参院選の投票日を前にして、バングラデシュで痛ましいテロ事件が起きた。
テロの犠牲になった中には、日本人も7人含まれていた。その中には、武装集団に対して「私は日本人だ!」「どうか撃たないで」と英語で懇願した人もいたという。
「戦争しない国」「イスラムに敵視されない国」「軍隊がない国」。そんな漠然としたこの国へのイメージが国際社会で共有されているという思いがあったからこそ、「日本人だ」という言葉が出たのだろう。しかし、日本人であることで免責される時代は終わった。このテロは、その事実を突きつけてくる。
テロ事件の翌々日、テレビを見ていると、安倍首相が選挙の応援演説をしていた。その中で首相はバングラデシュでのテロ事件に触れ、「テロを根絶するために、各国と連携していく」などと街宣車の上で語っていた。
開いた口が塞がらなかった。
2015年1月、よりによってイスラエル国旗の前で2億ドル出すなどと「ISとの戦い」を事実上宣言したことで、安倍首相は人質となっていた後藤健二さん、湯川遥菜さんの2名の命を危機に晒した。そして、2人の命は無残な形で奪われた。
その際にISは、以下のような声明を出している。
「アベよ、勝ち目のない戦いに参加するというおまえの無謀な決断のために、このナイフはケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を、場所を問わずに殺戮するだろう。日本の悪夢が始まる」
報道によると、武装集団は日本人を狙って殺していたという。また、今回のテロ事件の声明文には、「我々は日本人の殺害に成功した。このような攻撃を今後も継続する」という一文もある。
安倍晋三という一人の人間の、国際情勢をまったく把握していないかに見える無神経な言動によって、この国に生きる人々はISに敵視され、「殺戮の対象」となってしまった。
「テロとの戦い」。安倍首相は声高に言う。が、私たちが9・11テロ以降見てきた現実は、「テロとの戦いは終わらない」ということ、それどころか憎しみはどんどん増殖していくということではないだろうか。
バングラデシュでテロが起きた2日後、イラク・バグダッドでもテロが起き、100人以上が死亡した。ISは5月に、「ラマダン中のテロ」を呼びかけており、バングラデシュのテロもトルコの空港テロもバグダッドでのテロも、それに呼応したものとみられている。そんな状況を受け、そしてイラクの首都でのテロという報道を受け、改めて思い出したのは、イラク・ファルージャの惨状だ。イラク政府軍がISからファルージャを奪還するために、この数ヶ月、ファルージャでどれほどの悲劇が起きていたか、一体どれくらいの人が知っているだろう。
「人間の盾」として最大で9万人とも言われる市民がファルージャに閉じ込められ、支援物資は届かず住民は餓死寸前。5歳の子どもが「空腹に耐えられないから殺してくれ」と親に懇願するような事態になっていたのだ。
このことを知らなくても、ある意味で仕方ないのかもしれない。なぜなら、日本ではほとんど報道されないのだから。しかし、安倍首相だけには「知らない」とは言わせたくない。なぜなら、これほどにISが台頭してきた背景にあるのは、まぎれもなくイラク戦争とその後の泥沼の混乱であり、安倍首相はイラク戦争当時、内閣官房副長官だっただけでなく、その後の多くの時期を責任あるポストで過ごしてきたからだ。日本が真っ先に支持した戦争によってイラクでどれほどの悲劇が日々繰り広げられてきたか、そしてそれが今も続いているということを、「知らない」では絶対に済まされない。
しかし、各国がイラク戦争を「間違った戦争」であることを認め、政府をあげて検証が進められている中、日本はなんの検証もせず、それどころか「間違っていなかった」というスタンスでの答弁を繰り返して、安保法制は成立した。
5月末、民間有志によって、イラク戦争の検証をする公聴会が日本で初めて開催された。第一回目の証人は、元防衛官僚の柳澤協二氏。自衛隊イラク派遣の実務責任者だった柳澤氏は、当時のプロセスを検証し、自省を込めて発言を続ける貴重な存在だ。
そんな公聴会に参加し、なんとも言えない気持ちになった。「アメリカが戦争始めるっていうんだから、支持しないわけにはいかないよね」という大前提。官僚や責任ある立場の人々の大いなる思考停止。一人ひとりが疑問を感じても、その疑問は決して口に出されることはない。巨大な組織の中で、みんなが空気を読み合い、「戦争支持」の空気はより強固なものになっていく。そうしているうちに「誰も責任をとらないシステム」ができていて、日本は戦争を支持し、イラク戦争が始まった。
それから13年。当時、決定に関わった官僚の中には既に退職している人もいれば異動している人もいるだろう。そんな人々にとっては、「イラク戦争」など大昔の思い出になっているかもしれない。が、この十数年の間、イラクではシーア派によるスンニ派への凄まじい弾圧が行われていた。目を覆いたくなるような虐殺が続いていた。そこから、ISが生まれた。
ちょうど今月には、イギリスでイラク戦争検証の報告書が出るという。イラク戦争に加担した国々は、ちゃんと「間違った戦争になぜ加担してしまったのか」を検証している。それなのに、この国は検証をする気など微塵もない。それどころか、首相がわざわざISに喧嘩を売ってこの国の人々を危険に晒している。中東やイスラム圏に親日的な空気があるのに、それを自らブチ壊すようなことばかりしている。
選挙の前に、問いたい。あの人が首相で居続けることが、どれほどの実害を生み出してきたか。
そして問いたいのは外交政策だけではない。憲法改正はもちろん、アベノミクスの評価などだ。
非正規雇用率は過去最高の4割となり、14年の国民生活基礎調査で「生活が苦しい」と答えた人の割合は62.4%と過去最悪。貯蓄ゼロ世帯も3割以上と過去最悪だ。また、安倍政権になってから年収200万円以下のワーキングプアは100万人以上増えているという現実もある。
生活保護基準の引き下げで、経済的にもっとも厳しい層の生活は破壊され、現在、全国27都道府県で900名近い当事者が原告となり、「生活保護基準引き下げは憲法25条の侵害」と違憲訴訟を起こしている。また、自分の世代であるロスジェネは、アベノミクスの恩恵などどこ吹く風。非正規から正規に転じた層がほとんどいない。年を重ねた分、ますます正規化への道は険しくなるばかりだ。
安倍政権は、格差と貧困を更に深刻化させているのだ。
それだけでなく、今度は「貧困層を、奨学金をエサに自衛隊に誘う」という、米軍とそっくりそのまま同じことをしようとしていることが最近明らかになった。
7月2日のしんぶん赤旗によると、防衛省が「ROTC(予備役将校訓練課程)」という米軍の制度を参考に、新たな募集制度を検討しているのだという。内容はというと、自衛隊入隊を前提とした奨学金の支給など。アメリカでは、受講生には学費や生活費が支給されるものの、部隊訓練や軍事に関する講義が義務づけられ、一定期間、軍勤務が義務づけられるという。圧倒的多数が貧困層とのことだ。
これを参考にして、日本でもやろうということが検討されているのである。
今や、大学生の2人に1人が背負っている奨学金という借金。労働者福祉中央協議会の調査によると、借入総額は平均で312万9000円。奨学金を受けた34歳以下のうち、非正規労働者の5割超が返済を苦しいと感じ、24.3%が延滞を経験しているという。
「奨学金延滞者には、防衛省でインターンを」。文科省の有識者会議で経済同友会のメンバーがそう述べたのが14年5月。それから集団的自衛権行使容認が閣議決定され、昨年9月には安保法制が成立した。その間に、民間船員の予備自衛官化の予算が勝手に組まれ、「女性の活躍」の一環として、女性自衛官を戦闘機パイロットに起用することが決まったりと、事態はめまぐるしいスピードで進んでいる。
ふと、10年前、自分が貧困問題を始めた頃と比較すると、「戦争」が恐ろしいほどの勢いで近くなっているのがわかる。だって07年には「希望は、戦争」という論文が大注目を浴びたのだ。10年前には「ガラガラポンの象徴」として使えた「戦争」という言葉は、今や笑えないほどリアルなものとなった。
戦争には、貧困が必要とされる。しかも民営化された現代型の戦争には、給食から暗殺、郵便や清掃から売店の店員まで、大量の戦場出稼ぎ労働者が必要とされる。イラク戦争には数千の民間企業がかかわり、世界中の貧しい国から労働者が集められ、多くの人が武装勢力に誘拐されるなどして亡くなった。が、もちろん「戦死者」としてなどカウントされない。
この10年間、静かにいろんなことが変化していって、そして気がつけば一見同じに見える風景が、土台から変わっていた。
10年後、一体どうなっているだろうと思うとスッと背筋が寒くなる。
原発政策に象徴されるように、この国の高齢の権力者たちは、目先のことしか考えない。50年、100年先のことなど考えていない。自分が存在しない未来などどうでもいいらしい。
だからこそ、50年、100年先を見据えたような人に多く国会に行ってほしいと心から思う。
前回も書いたが、私はこの3年間、山本太郎という議員を通してたくさんの現場の声を届けてもらった。彼のような人があと10人いれば、国会は必ず変わる。絶対に絶対に、根底から変わる。だからこそ、その一人目に三宅洋平氏になってほしい。絶対一緒に牛歩とかしてくれそうだ(もちろん、牛歩をするようなシチュエーションにならないに越したことはないのだが)。わかりづらい永田町の言葉ではなく、等身大の魂のこもった言葉で、子どもにもわかるように様々な問題を訴えてくれるはずだ。
そしてそして、今回の選挙で必ず通ってほしいのは福島みずほさん。みずほさんにも、本当に多くの現場の声を届けてもらった。
投票日まで、本当にあと少し。
どうかどうか、出会う人間全員が競争相手で、敵で、ライバルで、蹴落とす対象、なんて「最悪の出会い方」しかできない社会ではなく、当たり前に他者を思いやり、助け合い、誰もが「助けて」と言いやすい社会になりますように。この選挙結果が、その一歩となりますように。
ただただ、そう祈っている。
(2016年7月6日「雨宮処凛がゆく!」より転載)