日本海海戦から111年 日露戦争で最大の海戦を振り返る(画像集)

日本の勝利を決定づけた、歴史的海戦の様子を振り返る。
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日露戦争での最大の海戦「日本海海戦」から、5月27日に111年目を迎えた。日本の勝利を決定づけた歴史的海戦の様子を振り返る。

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1904年2月に日露戦争が始まると、ロシアは同年10月、日本海軍の撃破と輸送路の分断を狙い、軍艦38隻からなるバルチック艦隊を極東のウラジオストクに向かわせた。

ロジェストヴェンスキー司令長官率いるロシア艦隊は1905年5月27日に対馬海峡に到達。これを事前に想定していた連合艦隊は午前6時21分、「敵艦見ユ。(中略)本日天気晴朗ナレドモ波高シ」と大本営に打電。対馬沖でバルチック艦隊を迎え撃った。連合艦隊は、旗艦「三笠」に掲げられたZ旗を合図に戦闘を開始。これは後世、慣用句「Z旗を掲げる」の由来となった。

バルチック艦隊は、半年にわたる長距離航海で物資・士気の消耗もあり苦戦。これに対し東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊は、参謀の秋山真之が考案した「丁字戦法」を採用。事前の訓練の効果もあり、戦闘を優位に進めた。2日間の激しい砲撃戦の末、ロシア側に壊滅的打撃を与えた。バルチック艦隊38隻のうち、ウラジオストクに入港できたのはわずか4隻だった。この海戦で、日露戦争における日本の勝利が事実上確定した。

日本海海戦の勝利を記念し、1906年に毎年5月27日を「海軍記念日」とすることが制定されたが、この記念日は第2次世界大戦後に廃止された。