バンコク「反政府デモまだまだ続く」 混乱のタイ情勢を解説 浅見靖仁教授

政情不安が続くタイ。首都バンコクでは反政府派のデモが続き、警察当局との衝突も深刻化している。一橋大学の浅見靖仁教授(東南アジア政治)は、混乱がしばらくは続くとの見通しを示した。
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BANGKOK, THAILAND - JANUARY 21: Caretaker Prime Minister of Thailand Yingluck Shinawatra speaks to the media after a meeting with her cabinet amid continuing anti-government protests on January 21, 2014 in Bangkok, Thailand. Starting tomorrow, the Thai government will impose a 60-day state of emergency in Bangkok and the surrounding provinces, in an attempt to cope with the on-going political turmoil. (Photo by Paula Bronstein/Getty Images)
Paula Bronstein via Getty Images

政情不安が続くタイ。首都バンコクには日本人駐在員も多く、また日本人にとってタイは人気の観光地なだけに、状況が心配される。2月2日の総選挙の投開票日を挟んでバンコクを訪れ、選挙の現場を視察した一橋大学の浅見靖仁教授(東南アジア政治)に話を聞いた。浅見教授は「議会の正式招集までには半年はかかるのでは」と話し、混乱がしばらくは続くとの見通しを示した。

タイでは昨年(2013年)11月からインラック首相の退陣と兄のタクシン元首相の影響力排除を求める反政府派のデモが続いている。デモ隊はバンコク内外で一部の政府庁舎を封鎖して占拠を続けており、日常業務が滞ったままだ。また、選挙管理委員会はいまだに選挙の結果を発表していない。一方、警察当局は2月14日、デモ隊が籠城(ろうじょう)する一部の拠点で強制排除に踏み切り、2月18日にも衝突があって死傷者が出た。デモ隊は反発を強めており、緊張が一層高まっている。

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タイ情勢を解説する一橋大の浅見靖仁教授

――タイには多くの日本人が暮らしています。バンコク中心部にあるデパートの伊勢丹は日本人も多く利用していますが、目の前をデモ隊が占拠しており閉店時間を早めているそうです。どういう状況でしょうか。

報道を見ているとバンコク全体の治安が悪くなっているように見えるかもしれませんが、デモ隊が占拠している場所は一部です。ほとんどの場所は平穏で、多くの人たちは平常に近い生活を続けています。

■都市と農村とで国民が断絶

――総選挙の後でも反政府デモ隊による占拠が各地で続いています。

都市と農村とで国民が断絶しています。大まかに言って北部、東北部を中心とした農民はタクシン氏を支持し、バンコクなど都市部の人たちの多くはタクシン氏に反感を抱いています。

タクシン氏は新興企業のオーナーから政界に転じ、2001年に首相に就任しました。地方の農民に手厚い政策で人気を集めました。一方、都市の中間層や知識層らは「票目当てのばらまきだ」などとタクシン派を批判してきました。

2006年、軍事クーデターによってタクシン氏は失脚しました。その後、反タクシン派が政権を握ったものの、2011年には選挙を経て妹のインラック氏が首相に就任しました。今回の混乱は、汚職の罪で海外逃亡中のタクシン氏の帰国を可能にする恩赦法案を政府・与党が推進したことが発端となっています。2013年11月には強行採決しました。反政府デモ隊を主導しているのは反タクシン派の民主党政権時代に副首相を務めていたステープ氏です。

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――反タクシン派の野党・民主党は総選挙をボイコットし、多数の選挙区で反政府派が開票作業や有権者登録を妨害する事態となりました。下院を開くために必要な定足数にも足りません。民主主義を否定しているのでしょうか。

ステープ氏らが主導する反政府派は「自分たちは民主主義のために戦っている」と強調しています。「政治改革をすべきだ」「汚職はよくない」と唱えているのですが、実際のところは選挙制度改革をしたいと思っています。つまり、現在の小選挙区制から中選挙区制に変えて、自分の党に有利にしたいのです。

一方のタクシン派の政権側は選挙第一主義で、「選挙を経ていない裁判官は偉そうなことを言うな」「タクシン派の政権に文句があるなら、選挙で勝ってみろ」と思っています。

――農村部と都市部との溝は埋まらないのでしょうか。

都市では、高度経済成長期の日本のように中間層が増えています。ただし、日本のように農村出身の中間層が増えたのではなく、都市の下層だった人々が中間層に上がったのです。都市下層だった人たちは中国から来た移民の子孫が多く、農村を知らない人たちなのです。

都市の人たちは、農村のことを知りません。反タクシン派は「無学の農民は民主主義が何かも分かっていないし、貧しいので簡単に買収されてタクシン派に投票している」と言います。しかし実際には、農民の教育レベルは上がり、みんなが携帯電話を持つ時代です。反タクシン派のコメンテーターが「大学を出ている人と、そうでない人とが同じ1票でいいのか」などと農村の人たちをバカにするような発言をしているのも農民たちは知ってもいます。

タクシン派の政権にも問題はあるものの、農民を蔑視するような発言をする議員の多い民主党や今回の反政府デモを支持する気になれない、という農民たちが北部や東北部には多いのです。

今のまま経済成長が続けば都市と農村との対話の場ができるのでしょうが、まだそれが少ないのが現状です。

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バンコクのデモ隊

■国王の調停で収まる可能性は低い

――タイには国王がいます。王室はどう関係しているのですか。

農民の多くは、プミポン国王はあまり何もしてくれないのに、タクシン派は目に見える成果を与えてくれると思うようになっています。タクシン氏は王室に十分な敬意を払わなかったとして、王室や関係者から嫌われています。国王は2003年の自身の誕生日の演説で、タクシン氏に批判的な発言をしました。でも、その後も農村部では、タクシン氏の人気は落ちませんでした。

翌2004年の誕生日の演説では、国王はタクシン氏を批判するようなことは何も言いませんでした。国王の誕生日の約2か月後に総選挙が予定されており、国王が批判しても、その選挙でタクシン派が勝つと国王の面目丸つぶれになるからタクシン氏への批判的な発言は控えた、という見方をする人が少なくありませんでした。つまり、農村部では、国王と首相とで権威が逆転しかねない状況になったのです。王室関係者の中には、こうした状況に危機感を抱き、2006年の軍事クーデターの際には軍側を支持し、2007年と2008年に憲法裁判所が、タクシン派の政権に解党命令を出した際にも、判決を歓迎した人が多かったといわれています。

現在でも王室関係者には、タクシン氏を好ましく思わない人が少なくありませんが、最近、皇太子とタクシン派の関係が改善し、以前のようには王室関係者が反タクシンの立場で一致団結できる状態ではなくなっています。また国王は現在86歳と高齢で、健康状態もすぐれず、政治に直接的に介入できる状況ではありません。したがって1992年の時のように、国王の調停で争いが収まる可能性は非常に低いです。反タクシン派の中には、タクシン派と関係を改善させた皇太子が王位に就く前に、なんとかタクシン氏の影響力をそぎたいと考える人が少なくなく、そのことが、今回ステープ氏がなかなか妥協しようとしない原因の1つだとも言われています。

――今後の展開をどう見ていますか。

当分の間は、反政府デモ隊が市内各所を占拠している状況がまだまだ続くでしょう。選管は、2、3カ月は選挙結果を正式には出さないでしょう。議会が正式に招集されるにはあと半年はかかると思われます。その間に、反タクシン派色の強い裁判所が政党解散命令やインラック首相の公務停止命令を出すかもしれません。そうやって政権を追い込む可能性もあります。

タクシン氏自身は、反政府デモ隊に対して我慢の限界にきているとされています。さらに、反体制派がデモを続ければ人々がこれに飽きてデモへの支持が減ると思っているようです。

一方の政権側は、「コメの買い上げ制度」という問題を抱えています。以前はコメ1トンが1万~1万2千バーツで売れていたものを、政権は買い上げ制度の下、1万5千バーツで買い上げています。担保融資の形を取っており、すぐに現金を農民に支払うのではなく証書を渡します。しかし買い上げたコメが全然売れておらず、不良在庫が大量に膨れ上がっており、政府は農民に支払う資金がなくなってしまいました。そのため、農民の政権への支持に翳りがみられるようになっています。

――今後、軍事クーデターが起こる可能性は。

軍は反タクシン色を弱めています。現在のプラユット陸軍司令官は、インラック首相を嫌いではないとされています。彼女が、人前で怒りを表さず、軍幹部に対して敬意を示しながら接することを気に入っているようです。一方、2006年にクーデターを決行した当時のソンティ陸軍司令官は、軍を退役したあとは権力を失い、小政党に所属する国会議員にはなったものの、あまり何もすることができず、途中からはタクシン派に擦り寄って、タクシン派の一員のようになっています。プラユット陸軍司令官も今年(2014年)9月末に、定年退官となります。最近のタイでは、軍の司令官は、退役すると一気に権勢を失います。プラユット陸軍司令官は、ソンティ元司令官と同じ目には遭いたくないと思っているでしょう。

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海外に亡命中のタクシン元首相(中)

――タクシン氏は首相に返り咲きたいのでしょうか。

タクシン元首相は現在64歳で、まだしばらくは元気でしょう。しかし本人は、再び自分自身が首相の座に就こうと思っているわけではなさそうです。負けず嫌いな性格で、負けたままでは終わりたくないと思っているのでしょう。タクシン氏が身を引くのが一番で、花道をつくれば従う可能性は高いでしょう。しかしそんなお膳立てはしたくないという人たちは少なくありません。

――経済的な影響も出ています。

これまでタイは、政治危機があっても経済成長を続けてきました。しかし、1月22日に政権が非常事態宣言を出してから、観光業界は大打撃を受けています。小売りにも影響が出ています。暫定内閣は新たな予算を付けることができないので新規の公共事業はストップしており、経済に悪影響を与えています。

アメリカの量的緩和が縮小し、中国経済も失速すると、タイ経済がうまくいかなくなるかもしれません。コメ買い上げ制度によって生じた多額の政府債務の問題もあります。

■「タイ人が優しいことも混乱の理由」

――混乱が長引くのは、タイの国民性のようなものも関係しているのでしょうか。

私はタイが好きで、その立場から言うと、タイ人が優しいことも理由だと思います。タクシン派か反タクシン派のどちらか一方が、政権を握った時に、相手を徹底的に壊滅させてしまえば当面の対立は解消するでしょうが、タイの人々はそれをやりません。

しかし、市民の間でタクシン派と反タクシン派との対立がエスカレートしています。友達でも家族の間でも、支援する派が違えば関係が悪くなっています。タイ人はFacebookやTwitterといったソーシャルメディアが好きなので、それを見ると、だれがどっちを応援しているのかすぐに分かってしまいます。

選挙の際には民主党に投票するという人たちの中にも、「タクシン氏は嫌いだけれども、ステープ氏もやりすぎだ」と思っている人もいますし、タクシン派の政党に投票する人たちの中にも、「タクシン氏にも問題がある」という人もいるのですが、両派の対立がエスカレートしている今は、そうした意見を言うことが憚られる雰囲気があります。

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記者(中野)は2011年夏、タクシン氏にインタビューをしました。60歳を過ぎていたのですが饒舌で肌つやがよく、パワーを感じました。記者は旧新潟3区出身なのですが、同区選出で「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた田中角栄元首相を彷彿とさせるような清濁併せ持つ政治家との印象を持ちました。私もタイが好きなので情勢が気になります。