える人が多いと思う。私も過去に何度か似たようなネタを出したことがあるが、本当にやる人が現れたというのがおもしろい。
虚構新聞もびっくりといったところだろうが、さっそく負けじとこんな記事を出していた。
(虚構新聞2014年12月8日)
今回の調査において最も多かった回答は「棄権する」で、前回衆院選の投票率を大きく下回りそうだ。これまで棄権は票として数えられなかったが、告示前日に結党した新党「棄権」が「棄権票は自党への賛意とみなすべき」と主張。今回から棄権票は全て同党への有効票とされる。
個人的には「白票」もしくは「党名なし」みたいな政治団体も作ったらいいんじゃないかと思う。白票はこの団体への投票とみなすことにする、ということにしたらいい。「支持政党なし」と上の「新党棄権」とこの「新党白票」が連立すればかなりのところまでいけるのではないか。
・・・というのはまあネタだが、少なくとも「支持政党なし」の出現は、当該選挙区において「支持政党なし」と書く人の人数を減らすくらいの効果はあるかもしれない。ほんとに支持政党がないだけなのにこの政治団体への票にされてはかなわない、という人もいるだろうから。ちょっと前にツイッターで見かけた「マクドナルド理論」を思い出す。まあ「支持政党なし」と書けなくても白票で出せばいいだけだから効果は限定的だろうが。
「支持政党なし」と書くことや白票、あるいは棄権については、意味があるとかないとかいう議論が選挙のたびに繰り返される。ある人は「それは与党への白紙委任」といい、ある人は「それも意思表示の1つであり個人の自由」という。どちらもそれなりにありうる主張ではあろう。どちらも理解できるが、私は個人的には前者の意見に近いので、この件はその立場からみて面白いと思う点を書いてみる。
「支持政党なし」と書こうが白票で出そうが、あるいは棄権しようが、それは何らかの意思表示であり、結果として選挙においてどこかの政党なり政治団体なりに有利あるいは不利に働く。その意味で「白票も棄権も意思表示」という主張は正しい。しかし、実際に起きる「影響」が、「支持政党なし」や白票、棄権をした人の思っている、あるいは望んでいる影響と同じとは限らない。
政権への批判として「支持政党なし」や白票を投じても、それは「政治への関心の低さ」として受け止められる。何らかの影響を与える可能性はもちろんあろうが、与党も野党も支持せず、対案を読み取ることもできない以上、与党に与える影響も野党に与える影響もそう変わらないだろう。支持政党なしや白票や棄権を選択する人の中には、どうも意思表示すること、選択すること自体を避けようとしている人も少なからずいるようにみえるが、たとえ本人がそのつもりでも、それは意思表示をしないというひとつの意思表示であり、「選挙結果に影響を与えなくてよい」という選択である。
支持政党がないから「支持政党なし」と書いた票が政治団体「支持政党なし」の票になることと、何も書かずに投じた票が結果的に投票結果への白紙委任のようになってしまうこととは、もちろんまったくちがうことではあるが、有権者側が意図した効果と実際の効果の相違という点ではよく似ている。だから投票せよと主張するつもりはない。投票するもしないも有権者の権利であり、白票を投じるのも関係ない名前を書くのも自由だ。いずれにせよその選択の結果は選挙に反映し、それは私たちの生活に影響する。それだけの話だ。
そんなことを考えさせてくれたという点で、「支持政党なし」のアプローチはなかなか面白い。繰り返すがここを支持するわけではない(不支持でもない)し、ここへの投票を呼びかけるわけでもない(投票するなともいわない)が、最近高齢化が進みだんだん淋しくなってきている泡沫界に久々に現れた新星かもしれない、という期待はある。ネタとしては、次の選挙あたりで「白票」っていう政治団体を作って白票をすべて得票にせよって選挙管理委員会ともめたりする人が現れたりするとさらに面白いので、金も出さないし協力もしないが「誰かやったらどう?」ときわめて不真面目かつ無責任に推奨しておく。
(2014年12月10日「H-Yamaguchi.net」より転載)