■火星探査機「ビーグル2」、12年ぶりに発見される
2003年に火星で消息を絶ったと考えられていたイギリスの火星探査機「ビーグル2」が発見された。
巨大な懐中時計に似たその探査機は、火星に軟着陸をして数々の機器やソーラーパネルを展開し、生命体を探す予定だった。
欧州宇宙機関(ESA)の火星探査機「マーズ・エクスプレス」と共に火星まで旅をした「ビーグル2」だったが、2003年のクリスマスに火星表面へと降下を始めた直後に、交信が途絶えた。
10年以上の間、探査機は失われたと思われていたが、科学者たちはNASAの探査機「マーズ・リコネサンス・オービター」が撮影した画像を使って火星の表面を捜索し続けていた。
そして、ついに火星表面で発見された。
ロンドン王立協会で行われた記者会見で、イギリス宇宙庁のデービッド・パーカー長官は「今日、我々は自信を持って言えます。『ビーグル2』はもはや消息不明ではないということです」と述べた。
この発見により「ビーグル2」は“成功した失敗”〔1970年4月にアポロ13号が爆発事故を起こした時、搭乗員が機転を効かせて無事地球に帰還した出来事を指す〕となったとイギリス宇宙庁は言う。厳密に言えば、欧州で初めて別惑星への着陸に成功した探査機となる。
パーカー長官は高解像度カメラ(HiRISE)を搭載したNASAの探査機からは、「ビーグル2」が”火星の表面に存在している”十分な証拠が得られたという。
「我々が見ているのは墜落現場ではありません」と彼は言う。「これらの画像に写っているのは、火星着陸に成功したが部分的にしか展開しなかった『ビーグル2』なのです」。
上:火星を周回するNASAの高解像度カメラ(HiRISE)が撮影した探査機
■ ネット上で亡きプロジェクトリーダーに哀悼の声
このニュースに対するソーシャルメディア上の反応は非常に大きかった。その多くは、「ビーグル2」プロジェクトを率いたコリン・ピリンジャー教授が2014年5月に死去していたという、悲しい事実に向けられたものだった。
あと少しだったのに、才能あふれる教授よ。
コリン・ピリンジャー氏(それから彼の得意料理のマトン・チョップ)が、発見された「ビーグル2」を生きて見られなかったのは残念だ。
ピリンジャー教授が生きていたら今頃本当に幸せだったことだろう。私でさえ「ビーグル2」の発見に興奮している。
コリン・ピリンジャー氏の家族は複雑な気分だ。ピリンジャー氏の娘は、「発見はすばらしいことだ」と語った。しかし、もう少し早ければと残念に思っている。
ジョージ・フレーザー教授(レスター大学)やデイビッド・バーンズ教授(アベリストウィス大学)も2014年に亡くなっている。
■「ビーグル2」はどのように発見されたか
イギリス宇宙庁は、次のように説明している。
「この画像は『ビーグル2』探査機が部分的に展開した構造の中にあったものを写しだしています。後部カバーらしきものと誘導/減速用パラシュート(まだ切り離されていない)とメイン・パラシュートがそばに写っています。『ビーグル2』は小型であるため(展開した着陸機は直径2メートル未満)、火星を周回する撮影システム(カメラ)の検出限界ぎりぎりでした。
対象は着陸予定範囲内で、着陸予定範囲の中心から5キロ以内にあります。探査機の画像のいくつかを分析したところ、探査機のサイズと形が一致すると確認されました。しかし画像データからは、着陸後に部分的にしか展開されなかったことが見て取れます。それが探査機からの信号やデータが受信されなかった原因でしょう。RFアンテナを広げてデータ送信や地球からの指令の受信を行うにはソーラーパネルが完全に展開されなければいけないからです」。
こちらは宇宙庁が探査機だと主張する物体のより鮮明な画像。
また、イギリス宇宙庁はこの画像で探査機に何が起きたかを説明した。
会見に先立ち、オープン大学の地球惑星科学教授デイビッド・ロザリー氏は、探査機が2003年に火星へ無事に着陸したものの、機能不全により地球への情報送信ができなかったことを証明する画像が公表されるだろうと語った。
ロザリー氏は「今後公開されると思われるのは、火星表面の『ビーグル2』が写った写真、火星表面の『ビーグル2』が写っていると思われる写真です」と述べた。
「ソーラーパネルが一部しか展開していないように見えます」。
ロザリー氏はまた、「12年前に探査機を失った時にみんなが思ったよりも結果は良かったと私は考えます。着陸予定地点の近くに着陸したと判明したのはよいことです」。
レスター大学の宇宙研究プロジェクトのマーク・シムズ教授は次のように述べた。
「2003年以降、クリスマスにはいつも『ビーグル2』に何があったのかを考えていました。2003年の私のクリスマスは、火星からのデータ受信ができなかった失望感で台なしになりました。実を言うと、『ビーグル2』に何が起きたかを知ることはもうできないと、ほぼあきらめていました」。
「これらの画像は、我々が火星に関する科学的な目標に限りなく到達したことを示しています。イギリスやヨーロッパや世界中の多くの人や企業が、『ビーグル2』製作のために懸命な努力をしましたが、これらの画像によりその正しさが証明されました」。
「高度に複雑な突入、降下、着陸の一連の流れは完璧だったようです。展開の最後の段階だけ、『ビーグル2』は問題に直面してしまったようです。チームが4年あまりの期間で『ビーグル2』を制作し、火星の表面に無事着陸させたことは偉業だと思います」。
「『ビーグル2』がもたらしてくれたであろう、世界に認められる科学的成果を得られなかったことは非常に残念です。また2014年に亡くなったコリンや他の仲間たちが、『ビーグル2』が火星への着陸に成功したことを生きて知ることができなかったのはもっと残念です」。
チャールズ・ダーウィンの有名な船にちなんで名付けられた「ビーグル2」は、資金の多くを個人からの寄付とコリン・ピリンジャー教授が率いた広告キャンペーンにより集めたという点で、ユニークな宇宙探査ミッションだった。
■ 「ビーグル2」の数奇な運命
「ビーグル2」は2003年6月にロシアのロケットによってカザフスタンから打ち上げられた火星探査機マーズ・エクスプレスによって運ばれた。
このミッションのコールサインはイギリスのポップバンド「ブラー」により作曲された。また着陸後に探査機のカメラと分光計を調節するのに使われたキャリブレーション・チャートは美術家ダミアン・ハーストによりペイントされていた。
「ビーグル2」は12月26日に火星の赤道付近のイシディス平原に着陸する予定だった。しかしマーズ・エクスプレスから切り離されて火星表面に向かったあとは消息不明となっていた。
小型で低予算の探査機であったにもかかわらず、「ビーグル2」は最新式機材をいくつか搭載していた。
この小型のテクノロジーのいくつかの要素は新しい火星探査車「ExoMars」にも採用される予定である。ExoMarsは生命の痕跡を求めて2018年に火星へ送られる欧州の探査機である。
この記事はハフポストUK版に掲載されたものを翻訳しました。
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