先週はアメリカでの人種差別問題が血生臭い1週間だった。
7月5日にルイジアナ州のコンビニ前で黒人男性アルトン スターリングさんが2人組の白人警察官と、もみ合いの際に射殺された。偶然側に駐車していた人とコンビニオーナーの携帯で動画を撮影していた。
7月6日、ミネソタ州で交通規制の名目でとめられた車(後ろのライトが壊れていた)を運転していた黒人男性フィランド キャスチーユさんがポケットから身分証明書をだそうとした際、職務質問をしていた警察官より至近距離で射殺された。(同乗していた恋人の女性がキャスチーユさんが撃たれ、運転席で血まみれになっている姿を動画でソーシャルメディアに流した。)
これらの事件を受けモメンタムを得た警察官による黒人にたいする過剰防衛、不当な暴力に抗議するBlack Lives Matter運動は各地で開かれ、7月7日、テキサス州ダラス市で大規模なBlack Lives Matter のプロテストが行われた。ダラスでの集会は平和的なムードで開かれた、という。その最中、突如として現れたスナイパーにより、現場はカオス化して白人警察官が5人殺されたというダラスの襲撃事件は記憶に生々しい。
警察によって爆撃された黒人の襲撃犯は白人の警察を狙ったとしている。これについて政治家たちはさまざまの見解を述べ、一部からはBlack Lives Matter は黒人の被害妄想的権利主張、というバッシングも出ている。
ワシントンポストによると今年になって127人の黒人が警察官に殺されている。統計によると警察官に殺されている白人の数のほうが多い(239人)。しかしアメリカにおいては白人人口は62%で黒人は13%だそうだ。更に2015年の1月までさかのぼって黒人の若者(18歳ー29歳)をみると175人が今年の6月の時点までで警察の銃によって命を落とし、そのうち24人は丸腰だった、とワシントンポストはリポートする。
犯罪と常に最前線で戦っているアメリカの警察の正当防衛。しかしこれらの数字はアメリカの銃社会の悲惨さを表している思う。
私は7月8日にボストンで開かれたBlack Lives Matterの集会に撮影にいった。ボストンの集会で私は若い黒人の女性が "If all lives matter, why aren't you marching with us"(すべての命が大切と信じているのなら、私たちの運動に参加してください)と書いた紙を持っていた。他のプレートには"Black is not a crime""肌が黒いことは犯罪ではない"と持った女性も見かけた。
撮影をしていたとき、参加していた若い黒人女性に "You (media) are always working on a story,,, well its not a story! Its a fact." (あなた達、マスコミはいつも話題(ストーリー)を欲しがってるけど、これはね、お話し(ストーリー)じゃないの。事実なのよ)と皮肉に絡まれた。
ダラスの襲撃事件はショッキングであり、悲劇だった。しかし全国各地のプロテストのきっかけとなった、ルイジアナ、ミネソタでの事件はBlack Lives Matter運動の中においては、"血なまぐさい1週間"でもなんでもなく、彼らの訴える警察による黒人にたいする過剰防衛、不当な暴力によって亡くなった2人の黒人男性の死がソーシャルメディアによって世界に流された。それによって世論が動いた、ということだけなのだろう。
Black Lives Matter運動が戦っているのは "白人VS黒人"ではなくInstitutional Racism (制度に組み込まれた人種差別)だ。 ダラスの襲撃事件の総指揮にあたったダラス市警察署長デービットブラウン氏は黒人だ。そしてブラウン氏本人もたくさんの悲劇をプライベートで経験している。
7月13日、ボストンで行われたBlack Lives Matterプロテストマーチに又、撮影にいってきた。白人、黒人、アジア人、いろいろな人種の人たちが1000人以上集まり、蒸し暑い夏の夜のボストンダウンタウンを3時間ほど練り歩いた。
Black Lives Matterは今アメリカでは熱い話題だ。しかしこれらの現状は今始まった社会現象ではなく黒人の人たちにとってはリアリティーであり、死活問題なのである。そしてこれは黒人の人たちの問題だけではない。社会システムが偏見や差別がなく、すべての人々に平等に作動する未来のための闘いなのである。
7月13日ボストンBlack Lives Matter プロテストマーチ
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