ベルリンで起きたテロとメディアの反応に思うこと

私は基本的にリスクはどこにでもある、と思っています。重要なのはリスク管理で、私が「デジタルノマド」になったのはそのリスクを最大限に減らすためでもあります。

どうも、wasabi(@wasabi_nomadik)です。

先日20日、私が今年6月まで住んでいたベルリンで悲しい事件が起こってしまいました。

クリスマスマーケットに大型トラックが突っ込んだ。

ベルリンのクリスマスマーケットに大型トラックが突っ込み、少なくとも12人が死亡、45人が負傷した事件です。IS系のニュースサイト「Amaq」が今回の事件の関与を認める事実上の犯行声明を出したことからも、ISによるテロだと断定されました。

私がこの事件を知ったのは仕事終わりにフェイスブックをチェックしていた午後10時頃のことです。次々にベルリンに住む友人が「安否報告」を投稿したり、身の安全を証明するチェックインをしていたことから事件のことを知りました。

テロの事件が流れると日本に住む知人から心配のメッセージを受け取ると同時に、「欧州はテロがあって怖いね。」という感想をもらうこともあります。ニュースから流れてくる断片的な情報だけではそのような印象を抱くのも無理ないと思いますが、欧州に住んでいる人間としてはそれでもただ毎日を生きるだけです。ベルリン在住ライターの久保田さんもそうおっしゃっていて、とても共感しました。

たとえば逆のことが日本にも言えて、ドイツ人から「日本は地震があって怖い」と言われたことがあるのですがそれでも日本に住んでいるなら毎日を精一杯、生きるしかないですよね。

なので私は基本的にリスクはどこにでもある、と思っています。重要なのはリスク管理で、私が「デジタルノマド」になったのはそのリスクを最大限に減らすためでもあります。

全部メルケルのせい?

あらゆるSNSのフィードに流れてくるメディアの報道を読むと、「メルケルの責任」を追求するかのような記事が目立ちます。メルケルの悲しそうな顔写真に加え、彼女の政治家としての判断責任や彼女の残念な気持ちを報道したものなど...。

Angela Merkel says it would be ‘hard for us all to bear’ if Berlin attacker were a Syrian refugee – TheBlaze

こうした報道は注目を集めやすいですし、バズリやすいのでメディアがこのような報道を好むのは理解できますし、これのどれも間違いではありません。メルケルが難民を多く受け入れる政策を実行したことによりドイツ社会は大きく変わり、変化に伴ってこうした事件が起きてしまった因果関係は切っても切り離せない。

しかし、これは「事実」の一部です。

もう1つの事実として、難民を多く受け入れたことにより多くの命を救ったことも忘れてはいけないでしょう。

以前私がインタビューした難民の友人がくれたビデオを観るたび、そのことを強く思います。

サンデル教授の白熱教室でも議論になっていましたが、人の命の価値は数で測るべきなのかどうか、私にはわかりません。だから、「今回のテロで死亡した人数よりも多くの命を難民受け入れによって救うことができたのだから、受け入れは100%正しい」なんてことはもちろん言えないです。どのメリット・デメリットに焦点を当てるか、どの立場からものを見るかによって何が正しいかは変わってきます。だから、いろんな意見があって当然です。

しかし、私自身が生きている小さな行動範囲のドイツ社会で見ているものは、ネガティブな報道やそれに寄せられるネガティブなコメントとはまったく違っています。私はドイツでオープンマインドな人々に囲まれ、友人は難民に対してとても理解があり、ボランティをしたり寄付をしたりする人もいます。

今通っているドイツ語学校のクラスメートの半分以上が難民なのですが、彼らは慣れない土地で必死にドイツ語を勉強しているし、ドイツ社会を理解しようと必死です。それはしばしば職にありつくための実利的な理由であるにせよ、慣れ親しんでいた母国がいきなり危険すぎて住めなくなって脱出せざるを得なくなり、言語も文化も違う国で人生を再スタートしようとしているのだから私は純粋に個人としてその前向きな姿勢に触発されます。

ちょっと話は脱線しますが、この前教室で「Heimweh(ホームシック)」という言葉を習ったんです。先生が生徒に「みなさんはホームシックになりますか?」と順番に聞いて回り、私が答える番が来ました。

私は「まったくありません。」と答え、先生は「なぜ?」と聞き返しました。

「なぜって、私はなんだかんだ日本に半年に1回は帰ってるし、いつでも帰れるからホームシックになる感覚がないです。」と答えようとしたとき、難民のクラスメートの1人が「あなたはまだ若いからよ」と突っ込んできました。

「私たちは40年以上母国に住んできた。だから、忘れることなんてできない。」

この言葉が重すぎて、それ以上私はなにも言えなくなってしまいました。特に、「いつでも帰れる」なんて口が裂けても言えません。

胸が張りさける思いを持ちながらもこちらで必死に生きようとしている難民の姿を私は見ています。

だから、私含め難民にそのチャンスを与えたドイツ社会が、これから未来を良くしていくためにできることに私はフォーカスしたいです。

これは私が見ている狭いドイツ社会のなかのサンプルでしかないけれど、自分が生きている範囲内で感じたことを自分で咀嚼し、できる限りのことをする-。というか、自分なんて小さな存在なのだからそれしかできない。まったく別件ですが、私のドイツ移住もそうやって自分ができる小さなことを積み上げて果たしました。だからこれが、自分の考え方です。

私も個人でできることとして、すごく小さなことですがこちらに来た難民の人たちが抱えている「職探し」問題を解決する手伝いができればと思って英語で、ロケーションフリーで働くノマドのライフスタイルについて紹介したり、具体的な選択肢を提示しています。その英語ブログに延長して新しいアイデアがあるので来年から取り組んでいく予定です。

時はクリスマス。暗闇の中に差す光に期待を寄せながら、常に未来にフォーカスして今後も前進していくのみだと、私は思います。

(2016年12月22日「WSBI」より転載)