「朴大統領弾劾」で計算が狂った「潘基文」の隘路――鈴木一人

事態が悪化すればするほど潘基文氏にとっては自らの政治的な立ち位置を見失い、大統領選での武器の有効性が失われていくという状況だ。

韓国国会で自らの与党であるセヌリ党の「親朴派」と言われる人たちの造反もあり、弾劾決議が可決された朴槿恵(パク・クネ)大統領。連日大規模なデモが続き、弾劾決議が採択された後も未だに即時退陣要求のデモが継続されているほど、韓国国民の怒りは強い。

こうした世論と国民の「主権者意識」に突き動かされる形で弾劾プロセスが進み、憲法裁判所での審議もそうした圧力のもとで展開されることになるであろう。

こうした動きを息を潜めて見守っている人物がニューヨークにいる。それは残りの任期があと1カ月を切った潘基文(パン・ギムン)国連事務総長である。現在はまだ国連事務総長の職にあり、韓国の国内政治のプロセスについてコメントすることもままならない状況であるが、任期が終わればすぐにでも韓国に戻り、大統領選に出馬する準備を進めると見られている。

しかし、その潘基文氏の戦略は、今回の朴大統領のスキャンダルの発覚から弾劾決議の採択に至ることで大きく狂い始めている。

どの党から出馬すべきか

潘基文氏の悩みの1つは自らの政治的立場をどこに置くのか、という問題である。彼自身の政治信条は穏健な保守であり、朴大統領とも近いため、当初セヌリ党からの出馬を検討していたと見られる。

すでに2016年4月に行われた国会議員選挙でもセヌリ党は「親朴派」と「非朴派」の内紛もあり、過半数割れという結果となっただけでなく、第1党の座を「共に民主党」に明け渡すという状況であり、党勢を失っていた。ただ、潘基文氏はこうした状況だからこそ、「親朴派」と「非朴派」の両者に受け入れられ、セヌリ党を代表できる唯一の存在として自らを位置付け、党内での全面的な支持を背景に大統領選に臨むと考えられていた。

しかし、今回のスキャンダルでセヌリ党の評判は大きく損なわれた。党内の亀裂だけでなく、「親朴派」と見られていた議員も弾劾決議賛成に回った結果、234の賛成票(反対は56票)で国会の3分の2の賛成多数で弾劾決議が採択された。

これはすなわち与党のセヌリ党から最低でも62票の賛成票が出たことを意味し、党の分裂は決定的な状況となっている。しかも、連日続くデモを見る限り、セヌリ党に対する支持は朴大統領のそれと連動して下がっていると思われる中で、党の代表として出馬する意味はほとんどない。

実際、潘基文氏はもともと外務官僚であり、「共に民主党」の前身である「ウリ党」の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権において外相を務めた人物である。そのため、彼は現在の野党から出馬することも不可能ではなく、党派性は薄い人物である。そのため、泥沼化した党内抗争を繰り広げるセヌリ党から出馬する意味はなく、かといって野党代表になるほどの権力基盤もない状態の中、自らの知名度と国連事務総長経験者としての権威と栄光を武器に、無所属として出馬するのが合理的であろうと思われる。

「実際の権限」以上のイメージ

しかし、そうした国内基盤の脆弱さは、朴大統領のスキャンダル発覚後から激しくなった政治闘争の場に足場を持たない、ということも意味する。

国連事務総長として、この騒動の外側にいて無関係であることは1つの利点ではあるが、国民の怒りが渦巻く中、その怒りを代弁する人物という位置付けにはなく、国民との距離は遠い。

朴大統領が支持された理由の1つとして、親族をも遠ざけ、清廉潔白な大統領として汚職やスキャンダルにまみれた過去の大統領とは異なるというイメージがあった。

潘基文氏は今回のスキャンダルには全く関与しておらず、その意味では清廉潔白さを訴えることはできるであろうが、国民の政治家に対する不信感や怒りが渦巻く中、そのイメージだけで勝負することは難しいであろう。

また、国連事務総長という地位は韓国国内では実際の権限以上のイメージで語られることが多く、「世界の大統領」という人もあり、そうした権威と栄光は、他の候補者にはない潘基文氏にとっての絶対的な武器であったと言える。しかし、そうした地位や権威は、今回のスキャンダルを契機に燃え上がった国民の怒りの前ではあまり有効な武器だとも言えない。

事態が悪化すればするほど潘基文氏にとっては自らの政治的な立ち位置を見失い、大統領選での武器の有効性が失われていくという状況にあって、これ以上の混乱は望ましくないであろう。ただ、12月5日に民間調査会社のリアルメーターが発表した世論調査では、次期大統領の候補としてトップを走る「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)氏の20.8%に次いで18.9%で潘基文が2位の位置にあり、まだ十分にチャンスはあると思われる。

「国連総会決議」の呪縛

朴大統領の弾劾決議が可決されたことは、潘基文氏の政治的立ち位置を難しくさせただけでなく、もう1つ大きな問題を突きつけることになった。国会で弾劾決議が可決された12月9日から大統領は職務停止となり、ここから180日以内に憲法裁判所が弾劾決議の妥当性を審査することになっている。

この点についてもすでに様々な論評が出ているが、朴大統領が任命した特別検察官の捜査を待つまでもなく弾劾の有効性が認められる可能性もある。

今後の憲法裁判所の審議日程を占うことはできないが、韓国の聯合ニュースは「早ければ春、遅くとも夏」までには大統領選が行われることになると見ている。そうなると潘基文氏にとっては不都合な問題が起こりうる。

それは1946年に国連総会で採択された総会決議11/1号による国連事務総長職の規定問題である。この総会決議では、国連事務総長の退職後の規定が4 (b)条でなされている。その部分を見てみよう。

4.(b) Because a Secretary-General is a confident of many governments, it is desirable that no Member should offer him, at any rate immediately on retirement, any governmental position in which his confidential information might be a source of embarrassment to other Members, and on his part a Secretary-General should refrain from accepting any such position.

(拙訳)事務総長は多くの政府から信頼される人物(a confident)であることから、いかなる加盟国も、退職後即座に彼(訳注:男性形のみだが女性にも当てはまる)に対し、他の加盟国にとって彼が持ちうる機密情報が障害となるような政府の要職を提示することは望ましくない。また事務総長はそうした申し出を受け入れることを慎むべきである。(太字部分は訳者による強調)

大統領職はここでいう「政府の要職」であることは疑いの余地がないので、ここで問題となるのは「退職後即座に(immediately on retirement)」における「即座」がどの程度の時間を指すのか、ということになる。過去の例を見てみると、事務総長を退職後、政府の要職に就いたのは第4代事務総長のワルトハイムがオーストリア大統領、第5代事務総長のデ・クエアルがペルー首相という2例がある。

ワルトハイムは1981年末に退職し1986年7月に大統領に就任(4年6カ月の空白期間)、デ・クエアルは1991年末に退職し、2000年11月に首相となっている(8年10カ月の空白期間)。これらの前例に照らせば4~5年の空白期間は「即座」には含まれないということは明らかであろう。

「1年未満」は「即座」か?

これまで潘基文氏は「即座」の期間がどのくらいなのかについて、公式には発言していないが、彼自身は「1年間」を想定していたと一般には言われてきた。それは朴大統領をめぐるスキャンダルや弾劾がなければ、大統領選は2017年12月に行われ、大統領に就任するのは2018年2月の予定だったからである。

2016年末に退職する潘基文氏にとって、1年間の空白期間があれば「即座」ではない、という主張はそれなりに合理性があり、また1年という長さはそれなりに妥当であると見られてきたため、多くの人は疑うことなくその解釈を受け入れてきた。

しかし、もし憲法裁判所が早期に弾劾決議の有効性を確認し、「早ければ春、遅くとも夏」という日程で大統領選が行われ、潘基文氏が当選することになると、これまで暗黙の合意であった「1年間」よりも短い空白期間で大統領に就任しなければいけなくなる。また、朴大統領は国会の与党の提案である「4月辞任、6月大統領選」を受け入れたと報じられている。

これは弾劾決議が可決される前の判断であり、もし憲法裁判所が弾劾無効を宣言したとしても、4月に辞任するかどうかは定かではない。

しかし、仮に朴大統領が4月に辞任すれば6月に大統領選が行われ、2017年内に大統領に就任するという日程になる。

その際に果たして「1年未満」は「即座」に入るのかどうか、という問題提起がなされるであろう。もちろん、国連総会決議にも国連憲章にも具体的な期間は設定されていないため、「6カ月」であろうが「3カ月」であろうが「即座」ではないと主張することは可能である。

しかし、大統領選の最中であれば、対立候補はこの点を取り上げ、国連事務総長が退職後早々に大統領選挙に出馬することを問題視し、立候補の正当性に疑念を抱かせるという戦略をとる可能性は大いにある。

すでに政治家に対する不信感が高まり、国民が汚職やスキャンダル、ズルやごまかしといったことには極めて敏感になっている状況では、1946年の国連総会決議を持ち出し、潘基文氏の出馬に対して「ズルい」とか「ごまかしている」といった攻撃を加えることは、それなりに有効となりうるであろう。

「弾劾無効」がベストだが......

このように朴大統領の弾劾決議が可決されたことで、大統領選に出馬を検討している潘基文氏にとっては全く望ましくない状況が生まれた。しかも、12月末までは国連事務総長の職にあるため、露骨に選挙運動を展開することも、韓国政治に口を出すこともできない。

そんな中で潘基文氏には何ができるのであろうか。

1つは外国メディアを通じて、自らのメッセージを発することである。すでに潘基文氏は12月に入ってからボイス・オブ・アメリカとアルジャジーラのインタビューを受け、そこで韓国に向けてのメッセージを発している。決して政治的なコメントではないが、韓国の民主主義の成熟を讃え、国民の意思を尊重するといった言い回しで事態を静観しているという姿を見せた。

これがどの程度大統領選挙に影響するかは不明だが、少なくとも現職の国連事務総長としてできる精一杯のコミットメントであったといえよう。

もう1つは、憲法裁判所が弾劾決議を無効と認定することを祈ることである。もし弾劾が無効であれば、朴大統領は任期を全うし、予定通り大統領選は2017年12月に行われ、当選すれば2018年2月に大統領に就任することになる。

そうなると「退職後即座に」大統領になるわけではないと主張することは可能であり、何の問題も発生しないだろう。しかし、憲法裁判所が弾劾を有効と判断する可能性は十分にあり、大統領選挙と就任式が早まると見ておくのが適切であろう。

潘基文氏は真剣に祈るしかないのが現状である。

鈴木一人

すずき・かずと 北海道大学大学院法学研究科教授。1970年生まれ。1995年立命館大学修士課程修了、2000年英国サセックス大学院博士課程修了。筑波大学助教授を経て、2008年より現職。2013年12月から2015年7月まで国連安保理イラン制裁専門家パネルメンバーとして勤務。著書にPolicy Logics and Institutions of European Space Collaboration (Ashgate)、『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2012年サントリー学芸賞)、『EUの規制力』(日本経済評論社、共編)、『技術・環境・エネルギーの連動リスク』(岩波書店、編者)などがある。

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(2016年12月14日フォーサイトより転載)