「事前」と「事後」:伊藤和子さんのお話を聞いて

「事前」と「事後」:伊藤和子さんのお話を聞いて
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KAZUHIRO NOGI via Getty Images

「事前」と「事後」:伊藤和子さんのお話を聞いて

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部2017年度「実践メディアビジネス講座I」シリーズ講義「メディア・コンテンツとジェンダー」の6回目、ゲスト講師による講義の5回目は、弁護士の伊藤和子さんをお迎えした。

今回は都合によりゼミ生のレポートはなし。講義の概要は以下の通り。

1 講義の概要

1-(1) HRNとその活動

弁護士として働く傍ら、世界の人権問題に取り組む認定NPO法人 ヒューマンライツ・ナウ(HRN)の理事及び事務局長として活動している。

http://hrn.or.jp/

2006年に設立されたHRNの活動の柱は、(1)fact finding(人権侵害の事実を明らかにする)、(2)advocacy(働きかけ、変化をもたらす)、(3)empower(勇気づける)、の3つである。実態調査を行い、人権侵害を可視化すれば、何とかしようという声が上がる。それを実際に政策に落とし込むために、提案し、改善を働きかけていく。人権侵害の被害者はしばしば、そのこと自体を知らない。知ることで、立ち上がる勇気が生まれる。

たとえば2015年1月、ファッションブランド・ユニクロ(UNIQLO)の中国国内における主要な製造請負企業であるPacific Textiles Holding LtdとLuenthai Holding Ltd の2社について、厳しい労働条件や危険な労働環境などさまざまな問題があることをSACOM (Students and Scholars Against Corporate Misbehaviour)と共同で行った調査で明らかにし、ユニクロを運営する㈱ファーストリテイリングに対して改善を求めた。この件はニュースなどでも大きく取り上げられ、同社は改善のためのアクションプランを策定することとなった。

【声明・報告書・記者会見@15日・16日】ユニクロ中国国内製造請負工場における過酷な労働環境 NGOが潜入を含む調査報告書を公表

HRN 2015年1月12日

http://hrn.or.jp/news/3030/

このような、労働現場における人権問題に取り組む活動は、近年世界的に盛り上がりを見せている。2011年、国連人権理事会は、「ビジネスと人権に関する指導原則」を承認した。この「ラギー原則」は、企業活動に関連して発生する人権問題に対し、国や企業がどのように取り組むべきかについての枠組みを提示するものである。この中でも大きなポイントの1つは、企業に対し、自社内にとどまらず、サプライチェーンの中でその影響力の及ぶ範囲において、国際的基準に基づき人権侵害を防止軽減する義務を課しているという点である。

ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために(A/HRC/17/31)

2011年3月21日

http://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/resolutions_reports/hr_council/ga_regular_session/3404/

日本ではまだだが、国際的には昨年ごろから、このラギー原則とメディアを結び付けて考える潮流が出始めている。インターネット界隈では特にヘイトスピーチが問題となっている。これまで、他人を著しく傷つける言説に対し、プロバイダなどプラットフォーム側は「ユーザーの意見である」として、積極的に対策をとろうとはしてこなかった。それが、プラットフォーム側の責任をより強く問う方向に変わりつつある。

1-(2) AV出演強要問題

今回話題とするAV出演強要問題も、この文脈で考えている。そもそもこの問題は、2015年ごろ法律相談を受けて以来、関わるようになった。いろいろなケースを聞いてみると、被害が深刻であり、かつ共通パターンがある。弁護士が乗り出せば比較的簡単に対応できるケースもあるのに、なかなか相談に来てくれない。弁護士としての仕事は被害が発生してからであることが多く、未然に防止したいと考え、HRNとして調査を開始した。2016年3月にHRNがまとめ公表した報告書はメディアの大きな反響を呼んだ。

【報告書】日本:強要されるアダルトビデオ撮影 ポルノ・アダルトビデオ産業が生み出す、 女性・少女に対する人権侵害 調査報告書

HRN 2016年3月3日

http://hrn.or.jp/news/6600/

被害者は多くの場合、AVに出演するとの意識がないまま契約している。街でスカウトに声をかけられ、プロダクションと専属契約、タレント契約などを結んで所属することとなるが、その契約の内容が難しいうえ、仕事の内容をプロダクション側が一方的に決められるなど、不平等なものである。AVと書かれている場合もあるが、成人物、タレント活動、ビデオなど、わかりにくい表現となっていることが少なくない。

プロダクションはAVメーカーと、出演に関する契約を交わす。被害者はその契約に基づきメーカーの撮影現場に派遣され、撮影され、そうして作られた映像が商品として販売される。見聞きした事例では、本人にわたるギャラは製作費のうちせいぜい約1%、企業間では1億円の契約であったとしても、本人に渡るギャラは100万円程度であることが多い。

実際に仕事が回ってきて、そこで初めてAVと気づくが、そのときになってやめようとしても、違約金を請求する、家族や勤務先などにバラすなどと脅され、断れないようになっている。金銭で縛りつけるという意味ではある種の債務奴隷であり、また意に反して性行為を強要する性暴力の被害者でもある。

本来、プロダクションに所属する女優は自発的な意思で契約し、自ら選んで仕事をしている自営業者であるというのが建前だろうが、契約してまだ何もわからない状態で最初に派遣された先がAVだったというケースは事実上労働者に近い。外見上、労働者派遣法の派遣行為に似ているが、そのようには扱われてこなかった。AV出演は派遣法上の有害業務にあたるため、プロダクションが労働者派遣業として派遣したとなれば業者自身が逮捕されてしまう。そのため、派遣法で義務付けられる許可を受ける事業者はほとんどない。

今は警察も、実態をみて支配従属関係があれば、派遣業であると扱うとしているが、まだ具体例が少なく、実際にどのように扱われるかは明確でない。

法律は有効な対抗手段になるが、現状ではできることは限られている。本人が同意して出演した映像を消すことは容易でなく、販売・配信停止もできない。二次利用に対する文句もいえない。著作権法上、一度出演を承諾すると取り消しができない、いわば「ワンチャンス主義」である。この点は法改正すべきと思うが、そうした議論にはなかなかなっていない。

調査したところ、被害者の多くは18~25歳であり、契約書をまったく理解しないまま「みんなやってる」といわれてサインしている。弁護士が読んでもなかなか理解できないほど複雑な契約書もあり、そもそも契約書を渡されないケースもある。

相談を寄せられた被害事例に共通するパターンがある。仕事はプロダクションが勝手に入れてしまい、本人に諾否の自由はない。台本も前日や当日に渡すことが多く、そもそも台本がないことも珍しくない。とにかく諾否の自由がなく、拒絶すると違約金を請求される。拒否したくても、さまざまなテクニックで「洗脳」され、納得させられてしまう。誰も助けてくれない、戦っても勝てない、と思ってあきらめてしまう。

例をいくつか挙げる。

例1

タレントとしてプロダクションと専属契約し、マンションに住まわせてもらい、ジム通いや美容整形などの費用も負担してもらったが、回ってきた仕事がAVで、拒絶すると100万円単位の費用を払えと脅された。契約にAVとの文言が入っていなかったため、弁護士が入って交渉し、支払いは免れた。

例2

グラビア専属モデルとしてスカウトされたが、実際にはAVの仕事だった。キャンセルを申し出ると違約金をちらつかせて脅された。「潮吹き」のためと称して12リットルもの水を飲ませたり、避妊具をつけない性行為や無修正動画への出演を強要したりといったひどい仕事だった。辞めた後、整形手術した。

例3

未成年のときに契約、イメージビデオとのふれこみだったが実際には着エロだった。成年後にはAVに出演させられた。やめたいと言ったら、すでに10本分の契約済なのであと9本出演するか、1000万円払えと言われた。自殺を考えたが弁護士に相談し、契約解除したところ2400万円の損害賠償請求を受けた。裁判の結果2004年、これは雇用類似の契約であること、性行為はそもそも意に反して強要することができない業務であること、解除理由もやむを得ないものであることなどを認め、違約金請求も却下するという画期的な判決を勝ち取った。

この判決により、いったん契約してしまっても、撮影前に契約解除すれば、出演しなくても違約金を請求されることはないという流れになりつつある。しかし、一番現状で難しい問題は、契約解除後もAV販売は続くという点である。未成年者なら意思表示を取り消せるからデータ消去もできるが、成人の場合、容易ではないのが実情である。中には自殺してしまった人もいる。そこまでいかなくても、人の目が気になって就職も外出もできなくなってしまったりする。

もともとAVの分野は法律なし、所轄官庁なしだった。風適法の適用もなく、違法行為を是正するためのしくみがない。18歳未満なら児童ポルノ禁止法が使えるが18歳以上だと対象外である。同意書があれば負傷しても立件されるケースはほとんどない。売春防止法もこれまでは適用されてこなかった。

勧誘の現場はキャッチセールスのような消費者被害によく似ているが、これまでは、国民生活センターが対応してくれるわけではなかった。AV出演は芸能の領域に属するものなので労働法制の対象となっていなかった。最近では、労働者派遣法の対象となるとされているが、対象となるどうかについてはケースバイケースで判断しているため、もぐらたたきのような状況である。消費者としても労働者としても保護されないという、ないないづくしの状況であった。

1-(3) 進む対応と課題

しかし、HRNの報告書がメディアで大きく取り上げられたこともあって、内閣府、警察庁、国民生活センターなどの対応が一気に進んだ。被害者自身が声を上げたことも特筆すべきだ。この問題をメディアが取り上げたとき、「被害はなかった」という声もあったが、勇気をふるって当事者が「実際にあった」と発言してくれたことが大きな力となった。

アダルトビデオへの強制的な出演等に係る相談等への適切な対応等について

警察庁丁保発第119号

2016年6月17日

https://www.npa.go.jp/pdc/notification/seian/hoan/hoan20160617.pdf

国民生活センター、AV出演勧誘の注意呼びかけ...伊藤弁護士「消費者並みの保護を」

弁護士ドットコム 2016年12月5日

https://www.bengo4.com/c_8/n_5433/

AV「望まぬ性的撮影」73人...内閣府2575人調査

毎日新聞2017年2月8日

https://mainichi.jp/articles/20170209/k00/00m/040/082000c

女性に対する暴力に関する専門調査会報告書 「若年層を対象とした性的な暴力の現状と課題~いわゆる「JKビジネス」及びアダルトビデオ出演強要の問題について~」の公表について

内閣府男女共同参画局 2017年3月14日

http://www.gender.go.jp/public/report/2016/2017031402.html

AV出演強要に政府が緊急対策へ 菅官房長官「重大な人権侵害」

The Huffington Post 2017年3月21日

https://www.huffingtonpost.jp/2017/03/21/av-extortion_n_15510798.html

アダルトビデオ出演強要問題及びいわゆる「JKビジネス」問題に対する緊急対策の推進について(通達)

警察庁丁保発第40号・警察庁丁少発第80号 2017年3月31日

https://www.npa.go.jp/laws/notification/seian/hoan/hoan20170331.pdf

AV出演強要対策の専門官、全都道府県の警察に配置へ

朝日新聞2017年5月19日

http://digital.asahi.com/articles/ASK5M51VZK5MULFA01G.html

しかしまだ不十分なところもあるので、HRNとしては、以下の内容を含む包括的な支援立法の制定を働きかけている。

(1)監督官庁の設置

(2)真実を告げない勧誘、不当なAVへの誘引・説得勧誘の禁止

(3)異に反して出演させることの禁止

(4)違約金を定めることの禁止

(5)禁止事項に違反する場合の刑事罰

(6)契約の解除をいつでも認めること

(7)生命・身体を危険にさらし、人体に著しく有害な内容を含むビデオの販売・頒布の禁止

(8)意に反する出演にかかるビデオの販売差し止め

(9)悪質な事業者の企業名公表、指示、命令、業務停止などの措置

(10)相談および被害救済窓口の設置

受講者の中にも多いので、若い女性の皆さんには以下のようなことを注意してもらいたい。

◎契約書に小さな文字で「AV」「アダルトビデオ」「セクシー女優」「成人むけの撮影」、あるいは「違約金を支払う」「損害を賠償する」といった表現がある場合、これらを理由としてAV出演を強要される場合がある。

◎プロダクションの事務所で長時間囲まれて説得され、「とにかく解放されたい」「ここから出たい」一心で契約書にサインしてしまうケースが少なくない。

◎「あなたの顔は映さない」「ソフトなAV」「インターネットでの配信はしない」などの口約束はしばしば反故にされる。

◎毎日プロダクションの人と接して夢を語られ、意欲を試されるようなことを言われたりしているうちに、洗脳されてしまうケースが多い。

もう一度、ラギー原則に戻る。たとえば個人間のリベンジポルノは明確に犯罪とされるのに対して、AV出演強要はそうなっていない。しかも、AV出演強要はビジネスとして行われるがゆえに、より大規模に拡散され、より深刻な被害をもたらす。そうであればこそ、ビジネスに関わる企業はより重い責任を負うべきである。たとえば配信段階では人権侵害がなくとも、撮影現場でもし人権侵害が行われているなら、配信事業者はそれを是正、改善するための方策をとる義務がある。

「原則17 デューディリジェンス」は、「企業がその企業活動を通じて引き起こしあるいは助長し、またはその取引関係によって企業の事業、商品またはサービスに直接関係する人権への負の影響を対象」とする。DMMやツタヤ、アマゾンなども、商品としてAVを販売、レンタルなどするのであれば、それらの製造過程でAV出演強要などの人権侵害がないかどうか、チェックしていく義務を負うべきである。

また「原則22 是正」は、「企業は、負の影響を引き起こしたこと、または負の影響を助長したことが明らかになる場合、正当なプロセスを通じてその是正の途を備えるか、それに協力すべきである」とする。上記のような企業は、人権侵害がある商品は取り扱わないなどの方法で、事態の改善に努めていくべきである。

ラギー原則は、国際的に広く受け入れられており、日本でも今、国内行動計画を策定中である。AV出演強要の分野にも適用されるべきものと考えている。HRNはこの問題で女性の人権がよりよく守られるよう、これからもさまざまな活動を行っていく。

2 感想

2-(1) 対策の必要性

AV出演強要問題については、先にAVAN代表の川奈まり子さんにも講師としておいでいただいている。今回は同じ問題につき、法律家、そして人権団体としての立場から関わっておられる伊藤さんのお話を伺ったわけだ。実務を知る弁護士ならではの、出演強要の具体的な手口についての生々しい話には大きな衝撃を受けた。騙す、脅す、事実を伝えないといった手口は、詐欺その他の犯罪や犯罪まがいの取引でもしばしば用いられる。以前はともかく、今もこのようなAV出演強要被害があるのであれば、それはこうした行為を厭わない「悪い奴ら」によって引き起こされているということだろう。

川奈さんの講義では、少なくとも大手企業に関しては現在、出演強要は行われておらず、そうしたことを行うのは一部の事業者であるとのことだった。しかし、一部ではあろうが、「業界」にはそうした人々がいるようで、相対的に少数だとしても被害者はつい最近まで出ていた。出演強要が珍しくなかった過去においては、さらに多くの被害者が出ていたはずで、そうして作られた作品が今も流通しているとなれば、問題は過去のものではない。

AV強要、元スカウトが認めた危うい手口 「ゆるやかな強要になる...」

withnews 2017年7月28日

https://withnews.jp/article/f0170728002qq000000000000000W05s10101qq000015250A

AV企画&監督&男優&販売...全部「オレ」 出演女子高生を勧誘容疑、48歳男再逮捕

産経新聞 2017年5月29日

http://www.sankei.com/west/news/170529/wst1705290051-n1.html

再逮捕容疑は、26年10月、当時高校3年で18歳だった府内の女性をAVに出演させるため勧誘したとしている。

府警によると、金沢容疑者は18~19歳限定のコスプレモデルの募集サイトを開設し、応募者の中から好みの女性を採用。マンション一室のスタジオで女性に身分証を持たせて撮影するなどして断りにくい状況にした上で、「(わいせつな)実技があることを確認しました」などと記した契約書を作成し、AVに出演させていた。

対策が必要であろうことはまちがいない。企業の責任を重く問う方向性は、近年、より強く打ち出されるようになっている。社会における企業の役割と影響力が拡大していることを考えれば、自然な流れではあろう。とはいえ日本では、問題への認識自体が遅れていた。それがようやく変わりつつあるのは、HRNのような団体の活動が大きい。

ラギー原則は、2016年のHRN報告書でも言及されている。参考までに、関連しそうな箇所の翻訳を挙げておく。

国際連合広報センターからの助言を受け財団法人アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)と特定非営利活動法人サステナビリティ日本フォーラムが共働で行った日本語訳

https://www.hurights.or.jp/japan/aside/ruggie-framework/

原則12

人権を尊重する企業の責任は、国際的に認められた人権に拠っているが、それは、最低限、国際人権章典で表明されたもの及び労働における基本的原則及び権利に関する国際労働機関宣言で挙げられた基本的権利に関する原則と理解される。

原則13

人権を尊重する責任は、企業に次の行為を求める。

(a) 自らの活動を通じて人権に負の影響を引き起こしたり、助長することを回避し、そのような影響が生じた場合にはこれに対処する。

(b) たとえその影響を助長していない場合であっても、取引関係によって企業の事業、製品またはサービスと直接的につながっている人権への負の影響を防止または軽減するように努める。

原則17

人権への負の影響を特定し、防止し、軽減し、そしてどのように対処するかということに責任をもつために、企業は人権デュー・ディリジェンスを実行すべきである。そのプロセスは、実際のまたは潜在的な人権への影響を考量評価すること、その結論を取り入れ実行すること、それに対する反応を追跡検証すること、及びどのようにこの影響に対処するかについて知らせることを含むべきである。人権デュー・ディリジェンスは、

(a) 企業がその企業活動を通じて引き起こしあるいは助長し、またはその取引関係によって企業の事業、商品またはサービスに直接関係する人権への負の影響を対象とすべきである。

(b) 企業の規模、人権の負の影響についてのリスク、及び事業の性質並びに状況によってその複雑さも異なる。

(c) 企業の事業や事業の状況の進展に伴い、人権リスクが時とともに変りうることを認識したうえで、継続的に行われるべきである。

原則22

企業は、負の影響を引き起こしたこと、または負の影響を助長したことが明らかになる場合、正当なプロセスを通じてその是正の途を備えるか、それに協力すべきである。

この科目、というかこの学部自体、学生の過半数が女性だ。女子学生たちに対し、伊藤さんは繰り返し、気を付けてほしいと訴えていたが、本当にそう思う。安易な自己責任論に与するつもりはないが、ちょっと注意すれば避けられることは確かにある。早い時点で気づけば対応ははるかに容易になる。 そして男子学生も、この問題についてよく知り、自分ごととして考えるべきだ。身近に被害者になりうる女性がいる場合もあろうし、数は相対的に少ないが自身が被害に遭うリスクもあるが、そうでなくても、彼らの中にはAVの顧客となる、あるいは潜在的になりうる者が少なからずいるだろう。講義に出てきたような、女性たちを苦しませて作られた映像をそれと知ったうえで心から楽しめる人は少ないのではないか。「顧客」の声は、事業者に変革を促す大きな力となる。

2-(2) 「事前」と「事後」

以上を前提として、考えたことを少し。

伊藤さんのお話は弁護士としての経験に裏打ちされた説得力に富むものだった。その中では、本人が同意して出演した映像を消すことは容易でないという点が強調されていたような印象を受けたが、あとで聞くと、この点は伊藤さんが弁護士として力を入れて取り組んでいるテーマであり、「あきらめずに相談してほしい」とのことであった。HRNの提言にある「契約の解除をいつでも認めること」はこれを法律として認めさせようというものだろう。

講義ではこの他、AV出演強要問題の難しい点は2つの要素があるとのことだった。 (i)いったん承諾してしまうと二次利用が無限に可能になってしまうという点、および、(ii)ネットでいったん頒布されると公開を中止した後も違法アップロードなどで流通し続けるという点だ。

しかし、もう1つ重要な点がある。内容がよくわからず契約してしまうような被害者は、多くの場合、何か問題が起きても誰に相談するかを知らない。そもそも相談するという発想にすら至らないかもしれない、という点だ。とりわけ弁護士は、少なくとも日本においては、相談相手としてトップクラスに敷居の高い相手だ。

日弁連の調べでは、弁護士会法律相談センターと法律事務所への来訪者の約4割が相談に際してためらいを感じたと答えており、その理由としては「費用が分からない」(60.5%)、「近づきにくい」(41.1%)、「相談料が高額」(26.3%)、「話が難しそう」(23.4%)などが挙がっている。

一般社会人、しかも実際に相続や取引などさまざまな問題を抱え法律相談に訪れた人全体を対象とした調査ですらこうなのだから、家族にも相談せずに事務所とモデルやタレントの契約をしようという若い女性には、弁護士への相談はさらに高いハードルだろう。そこに、HRNもその中に含まれようが、相談を受け付ける団体の存在意義の1つがあるのだろう。

市民の法的ニーズ調査報告書

日本弁護士連合会 弁護士業務総合推進センター  2008年6月

https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/publication/data/shimin_needs.pdf

セックスワークについては、すでにアムネスティ・インターナショナルが2016年に、当事者の人権保護の観点から、セックスワークの非犯罪化を提唱する方針を打ち出している。この中ではポルノグラフィは対象となっていないが、セックスワークが女性の、ひいては人間としての権利の一部であるとする考え方は国際的にも受け入れられているように思う。そうであれば、AV出演もまた、表現の自由の一部であるというだけでなく、職業や生き方の選択を含むより広い人権の一部でもあるはずだ。

少なくとも現在の政府の対策は、こうした「事後」どうするかといった観点からのものがあまりみられない。逆に、無修正動画に出演した女優をわいせつ電磁的記録頒布の幇助容疑で逮捕した事例などは、たとえば売春防止法において売春行為を行った女性を処罰の対象としていないことなどを考えると、保護とは逆方向なのではないかとも思われる。HRNの活動もあって政府も動き出したわけだが、まだ課題は多い。

菊地夏野 (2015)「セックス・ワーク概念の理論的射程―フェミニズム理論における売買春と家事労働」名古屋市立大学大学院人間文化研究科『人間文化研究』24号、37-53.

http://www.nagoya-cu.ac.jp/human/graduate-school/research/vol24.html

トップ女優がおびえる「無修正AV」の闇 有名嬢逮捕、出演した女優や男優まで立件...弁護士「みせしめでは」

産経新聞 2017年3月8日

http://www.sankei.com/affairs/news/170308/afr1703080022-n1.html

こうしてみると、HRNの活動は、先にお呼びした川奈まり子さんたちのAVANと共通する部分が少なからずあるのではないか、と思った。AVANの活動は、既にAV業界で働いている女性たち、つまり「事後」のケースを中心的なターゲットにしており、かつ、より業界と近い立場にある。もとより異なる立場の団体であることは承知しているが、声を合わせれば、より主張する力は強くなる。どちらも女性の権利を守ることを目標としている団体であり、論点を「事後対策の強化」に絞れば、連携の余地はあるのではないか。

具体案については専門外だが契約時に具体的な内容を含む充分な説明がなされたかを確認するプロセスを義務付けるといった方向が考えられよう。既に大手事業者はこうしたプロセスを採用していると川奈さんのお話にあったから、主な問題はそうでない事業者にまでどのようにして浸透させるかという点になろう。刑事罰を含むさまざまな法を総動員するという政府方針が出されているから、方策はありそうに思う。

「(ii)いったん承諾してしまうと二次利用が無限に可能になってしまうという点」や無修正版の頒布についても同様だ。伊藤さんのいう「ワンチャンス主義」を修正し、いったん同意しても事後に撤回できるようにする必要がある。奇しくも川奈さんも二次利用の問題点を挙げており、契約に時限を設けることを提案していた。法改正で許諾に時限を設けることを義務付けるには抜本的な法的対応が必要かもしれないが、大手事業者が企業レベルで契約慣行として採用すれば、それだけでもかなりの部分は対応できるだろう。

「(iii)ネットでいったん頒布されると公開を中止した後も違法アップロードなどで流通し続けるという点」については、すでにリベンジポルノ規制などにおいて、検索エンジンで検索不可能、あるいはしにくくするといった対応を行っている場合もあるから、完全には難しいとしても、ある程度の実効性ある対策は可能なのではないか。いわゆる「ジェネレーション・グーグル・アプローチ」だ。

プライバシー保護のためにGoogleを規制することの是非

ハフィントンポスト 2013年10月18日

https://www.huffingtonpost.jp/jyohonetworkhougakkai/google_4_b_4120699.html

Google からの「リベンジポルノ」の削除

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2-(2) 「芸能界」とAV業界

伊藤さんのお話でもう1つ印象に残ったのは、なぜこのような「騙し」が通用してしまうのか、という点だ。以前の川奈さんのお話も併せると、AVに出演する女性たちの動機として多いのは、(1)金に困った、(2)芸能人やモデルになりたい、の2つであるようだ。前者の場合も、当初と違う話が出てくるケースはあるだろうが、ある程度契約内容に納得している場合も多かろう。それに比べると後者は、「そんなつもりではなかった」度合いがより大きそうで、その意味で深刻なケースといえるのではないか。

とはいえこれらのケースで被害者女性がなぜ簡単に騙されてしまうのか、いまひとつ腑に落ちない。つらつら考えるに、どうも芸能界自体が法律的にグレーなことが横行する場所、という認識が一般的にある、という仮説に思い至ったのだが、そんなことはないだろうか。芸能事務所について先日、こんな記事が出ていて、もちろん違う話ではあるのだが、まったく無縁とも思えなかった。実態はともかく、「芸能界にはいろいろウラがある」といった認識は、比較的幅広く共有されているのではないだろうか。

芸能人らの移籍制限は独禁法違反? 公取委が実態調査へ

朝日新聞 2017年7月12日

http://digital.asahi.com/articles/ASK7D5DNDK7DUTIL02D.html

独占禁止法をめぐる芸能界の諸問題

公正取引委員会 競争政策研究センターBBLミーティング資料 2017年3月3日

http://www.jftc.go.jp/cprc/katsudo/bbl.html

http://www.jftc.go.jp/cprc/katsudo/bbl.files/213th-bbl.pdf

ブラック企業が多そう...と思う業界ランキング

goo アンケート 2017年1月22日

https://ranking.goo.ne.jp/column/4014/

上の3つめに挙げたアンケート調査では、「ブラック企業が多そう...と思う業界」の第6位にテレビ、第9位に広告が入っている。これらの業界で実際に働いている人たちはほとんどいないであろうから、実態はともかく、この結果は業界に対する外からのイメージを反映しているのではないかと想像する。

こうした認識の若い女性が、憧れの「芸能界」に入れるチャンスとして事務所との契約をもちかけられたら、多少変だと思っても「そういうものか」と納得してしまうかもしれない。また、そういうイメージがあればこそ、契約にあたって家族やまわりの人に相談しない傾向があったりするのではないか。

その意味で、AV出演強要問題と、芸能界における不透明・不公正な契約慣行の問題は、直接ではないにせよ、間接的には無関係ではないように思われる。上掲の公取委の動きが今後どのように推移するかはわからないが、芸能界全体の状況が変わっていくと、AV業界の状況も少し変わっていくのかもしれない。

2-(3) メディアの責任と可能性

こうした側面も含め、メディア企業の責任は重い。法規制は強力ではあるが、基本的には事後の判断であり、きめ細かい対応に向いているとは必ずしもいえない。企業による対応に任される部分が多々あるだろう。

この点が特に重要なのは、この問題が人権の「接点」にあるからだ。ラギー原則において企業が守るべきとされる「人権」には多様なものがある。女性が意に反してAVへの出演を強要されたり出演したAVを頒布されたりしないことも大事な人権だが、表現者がその表現の自由を守られることも人権だろう。何をどのように守るのかを決めるのは、現場レベルでは相当にデリケートな判断となるはずだ。

この両者はしばしば対立するものとして扱われており、実際そういう局面も少なくないが、それらを両立させるポイントの1つは「当事者の自発的な意思」だろう。この点をきちんと、そして定期的に確認することが、大きなカギとなるのではないか。

アムネスティ・インターナショナルの、セックスワークの非犯罪化を提唱する方針では、「ポルノ映画や物品などの性的に露骨なエンターテイメントの制作は、「表現のあり方として保護された活動であるため、セックスワークからは区別され」る、としていた。しかし、表現であるという位置づけは、本人が自発的な意思で行っていることが前提だ。

充分な情報を与えられずに契約し、契約解除を申し出れば大金を払えと迫るやり方は、伊藤さんのいう「債務奴隷」にほかならない。「債務奴隷」ならば、人身売買になぞらえて考えるアプローチもありうるだろう(あとで聞くとこうした主張もされているそうだ)。以下の論文は米国において、ポルノグラフィ制作を目的とした人身取引を規制すべきと主張するものだが、日本でも人身取引として「芸能プロダクションに所属していた女性を拒否できない状況に追い込み、アダルトビデオ制作会社に派遣していた事例」が報告されているから、日本においても脅しや賠償請求などによってAV出演を強要することを人身取引に準じる犯罪と考えていいのかもしれない。

Allison J. Luzwick (2017). "HUMAN TRAFFICKING AND PORNOGRAPHY: USING THE TRAFFICKING VICTIMS PROTECTION ACT TO PROSECUTE TRAFFICKING FOR THE PRODUCTION OF INTERNET PORNOGRAPHY." NORTHWESTERN UNIVERSITY LAW REVIEW vol.111: 137-153.

http://scholarlycommons.law.northwestern.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1244&context=nulr_online

売春やAV出演強要...人身取引被害者の半数が日本人、次いでタイ人 政府年次報告

産経新聞 2017年5月30日

http://www.sankei.com/politics/news/170530/plt1705300032-n1.html

現在、AV業界は既に、かつてよりはだいぶ縮小している。こうした規制やその他の対応は、既に必要な対応を行っている事業者はともかく、そうでない事業者には大きな影響を与えよう。業界全体として、規模はさらに縮小していくかもしれない。しかしそれは、必ずしも業界にとって悪いことばかりではないのではないか。現在の問題の少なくとも一部は、違法配信を含むこの種の映像の供給過剰にあるとする見方がある。

AV女優だけでは食べていけない! 制作費が1本10万円? 地盤沈下が続くAV業界の惨状

リテラ 2015年8月29日

http://lite-ra.com/2015/08/post-1433.html

各種報道を見ていくと、1992年にはわずか年間4000タイトルだったのが、2008年には少なくとも月1000本以上、そして、今では月間2000~2500本以上のタイトルが発売されているという。各メーカーが制作費の安い作品を次々と出し、1本当たれば儲けものという考えで企画モノを濫造しているのだ。

供給が減れば、市場原理によってその価格は上昇するであろう。供給ができず撤退する事業者も出るだろうが、それによって出演者の市場価値が高まれば、それは出演者の人権をよりよく守ることにも、また残った事業者が利益を出しやすくなることにもつながる。

それによってAV出演の「機会」とそれによるわずかばかりの収入を失う女性もいるであろうが、同様の表現を自発的に行うこと自体が不可能になるわけではない。そのことと、意に反する出演を強要される女性の被害がある程度防げることとを比較してどちらがよいかは、少なくとも検討に値しよう。事業者としても、長期的な持続可能性を考えるのであれば、出演強要問題との縁は断ち切り、そのことを広く知ってもらう方がよいのではないかと思う。

駒澤大学GMS学部2017年度「実践メディアビジネス講座I」シリーズ講義「メディア・コンテンツとジェンダー」に関する記事は以下の通り。

メディア・コンテンツとジェンダー 駒澤大学GMS学部2017年度「実践メディアビジネス講座I」シリーズ講義の開講にあたって(2017年5月31日)

「男女の戦い」と「忘れられた人々」(2017年6月5日)

「多様性」は厳しい:サイボウズ㈱大槻様の講義を聞いて(2017年6月15日)

在京キー局 朝の情報番組出演者にみるジェンダー(2017年7月4日)

15万人のスティグマ:AVAN代表 川奈まり子さんの話を聞いて(2017年7月7日)

メディアの「主体」と「客体」:猪谷千香さんのお話を聞いて(2017年07月25日)

日本映画界のジェンダーバランス(2017年08月09日)

在京キー局プライムタイム実写ドラマのジェンダーバランス(2017年08月15日)

メディアは何をすべきか:原島有史さんのお話を聞いて(2017年09月15日)