ベッキー謝罪、偽りない心情を引き出した中居正広の「聞く力」

非常に難しい局面で彼女の言葉を引き出し、視聴者に偽りない心情を届けることができたのは、他でもなく中居正広の“聞く力”だ。
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“金スマ”でベッキーの本音を引き出す 自虐も織り込む中居正広の“聞く力”

3ヵ月ぶりにテレビに出演し、一連の騒動を謝罪したタレントのベッキー。13日に放送された『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)は日本中の耳目を集め、多くの反響を呼んだ。同番組でベッキーに一対一で向かい合ったのは、言わずと知れたMC・中居正広である。不倫騒動で多くの議論を巻き起こした後の、テレビへの復帰。そんな非常に難しい局面で彼女の言葉を引き出し、視聴者に偽りない心情を届けることができたのは、他でもなく中居正広の“聞く力”だ。

◆「俺もジタバタした」SMAP独立騒動を自虐として引き合いに

役者は、演じるのが仕事。歌手は、歌うのが仕事。でも、バラエティを中心に活躍するテレビタレントは、“自分自身をさらけだす”ことが仕事である。5月13日に放送された『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』では、休業中だったベッキーが出演し、一連の騒動について謝罪した。人気者・ベッキーがテレビから姿を消して3ヵ月。日本中が注目したこの番組で、ベッキーは1月の会見とは打って変わって、傷つき、苦しみ果てた自分自身を正直にさらけ出していた。

“金スマ”恒例の「ひとり農業」訪問企画。ベッキーが登場したのは野菜や山菜などの収穫を終え、これから調理に入るというタイミングだった。中居に促されて、共演者と視聴者へ謝罪した後、中居が、「ジタバタするなよ。俺もジタバタしたから」とベッキーに向かって言った。2016年、日本のエンタメ界は“騒動”続き。「俺もジタバタした」とは、1月のSMAP独立騒動のことを指すのだろう。TVスターとして、それぞれに“背負うもの”がある2人。だからこそ、わかりあえることもある。早い段階で、自らの葛藤をさらけ出し、自虐ネタとして笑いに持っていく彼の手腕にまず痺れた。

中居正広が司会者として優れていることの一つに、“自虐ネタのうまさ”が挙げられる。自虐を笑いに変えるMC力は、とくに『ナカイの窓』(日本テレビ系)で顕著に発揮されている。ジャニーズのアイドルなのに歌が苦手。スポーツ観戦と読書以外にとくに趣味もなく、決して庶民感覚を失わず、ネットも見ない。“国民的アイドル”だからこそ広く浸透した、確立されたキャラクターを武器に、知らないことは「知らない」、わからないことは「わからない」と伝えることで、多くの視聴者の共感を得ることができるのだ。この「俺もジタバタした」発言によって、自分のことでいっぱいいっぱいだったベッキーもまた、中居が背負っているものの大きさに想いを馳せ、“やっぱりこの人は信用できる”と直感したのではないだろうか。

◆「嘘は言わないで」核心を突いた質問と世間へのメッセージ

対談の冒頭、「ひとつだけ守ってほしいことは、嘘は言わないでほしい。でも、言えないことがあるのなら、正直に、嘘をつかずに“言えません”“話せません”って話してほしい」と中居は念押しした。まず、「何が悲しかったですか?」とベッキーのこの3ヵ月の苦悩を正直に吐き出させたあとで、「あの会見で、嘘はありましたか?」と切り込んだ。

「恋愛はしてるけど、付き合ってはないの? そこ、ちゃんとしたほうがよさそうだね。旅行に行って付き合ってないっていうのは通用しないんじゃないか」

「なんで行ったのかな? お正月に、彼の実家に」

子供を諭すような優しい口調だけれど、言葉それ自体は常に核心をついていた。「今ベッキーは、(彼のことを)好き?」と聞いた中居に、「もう好きじゃないです」と返事をしたベッキー。すると、間髪入れずに中居は、「あっそう。すっげぇ好きだったんだね」という言葉で、ベッキーの過去の、かけがえのない真実を優しく包み込んだ。結果がどうあれ、人を心から愛した経験は、生きる上でとても大切なものなんだよ、と。

中居正広はネットを見ない。この日の視聴者サイドに立った質問は、すべて“自分がファンの立場だったら”という想像から導き出されたものだったはずだ。この対談をバラエティショーとして成立させることができたのは、間違いなく、中居正広の力だ。ベッキーの誠実さ、一途さを引っ張り出しつつ、世間が有無を言わさずにバッシングする“不倫”“不貞”という行為に対して、「でも、誰かを好きになればなるほど盲目に、愚かになってしまう弱さが、人間にはあるんじゃないか」「誰でも、過ちを犯すことはあるんじゃないか」という、見る側の想像力を掻き立てるような含みを持たせる発言もする。

◆自身も“騒動”を経たからこその、中居正広の“人間力”

謝罪する側と、視聴者。両方の視点に立って質問をぶつけられる聞き手としての力量がずば抜けているのは確かだが、ここまでの司会術を身につけられたのは、彼がいくつもの“騒動”を切り抜けてきたことが大きいのではないか。いうなれば、中居正広の“人間力”は、困難にぶつかりジタバタともがくたびに向上し、今なおその精神の絶頂を、更新しているのではないだろうか。

父性と母性とピュアな子供、その3つの特性を内包するのが今の中居正広である。あまりにも純度の高い厳しさと優しさと清らかさ。だから彼には、唯一無二の“聞く力”が備わっている。デビュー前から、「いつか司会がやりたい」と切望し、不断の努力と持ち前の集中力と瞬発力で、今、“言葉を届ける仕事”を全うしている。正直な言葉を通して“心”を、広く正しく伝えている。

そのことがよくわかった“金スマ”だった。

(文/菊地陽子)

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