身体は男性だが、女性の装いをすると安心感を覚える。それは本来の自分に戻ることができたから。
一時は普通に結婚して親となり、離婚後、十数年経ってから、自分がトランスジェンダーであることに気づいたという東京大学東洋文化研究所の教授・安冨歩(やすとみ・あゆむ)さん。2013年から女性ものの服を着るようになり、2014年からは完全に女性の装いで暮らしている。
「性同一性障害は病気でも障害でもない」と語る安冨さん。前編で聞いた「女性装」という視点を得たからこそ見えてきた、これからの人間の生きかたとは?
『ありのままの私』より
■東大の教授が女性装にシフトしたら……
――2013年秋、『アウト×デラックス』(フジテレビ系)に「男装をやめた東大教授」として出演したことが話題になりましたね。完全な女性装にシフトする前後で、職場(東大の東洋文化研究所)の人々の反応はどうでしたか?
職場で露骨な差別や嫌がらせなどを受けることは、一切ありませんでしたね。一般企業だったら絶対ありえないでしょう。これは尊敬に値することだったと思っています。もし私が、男性教授をズラリと並べて平気なところにいたら、こうはいかなかったでしょう。
もともと東大って、女性装云々にかぎらず、呼吸がしづらい鬱陶しいとこなんですよ。それは彼らが悪いのじゃなくて、権力に近いから仕方がない。
——権力に近いと生きづらい?
権力に近いところで、人間が人間のままでいるのは難しい。その人の帯びる権力が強ければ強いほど、自分自身から乖離して、「権力者」となっていくものだから。自分にもともと力があってそれを振り回すんなら乖離しませんけど、権力者っていうのはどこかにある力を借りてくるわけですよね? まず権力があって、その椅子に座ったら力を持てる。
そういう状況で、権力に一番振り回されているのはその人自身です。権力を振るっているつもりで、実は権力から一番強い暴力を受けている。なぜなら権力者はその力にふさわしい振る舞いを常に要求されてしまうから。つまり、自分自身であることが許されない。いきなり女の格好してテレビとか出ちゃ駄目なんです(笑)。
■「自分でないもののフリ」をやめる
――そうはいっても現代社会では「ありのままの自分」でいられる人の方が少数派なのでは?
そう、現代社会に生まれ育っている時点で、基本的に自分自身でいることは無理です。自分自身からの乖離を強制するように社会ができているので。人間の魂を枠組みにはめ込んでいくこと、これが暴力の本質です。だから権力に近いところにいるほど、暴力を受けるわけです。それゆえにこそ、暴力を振るう。
だから誰もが自分自身に向き合って、それぞれの方法で「自分でないもののフリ」をやめることができれば、社会はもっといい方向へ進むはずです。
――自分を偽るのをやめて、自分が望むように生きる。
ええ、そうですね。とはいえ多くの人が、「自分の望み」がわからなくなっているという大問題がありますが。それから私は、「身体の性と心の性とが一致しない」という言い方を好みません。私はむしろ自分のことを、「女性の心を持った男性」だと思っています。それって「男性の心を持った男性」よりずっと面白いと思いません? 「男の心を持った男です」なんて普通でつまんないでしょ(笑)。逆の場合も同じことで、「男性の心を持った女性」のほうが「女性の心を持った女性」より、面白いじゃないですか。絶対、そのほうが魅力的ですよ。
■「性同一性障害」は病気でも障害でもない
——-新刊『ありのままの私』では歴史学者の三橋順子さんが提唱する「双性」という言葉も紹介されていましたね。トランスジェンダーは双性(Double-Gender)的特性を持つことがあり、手術で無理に性別をトランスする必要はないのだ、と。
そもそも「性同一性障害」などというものは存在しないんです。性同一性障害は“gender identity disorder”という英語を訳したもので、“gender”は「(社会的意味での)性別の」でいいんですが、“disorder”は「無秩序、調子が悪い」などの意味があって、それが「障害」と訳されている。では、「同一性」にあたる“identity”はというと、実はこの概念がすごくわかりづらい。
高校生のときから「アイデンティティって何だこれ?」ってずっと考えていたんですよ。辞書を引くと「同一であること、本性、帰属意識」と書かれているけど腑に落ちない。でも宗教学を学ぶようになってようやく理解できた。
つまり、アイデンティティとは、一神教の「神」という言葉を隠すための装置なんです。かつて西洋の人々は「同一」の神を信じることで、同じ◯◯教徒という集団に「帰属」していた。そしてその神から与えられる各人の「本性」と、その人自身のありかたが一致していたら、それが「同一性」であるとされてきた。これが「アイデンティティ」という言葉の正体です。
――では“gender identity”(性同一性)もまた、一神教という前提の上で誕生したということ?
論証は不十分ですが、今はそう思っています。赤ん坊が生まれたら、性器を見て男集団と女集団のどちらに「帰属」させたらいいかを医師や家族が決める。この男女の振り分けが以降の集団帰属の基盤になります。トランスジェンダーの人が行う「性別適合手術」と呼ばれるものは、生まれたときにする性別割り当てを、もう一回手術してやり直す、という意味なのです。
もし本人が「自分は女として生まれたが、どうしても男の体に近づきたい」と望むならもちろんそれはいいんです。でも医者側が「君の性器の形状を変形させて(社会的)性別を再割り当てしてあげよう」なんて偉そうにするのは間違っている。
トランスジェンダーを「病気」として「治療」しようという姿勢は、権力による抑圧だと私は考えています。
■「ありのままの自分」が生きやすい社会とは
——では、それぞれが、性別や立場に関係なく「ありのままの自分」として生きやすい社会とは、どのような社会でしょうか。
現代に欠けているのは、自分自身に根ざして成長していく生きかたです。それぞれの人が特徴ある人間になって、問題が起きたときは皆が集まってその特徴を活かして対応して、解決したら解散する。そういう柔軟な組織や家族の形にならないと、日本社会はいずれ立ち行かなくなります。
だからこそ、立場主義や家制度の基礎になっている男女の区分けシステムを揺るがさないといけない。従来の婚姻制度を守った上で、別途、同性婚ももうけるという今のアプローチは意味がないんです。そうじゃなくて、婚姻届の男女欄をなくすとか、そういう要求をしないといけない。
家族が機能していないことが、現代日本の諸問題のひとつの根源だと言って良いでしょう。性別欄なんて必要ないし、そもそも2人で結婚する必然性すらなく、3人や5人で「結婚」して、家族を作ったっていい。そうやってあの手この手で、機能する新しい家族の形を作っていくことが、社会を安定化させる有効な道だと思います。
安冨歩(やすとみ・あゆむ)
1963年、大阪府生まれ。経済学者。東京大学東洋文化研究所教授。学位論文『「満州国の金融」』で第40回日本経済新聞経済図書文化賞を受賞。2013年から女性ものの服を着るようになり、2014年からは完全に女性の装いで暮らしている。2015年7月に女性装に至る来歴と自身の半生について振り返った『ありのままの私』(ぴあ)を出版。
(取材・文 阿部花恵)
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