土曜日の午後、このブログを書きながら、6歳の孫エイドリアンへのクリスマスプレゼントを、インターネットで探しています。
私のように孫へのプレゼントを選んでいる人は、きっとたくさんいるはずです。小さな違いがあるとすれば、エイドリアンと私に血のつながりがないことでしょうか。
エイドリアンは、私の里子だった男の子の子供です。
「自分の子供が欲しいか欲しくないか」を、私は考えたことがありません。20代前半は、世界中を旅して過ごしました。そして「世界にはたくさんの人がいるけれど、彼らの生活は平等じゃない」と気付きました。
頭の片隅に正義感を抱えた20代を終える頃には、人生の優先事項が「自分が何をしたいか」から「自分は他人のために何ができるか」に変わっていました。
その後私はグループホームで暮らす若い人たちと出会い、35歳で里親になりました。彼らは、両親から育児放棄され、児童保護サービスからも見捨てられていました。
私は子供が産めなかったから里親になったわけではありません。私を必要としている人たちいたから、里親になるという選択をしたのです。遺伝的に母親になりたいという気持ちより、誰かを愛し世話をしたいという気持ちを強く感じていました。
里子として迎えることになるジョンに出会ったのは、彼が15歳の時でした。怠慢なケースワーカー(福祉サービスの相談援助を担当する職員)のせいで、私たちの関係は最初こじれそうになりました。その上、LAウィークリー紙にも誤解を招く記事が掲載され、大変な時期を過ごしました。
ジョンのケースワーカーは、怒りに満ちたこの若者を愛せる人がいるなんて、想像もしなかったのでしょう。正式に里親として委託されるまでの6カ月間、彼女はジョンの里親委託に反対し続けました。
里親になった後も、順風満帆ではありませんでした。ある日ジョンから、衝撃的な事実を打ち明けられました。付き合っている彼女が妊娠したというのです。
ジョンは当時高校生。私と彼は難しい時間を過ごしていて、自分たちのことで手一杯でした。ジョンの子供のことまで考える余裕はほとんどありませんでした。
だけど私はジョンの彼女のカリーナに、何があろうとあなたたちと赤ちゃんを支えると伝えました。今から7年前のことです。
ジョンはロサンゼルスを出て、自分の家族を作りました。いつかエイドリアンが"おばあちゃん"について尋ねることがあれば、わたしがそのおばあちゃんになりたいと思っています。
今私は、国際養子縁組を考えています。できれば、きょうだいを迎えたい。ジョンと家族になった時、きょうだいを一緒にしてあげることがとても大切だと学んだからです。
そしてできればまた、ジョンのように10歳以上の子供がいいと思っています。思春期を迎えた子供たちを引き受けてくれる家庭が、ほとんどないからです。
最近ある女性と子供について話す機会がありました。私はカリーナと血のつながらない孫のエイドリアンのことを話しました。それを聞いた彼女は、「彼は、あなたの孫じゃないのね」と言いました。本当に驚きました。彼は私の孫です。子供を産んだ人たちが「自分の子供」と言うのと同じように、エイドリアンは私の孫です。
子供を産む。特別養子縁組をする。里親になる。子供は色々な方法で育てられ、そしてそれぞれの自分へと成長します。親は、そのために必要な役割を果たします。彼らを愛し、安全で安心できる存在となり、彼らが自分に自信を持つための手助けをします。
私は、子供を産まなければ女性は完璧じゃないとは思いません。仕事が大好きだし、家族が大好きです。養子でも里親でも、私の母親の部分は、子供たちに成長させてもらえます。
私は、自分で子供を産まないと決めました。だけど子育ては卵子と精子よりずっとずっと大きなことだと思っています。子育ては行動であり、選択です。
それは男性にとっても、女性にとっても変わらないことであり、血のつながりは関係ないと思います。
ハフポストUS版の記事を翻訳しました。