7月5日は「ビキニスタイルの日」と呼ばれている。フランス人のルイ・レアールが1946年7月5日、露出度の高いツーピースの水着をフランスのパリで発表した。「ビキニ」と命名して世の中に普及したからだ。
このビキニという名前、実は米軍の原爆実験が由来だ。
英紙ガーディアンによると、ビキニの水着が発表される4日前の7月1日、21キロトン級の原爆「エイブル」が、南太平洋にある「ビキニ環礁」で炸裂した。レアールは腹部を露出したツーピースの水着を発案した際に、この原爆の破壊力になぞらえて「ビキニ」と命名したのだった。
■高い放射線レベル。76年経っても島民は帰還できず
アトミック・ヘリテージ財団によると、ビキニ環礁では1946年から1958年までに23回の原水爆実験が実施。167人の島民が移住を余儀なくされた。島民はいつか帰還できると約束されていたが、未だにその約束は果たされていない。1969年に一時帰還したものの、残留放射線のレベルが高かったことから1978年に再び避難しているからだ。避難生活は76年にわたっている。
ビキニスタイルの水着を見かけたら、その陰に隠れた悲しい島の歴史に思いを馳せてもいいかもしれない。