先週、中央大学でも卒業式が行われました。私は学科の卒業式・修了式の司会を担当。
学位の授与式では卒業生の名前を読み上げたのですが、これが難しい。
名前を間違えたり読み飛ばしてはいけませんので、かなり緊張しました。
緊張していたせいか、日頃の運動不足か、どうしてかわかりませんが、名前を読み上げている途中で足がつって(人知れず)悶絶。
それはさておき、卒業して行く学生たちはすぐに就職、入社ですね。
今の学生は「大企業に入れば安泰」と思っている人は少ないでしょう。
緊張感を持っているという点では、私が学生の頃よりもはるかにしっかりしていると思います。
働かなければいけない期間よりも、事業の寿命、会社の寿命が短くなってしまった今では、サバイブするためには環境の変化に合わせて学び続けるしかありません。
環境が変わる前に、自分が変わり続けること。
問題は学ぶ習慣を持続できるか。
学生の時はお金を払っているのですから、学ぶことができるのは当たり前でした。
一方、就職するとお金を貰う訳ですから、学んだ知識をもとに貢献することが求められます。
インプットではなく、アウトプットが求められるのです。
OJT:オンザジョブトレーニングなどと言うと聞こえは良いですが、要は勉強なんてしてないで働け、ということでしょう。
私が就職した時は、担当したフラッシュメモリの開発が存亡の危機だったこともあり、研究所であっても、論文を読んでいたら「遊んでいる」と見なされる風潮もありました。
勉強は自宅でしろ、会社に居る間は事業に貢献しろということです。
ではアウトプットするための勉強はどこでするかというと、やりくりしてプライベートの時間を使ってやらざるを得ません。
お金を貰う、働くというのはそういう事なのでしょうね。
企業の中では「勉強しろ」などと言われない反面、目先の作業をしていると、勉強しなくても何となく過ごせてしまう面もあります。
これはとても危険なことです。
今まで得た知識でできる仕事を続けて定年まで過ごせるとしたら、かなり幸運です。
たいていは「目先の仕事をしろ」と言われ続け、本当にそれだけしかしてなかったら、事業が傾いた時に「お前はそれだけしかできないのか」と言われる始末。下手するとリストラにあうわけです。
小学校、中学、高校、大学、大学院と学ぶ知識は高度になって行きますが、一番大切なのは、学び方を身に着けること、学ぶ習慣をつけることではないかと思います。
卒業して就職すると、もう「勉強しろ」と言ってくれる人も、勉強する内容を指示してくれる人も居ません。
自分で動機付けし、全て自分でやらなければいけないのです。
学生の時にどのように過ごしてきたか、学ぶ習慣がついているか、いよいよ、真価が問われます。
一人で学んでいる過程でもし壁にぶち当たったら、大学の教員などにもう一度相談すると良いと思います。
卒業して行ったみなさんが社会で活躍し続けられるよう、サポートを続けるのも大学、教育機関の重要な役目ですので。
(2016年3月27日 「竹内研究室の日記」より転載)