ベルリンの壁崩壊から25年 「過去と現在」が時空を越えてシンクロする(画像)

ベルリンの壁が崩壊して25年を迎える。この衝撃の画像は、以前2つの地域に分断されていたこの都市がいかに変化したかを示している。
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ベルリンの壁が崩壊して25年を迎える。この衝撃の画像は、以前2つの地域に分断されていたこの都市がいかに変化したかを示している。

1989年11月9日、東西ベルリンの市民は壁を壊した。1945年から政治的に分断され、そして壁の建設により1961年から物理的にも分断されていた都市が1つになった。

壁の崩壊は、東欧の共産主義が崩壊する第一章となった。1990年10月3日、東西ドイツが統一された。

壁の崩壊から25年経った現在、ドイツの首都は大きく成長、急速に変化した。壁が建っていた場所はにぎやかな空間に生まれ変わった。その光景には、25年前の面影はほとんど見られない。

この25枚の画像を見ると、ベルリンは、そしてドイツはここまで発展したことを改めて思い起こさせてくれる。

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ベルリンの壁の上で踊る人々とブランデンブルク門(1989年11月10日)。そして、25年後の2014年10月の模様。AP Photo/Thomas Kienzle, Markus Schreiber

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敬礼する兵士の前を歩くアメリカのジョン・F・ケネディ大統領とチェックポイント・チャーリー(検問所)の見張り柱(1963年6月26日)。そして、かつてチェックポイント・チャーリーのあった場所で軍服を着る役者、観光客用に再建されたチェックポイントとともに(2014年9月24日)。AP Photo/Markus Schreiber

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「この壁は崩壊されなくてはならない」という落書きのある、ベルリン北部のベルナウアー通り沿いのベルリンの壁(1973年3月8日)。そして、同じ場所にあるベルリンの壁記念碑の一部(2014年10月21日)。AP Photo/Markus Schreiber

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53年の歳月を経て撮られた写真の合成。カラー写真では、自動車、自転車乗り、観光客を乗せた馬車が、かつてチェックポイント・チャーリーのあったフリードリヒ通りとツィマー通りの交差点を進むところ(2014年4月1日)。そして、白黒写真ではソ連の戦車(後方)と米国の戦車が同じ場所で向き合っているところ(1961年10月26日)。 Photo by Keystone-France/Gamma-Keystone via Getty Images

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ハインリヒ・ハイネ通りにあるベルリンの壁の検問所(1971年3月12日)。そして、クロイツベルク区のかつて検問所のあった場所で散歩やサイクリングをしている人(2014年10月1日)。 AP Photos/Edwin Reichert, Markus Schreiber

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敬礼する兵士の前を歩くアメリカのジョン・F・ケネディ大統領とチェックポイント・チャーリーの見張り柱(1963年6月26日)。そして、かつてチェックポイント・チャーリーのあった場所で軍服を着る役者、観光客用に再建されたチェックポイントとともに(2014年9月24日)。AP Photo/Markus Schreiber

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チェックポイント・チャーリー近くにあるフリードリヒ通りのベルリンの壁建設現場(1985年8月13日)。そして、2014年10月2日時点の同じ場所。AP Photo/Markus Schreiber

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1980年、西ベルリンのベルナウアー通りの展望台から撮影された東ベルリンの様子。昔も今も同じエリアで路面電車が走っている(2014年10月1日) 。AP Photo/Elke Bruhn Hoffman, Markus Schreiber

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東ドイツの国境警備兵が壁の一部を取り壊したベルナウアー通りの新しい道に押し寄せる東ベルリン市民(1989年11月11日)。そして、ベルナウアー通りとオーダーベルガー通りを歩く人々( 2014年10月26日)。(AP Photos/Rudi Blaha, Markus Schreiber)

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分断されたベルリンを訪問したアメリカのリチャード・ニクソン大統領が、ベルリンの壁を通して東ドイツを見る(1969年2月27日)。そして、かつてハインリッヒ・ハイネ通りチェックポイントでベルリンの壁があった場所(2014年9月24日)。AP Photo/Markus Schreiber

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白黒画像は、ブランデンブルク門近辺のベルリンの壁(1961年11月)。そしてカラー画像は行き交う自動車やバス(2014年10月24日)。AP Photo/Markus Schreiber

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カラー写真は、ポツダム広場にある地下鉄駅の入り口付近を歩く人(2014年2月25日)。そして白黒写真は、同じ場所で新しく建てられたベルリンの壁を眺めるフランス人兵士とその他の人々(1961年)。 Photo by Central Press/Hulton Archive via Getty Images

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ベルナウアー通りにあるユースホステルの窓から顔を出す若い女性(2014年2月24日)。そして白黒写真は、同じ場所でアパートの窓から外を眺める東ベルリンの女性。背景には新しく建てられたベルリンの壁(1961年か1962年)。 Photo by Imagno/Hulton Archive via Getty Images

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白黒写真は、ベルナウアー通りにてベルリンの壁が建てられた1年後、東ベルリンの親類に手を振る西ベルリンの人(1962年8月13日)。カラー写真は同じ場所で行き交う人(2014年10月26日)。AP Photo/Werner Kreusch, Markus Schreiber

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誰もいないポツダム広場付近のベルリンの壁(1962年8月)。そして同じ場所を走行する自動車やバス(2014年9月25日)。 AP Photos/Edwin Reichtert, Markus Schreiber

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白黒写真は、煉瓦の壁から有刺鉄線を取り除く制服を着た東ドイツの警備兵。後方では、ベルナウアー通りにあるフランスとロシアの占領区の境に15フィートの壁を作る別の警備兵(1961年9月9日)。そしてカラー写真は同じ場所にいる現代の警官(2014年10月21日)。AP Photo/Markus Schreiber

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カラー写真は、ブランデンブルク門を通過する観光客や観光バス(2014年4月3日)。そして白黒写真には、「注意!あなたはいま西ベルリンを去ろうとしている!」という標識が見える (1962年8月1日)。 Photo by Central Press/Hulton Archive via Getty Images

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かつて東西ベルリンを隔てていたチェックポイント・チャーリーのあった場所で米国兵の服を着た役者とともにポーズを取って写真に収まる若いロシアの観光客(2014年2月26日)。白黒写真は、同じ場所で砂袋の後ろでソ連兵を眺める米国兵 (1961年12月4日)。Photo by Keystone-France/Gamma-Keystone via Getty Images

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連邦議会議事堂の前で壁を建設する東ドイツの人(1961年11月20日)。カラー写真は現代の同じ場所(2014年9月25日)。AP Photo/Markus Schreiber

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ハインリッヒ・ハイネ通り近くにあるセバスチャン通りのベルリンの壁付近で遊ぶ子どもたち(1968年)。そして、かつて分断されていた場所を歩く人(2014年11月3日)。AP Photo/Markus Schreiber

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カラー写真は、ベルナウアー通りにあるベルリンの壁記念碑近くの通りを歩く若いカップル(2014年2月25日)。白黒写真は、同じ場所で新しく建てられたベルリンの壁を見る人(1961年か1962年)。Photo by Imagno/Hulton Archive via Getty Images)

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「この壁を取り壊せ」と、ブランデンブルク門の前で話す米国のロナルド・レーガン大統領(1987年)。そして、大統領が立って眺めていた場所とは別の側から撮られた写真。

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1960年代のベルリンと2014年の今のベルリン。和解教会の記念碑付近を犬を連れて歩く人。この教会は東ベルリン当局によってベルリンの壁拡張の犠牲となって取り壊された。ベルナウアー通りにて(2014年2月25日)。白黒写真は、同じ場所で西ベルリンの人が教会を前にしてできたばかりのベルリンの壁を見ているところ(1961年か1962年)。Photo by Imagno/Hulton Archive via Getty Images

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ベルリンの壁付近で遊ぶ子どもたち(1981年7月)。そして、壁が崩壊してから25年後、ベルリンのクロイツベルク区にある同じ場所の駐車場(2014年10月2日)。AP Photo/Markus Schreiber

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この1980年の資料写真は、1980年、中央ベルリンのシュプレー川沿いにあるベルリンの壁を見る女性を写し出している。背景はシャリテ病院の建設現場。 AP Photo/Elke Bruhn Hoffmann

この記事はハフポストUK版に掲載されたものを翻訳しました。

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