【赤ちゃんにやさしい国へ】子育てはやっぱりみんなでするものだ〜二人のママさん訪問録〜

子供ができないと、子育ての大変さも素晴らしさもわからない。わからなかったことを恥じ、後悔もしている。だからこそ、ぼくに語ってくれたのだろう。後悔したことを誰かに語り、若い後輩たちに伝えたいのではないだろうか。
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1月に書いた子育てについての記事がどえらい「いいね!」数になってから、そのフォロー記事を少しずつ書いてきた。

<赤ちゃん先生プロジェクト><自主保育・野毛風の子>といった子育てを支える活動に取材したのは、それぞれに関わる方からメールをいただいたからだった。

メールは他にもたくさんもらった。批判的な内容のものも一部あったが、ほとんどが記事の内容に賛同するお母さんたちからのものだった。賛同と言うより「言ってくれてありがとう」という、感謝と言うかなんというか、そんな内容のものが多かった。

ブログを書いて、コメント欄に意見をもらったり、Twitterで賛同や反論をもらうことはけっこうあるけど、メールで感謝されるなんて初めてだった。わざわざメールを出すってどういうことなのだろう。そこでその中の、どうやら東京圏にお住まいのお二人に会いに行ってみることにした。申し出にはお二人とも即快諾をくれた。

一人目は川本聖子さん。会うためにメールをやり取りしてわかったのだけど、パクレゼルヴという会社の社長さんだった。同社はモバイルコンテンツを制作して配信する、ある意味もっとも時代の先を行く会社だ。どうやら急成長中の様子。そんな会社の女性社長が赤ちゃんの子育てで悩んでいるという、そのギャップがお会いする際の興味を倍化させた。

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最先端の会社の女性社長、ということで、どうしてもバリバリのキャリアウーマンっぽいイメージで行ったら、登場したのは物腰柔らかな女性だった。

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大学卒業後、外資のメーカーに入社したあと、躍進中のネット広告企業系列のモバイル事業の会社に入った。ちょうどi-modeとともにモバイル業界が急成長する時期で会社もどんどん大きくなった。それに連れていろいろ任されるうち、同業のパクレゼルヴ社に社長として引き抜かれたのだという。創業者の廣田氏はかなりのやり手で、他にも事業を展開し、パクレゼルブ社を誰かに任せる必要が出てきた。聖子さんがいた会社とパクレゼルヴとは協業もしていたので、彼女の実力を知っていたからだろう。社長として大抜擢した。

そんな中、結婚して子供ができた。社長として雇われて半年後だったので叱られると思いつつ廣田氏に報告したら、つかつかと歩み寄ってきて「おめでとう!」と握手して祝ってくれたそうだ。なんと素敵な経営者だろう!

出産でのテーマは「仕事をいかに継続できるか」。何しろ聖子さんは仕事が好きで、できるだけ間をあけないためにいろいろ調べた。無痛分娩なら後を引かないと聞き、レクチャーを受けた。そのおかげで、出産後にとった一週間の休みの間もメールで仕事のやり取りができたそうだ。

赤ちゃんはいま七ヶ月。いいベビーシッターが見つかったので、実家のお母様にも手伝ってもらいながら、仕事となんとか両立させている。ご主人も子育てに一緒に取り組んでくれて、早く帰る日を交替で決めている。それでも無理を感じ、近々ご両親と同居することに決めたそうだ。

だから「赤ちゃんにきびしい国で・・・」の記事の中の"核家族には無理がある"という部分に強く共感したという。結婚して親と別居し、頑張って家を買ったとしても、子育ては手伝ってもらった方がいいし、介護のことも出てくるのなら、最初から同居した方がいいのではないかといま感じているそうだ。

女性も仕事を続けて家庭とうまく両立していったほうがいい。そう考える彼女は、社長として楽しそうに子育てしていきたい、その楽しさを若い女性社員に感じ取ってもらって自分もそうしたいと思って欲しいという。いま若い世代の女性には専業主婦志向がまた高まっているようだが、それでいいのかなと思っているそうだ。

聖子さんは経営という重たいものを背負いつつ、子育てにも追われているはずなのに、気負いがなくふんわりした空気を醸し出す。そんな自然体の姿勢こそ、忙しいキャリアママには必要なのかもしれない。

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お会いしたもうひとりは、榎戸純子さん。よかったらご主人もご一緒にと申し出たら、休日の光が丘公園で会うことになった。初めて行ったのだが、都内にこんなに大きな、緑あふれる公園があるとは。そこにご主人の真哉さんと、二人のかわいいお子さんたちと一緒に来ていた。

純子さんは結婚したあとすぐ、ご主人の仕事の関係でアメリカで暮らした。一人目のお子さんは向こうで出産し育てた。

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ご主人の職場は日本の会社の海外支社で、いわゆるシリコンバレーにある。カリフォルニアの郊外の伸び伸びした環境でゆったりと子育てできたそうだ。

アメリカではとにかく、子育てに対して手を貸したがる。困っている人を助けることにプライドさえ持っている、そういう文化があるのだという。ベビーカーを見ればすかさず手伝いに来る。だから向こうでの生活の中で、子育てをあまり苦に感じなかった。

ご主人の会社も日本企業ながらアメリカ流の働き方で、残業もほとんどなく子育てに十分参加してもらえた。

ベビーシッターを頼みやすい文化もあり、知り合いの高校生や大学生に気軽に頼み、頼まれるのが当たり前になっている。そもそも、子供だけを家に残して出かけてはいけない法律があるのも大きいだろう。

これは最初の記事を書いた時にやはりアメリカでの子育て経験を持つ人から言われたことで、とにかく子育てしやすい環境というか文化というか、整っているそうだ。制度が施設が、というのもあるけど、どうも子育てに対する社会のとらえ方がまったく違うように思える。

だから純子さんも、その後日本に戻ってきてギャップに驚いたそうだ。子供を連れて遠くに出かけようと思えない。そうする時には大きな覚悟が必要だ。出かける時はもっぱらクルマ。一度だけ、都内の友人宅に行く時にベビーカーで電車に乗ってみた。もちろんラッシュアワーは避けたが、もう二度とやろうとは思わない。

そしてそんな思いをしてもなかなか大きな声で言えない。母親が子育ての社会環境についてものを言ったらかえって白い目で見られかねない。だからこそ、ぼくの記事に反応したのだそうだ。第三者が、しかも男性が、自分の言いたいことを言ってくれている。

純子さんは帰国して東京での住まいを決める際、都内の実家の近くにしたそうだ。そのおかげで、子育てに関して大いにご両親のお世話になっているという。

もちろん誰よりも夫の理解とサポートが必要だ。その点、純子さんはご主人の真哉さんの支えを十分に得ていて、素晴らしい夫だとはっきり言っていた。自分の夫のことを胸を張って褒めるのは、素敵なことだと思う。

とは言え、子供と自分だけだと息が詰まってしまいそうだと、純子さんも働きに出ることにした。保育園を見つけるのはほんとうに大変だったが、運良く二人とも預けることができ、あるスタートアップ企業に勤めている。そちらは、まだ小さな会社らしいが、先ほどの聖子さん同様ベンチャー企業なのも面白い。

さて、純子さんと聖子さんが言っていたことの中で、共通していた印象的なことがある。今日の記事はほとんど、このことを書くために書いているのかもしれない。それくらい大事なことだと思う。

言い方は少しずつ違うのだが、子供ができるよりずっと前に、部下もしくは後輩が仕事上の大事な局面で「子供が熱を出しているので帰らせてください」と言ってきた。その時、帰宅を承諾しながら「この人はこれまでの人だったのね」と"その時は"思った。つまり大事な仕事よりも子育てを優先させたことを、当時はさげすんでしまっていた。

二人ともそれぞれ、その時のことを恥ずかしいことだった、間違っていた、と語っていた。母親になり、子供に愛情を注ぎながら育てることの大変さ素晴らしさを理解しているいまは、強く後悔しているのだと言う。

この話を聞いた時、すごく驚いた。子育てについて非常に愛情を持って語るお二人が、当時はそんな受け止め方をしていたなんて信じられない。信じられないけれど、そういうものかもしれない。

子供ができないと、子育ての大変さも素晴らしさもわからない。わからなかったことを恥じ、後悔もしている。だからこそ、ぼくに語ってくれたのだろう。後悔したことを誰かに語り、若い後輩たちに伝えたいのではないだろうか。

働くことは素晴らしいことだ。仕事を通じて自己実現への努力をすることは人生の大きな価値のひとつだろう。またそこには、同僚や先輩、上司、そして取引先への大きな責任もある。「子供が熱を出した」ことは個人的なマターに過ぎない。そんな個人的な事柄より、たくさんの人への責任が絡む仕事の方を優先させるべきだ。そうでなければ、仕事を通して自己実現できない!

それは間違っているのだ。

「子供が熱を出した」ことは、仕事よりも、その人にとっては優先するべきことだ。べき、と言うより、優先、と言うより、何をおいても、どんなに大事なことがあっても、すぐさま駆けつける事態なのだ。優先でさえない。

「子供が熱を出した」・・・「それはいけない、すぐ帰りなさい」「仕事の方は私たちみんなで力を合わせてなんとかするから」「気にしないで、さあすぐに行かなきゃ」・・・と、ならなくては。

いずれ母親になるであろう若い女性のみなさんもそうだが、男性も年配も含めて、あらゆる職場であらゆる仕事に携わるすべての人が、この点を理解しないといけない。「ちっ」と舌打ちしないで、「女はこれだから」とか思わないで、「子供が熱を出した」時に帰宅するのは当然だと認識を改めないといけない。なぜかこの国にはそういう文化がない。家庭は仕事の犠牲にするものだ。それが常識になってしまっている。でも、それは異常なのだ。

働くことに価値を見いだしている女性たちは、見いだしているほど、子育てが目に入らずに過ごしてきた。それが、結婚し子供ができると突然、子育ての世界に入り込む。まったく違う価値観に浸ることになる。その時になって初めて気づく。その大変さと素晴らしさに。仕事と比べようもない価値があることに気づく。

仕事は素晴らしい。仕事を通した自己実現に、誰しも、男性も女性も、取り組むべきだと思う。ただ・・・仕事は、自己実現は、実はその時々のものでしかない。学生時代に熱中したことが、いまは笑い話になったりするように、仕事で何かを達成したことも、年月が過ぎると意外にうたかたの夢でもあるのだ。その充実感は素晴らしい思い出になるが、その中身はその時の価値しかなかったりする。

子育ての価値は、それと同次元ではない。大袈裟に言えば、時空を超えた価値がある。大きいとか小さいとか、高いとか低いとかではなく、親にとっては何をもってしても計測できない、無限大の価値がある。"かけがえのない"という言葉があるが、なんて抽象的なと思いつつ、子育てこそが"かけがえのない"ものだと思う。

そんなことは、子供ができてようやくわかる。でも、もっと前に気づく方法はないものかと思う。それは、子育ての周りにある文化を変えることだ。子育てとはどういう作業なのかという情報に、若いうちに接する機会をつくるとか、子育てをもっと社会の中に入り込ませていくことだと思う。前に紹介した赤ちゃん先生プロジェクトはそのひとつだ。

いまの、とくに都市圏では、子育てと社会が分断されてしまっている。働く空間と子育てが入り交じって共生するような、そういう設計がこれから、必要だと思うのだ。それこそが、赤ちゃんにきびしい国をやさしい国に変えていくことだと思う。

そんなことに気づかせてくれた二人のお母さんとそのご家族に、ぼくは感謝する。

ところで、「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」の記事にはじまるこうした取材や、それにともなって考えていったことを、こうして記事にしていっている。これを書籍にできないかと考えている。赤ちゃんと、そのお母さんの悩みや、それを解消するための活動、ひいてはひとりひとりのお母さんには、何かとても重要なメッセージがたくさん隠れている気がするのだ。それを少しずつひも解いていこうと思っている。ひも解く過程を本にできないだろうか。もし、興味を持ってくれる編集者の方がいたら、下記にメールをください。この作業は続けていくので、気長にお待ちしています。

コミュニケーションディレクター/メディアコンサルタント

境 治

sakaiosamu62@gmail.com