世界にひとつだけのブラウス作りと「世界の先住民の国際デー」

テイラードカンは街のそこら中に点在していて、どこも男性の職人さんたちがミシンを鳴らし......そんな風景が見られます。

私はバングラデシュではいつも、お正月などの祭事や結婚式、大事な会がある時に、「その日は何を着ようかな?」という感覚で服を新調しています。着たい服のイメージが決まったら、上の写真のような布屋さんで布を選び、家の近くのテイラードカン(仕立て屋)へ持って行き、デザインやサイズを口頭や写真で伝えて、作ってもらっています。

バングラデシュは「縫製産業の国」と言われるだけあって、この手の仕事がとても得意!

出来合いの伝統服でもデザインが可愛いものもあるし、最近は洋服も売られ始めているけれど、まだまだ生地から自分好みに服を仕立てるほうが一般的。いちから選んで作れば、ボタンやレース、デザインすべてが自分の理想のままです。その行程や買い物は、面倒というより断然楽しく、しかも出来合いの服を買うよりも安いというのがまた魅力! オーダーメイドの敷居が高い日本ではなかなか体験できませんよね。

今回は、8月9日「世界の先住民の国際デー」の式典に行くため、チャクマ民族の伝統衣装ピノン・ハディの中に着るためのブラウスを新しく一着、と思いオーダーをしたので、それについてお話します。

世界に一着、私だけのブラウスを作ろう

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Natsumizo

布を買ったら、だいたいいつもその足でテイラーに立ち寄り、オーダーまで済ませてしまいます。テイラードカン(仕立て屋)は街のそこら中に点在していて、どこも4~6畳ほどのスペースに男性の職人さんたちがミシンを鳴らし......そんな風景が見られます。

私のブラウスは注文から2日で出来上がりました。

正直私は、日本では服などにあまり興味がなかったのですが、バングラに来てこの文化を知ってから、お洒落をすることがチョット好きになりました。この国の服が好きだからバングラに暮らしている、と言っても過言ではありません。

布を買ったら隣のリボンドカンへ

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今回のブラウス作りでは使いませんでしたが、上の写真のようなレースやリボン、ボタンや装飾品などの専門店(リボンドカン)なんかもあって、そこにはキラキラ・ワクワクの空間が広がります。日本ではなかなか出会えないような装飾に色使い......見ているだけで楽しいですよね。

新調のブラウスとチャクマ民族の伝統服「ピノン・ハディ」

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今回のブラウス一着の費用は、布が1ゴーチ(1m)で200タカ + 仕立て代 250タカ、日本円で言うと合計約600円でした。

私にとって、チャクマ民族の伝統衣装「ピノン・ハディ」は、日本で浴衣を着る日のように、少しの緊張とトキメキをくれるお洒落着です。

手織りのピノン・ハディについては、また別の機会に書きたいと思っていますが、今回は手作りブラウスがこんなにピッタリ、理想通りにできたことをお伝えしておきます♪

何でも作ってしまう仕立て職人たち

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ブラウスの受け取りと同時に、チッタゴン丘陵地帯の村で買ってきた(現地でしか手に入らない)マルマ民族伝統の布をお店に渡して、今度はマルマのスカート「マルマ・タミ」とトップスをオーダーしました。

この柄の布は現地の村以外ではほぼ手に入らないので、街の仕立て屋さんでは最初どのように扱ったらいいか分からないようでしたが、ベンガル人のおじさん職人に写真を見せながら伝え、今では上手に作ってくれるようになりました。何でも作れてしまう彼らを心から尊敬!

写真は左3つがマルマの生地。私がいちばん好きな民族衣装です。出来上がるのが楽しみ!

8月9日は「世界の先住民の国際デー」

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1994年、国連が8月9日を「世界の先住民の国際デー」にすると宣言しました。この日は世界中で先住民の権利についての啓発活動、式典やプログラムが開催されています。バングラデシュでは、この式典が開かれて今年で10回目を迎えます。

私は2年前、現地の少数民族(先住民族)の友人に招待してもらって、初めてこの日の存在を知りました。先住民族、少数民族......日本で暮らしていた頃は考えもしない、遠い存在だったもの。

3年前にその存在も知らずバングラデシュに暮らし始めて、5年前に卒業制作を撮りに来ていた時に既に友達になっていた家族が実は少数民族だと後から知り、一度知った途端、一気にそちらの世界に引きこまれ、今やこちらでの友人は少数民族の人たちばかりです。この国でたった1%しかいない彼らが、私の周りにはたくさんいます。

特にハッとさせられたのは、仲良くなった少数民族の人たち皆に聞かれた、「日本にも、僕たちみたいな少数民族っているの?」という質問でした。その時、あらためて考え、学生の頃に社会科で習ったり、北海道への修学旅行で記念館を訪れたりした「アイヌ」の人たちのことを思い出しました。

みんなが心地よく生きられるように

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今バングラデシュには、48の少数民族コミュニティがあると数えられています。

私は、主にチッタゴン丘陵地帯のジュマ(11民族の総称)の人たちから、少数民族としての苦労や未だ続く問題を教わり、アイヌの人たちも同じような境遇を日本で味わってきて、色々なことを乗り越えて今に至るのかな、と想いを馳せるようになりました。それまで日本で少数民族の存在をほとんど気に留めてこなかった自分を恥ずかしく、悲しくも思いました。

「少数民族について詳しく知らないよ」と答えることは、私に質問をしてくれたバングラの少数民族の友人たちに「あなたのことは誰も知らないよ」と言い返すことになるかのように感じ、そこからアイヌの人々、そして琉球の人々のことも意識的に見つめるようになりました。

アイヌの存在の美しさや大切さにきちんと気付いていた作家が「カムイ」というタイトルで映画や漫画にして伝えていることや、琉球王国が滅亡し、さらに戦争の歴史に大きく影響をされながらも素敵な音楽や才能を発信する琉球アーティストの誇りやたくましさにも敬意を感じています。

今からでも遅くない、少数民族にも目を向けること

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今回私が参加した式典も、実際には政治家や偉い方の難しいスピーチから始まり、集まるのも同じ先住民族のメンバーばかりで、この式自体に意味はあるのだろうかと切ない気持ちになりました。ただ、道行く華やかな伝統服にわぁっと魅了されるベンガル人や、披露されるダンスパフォーマンスへの注目で場がひとつになった瞬間を見て「やっぱり芸術の力は大きいな」と思わされました。

少数民族の人たちが抱える葛藤として世界共通でよく言われるのは土地や人権、教育問題です。少数民族が独自の言葉や文化で暮らすことを差し止めて同一化に突き進んでほしくない。少数民族が、一国を彩る要素であってほしい。

8月9日「世界の先住民の国際デー」という日があり、バングラデシュの先住民族の友人たちもこうして多くの人に存在や魅力を伝えようと式典を開いていることを、ひとりでも多くの方に知ってもらえたらと願っています。

Ambassadorのプロフィール

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Natsumizo

1985年、宮城県女川町生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリー制作のためバングラデシュを訪れる。

卒業後、Documentary Japanに務める。2014年、学生時代作品への心残りや日本よりも居心地の良さを感じていたバングラデシュに暮らし始めることにし、作品テーマや自分の役目(仕事)を再び探すことに...

その中で出会ったこの国の少数民族に魅力とシンパシーを感じて、彼らと共に生活していきたいと思う。ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』(国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞および青年海外協力隊50周年賞受賞 http://youtu.be/BlxiN2zYmjE)、カメラ教室、クラウドファンディングや写真集『A window of Jumma』の制作などを行ってきたが、この地で映像作品制作を続け、この先は映画上映会(配給)や映画祭などの企画にも挑戦していきたいという夢を抱いている。