第二次世界大戦終結から70年目にあたる今年、我々日本人にとっても重い問いをつきつけるドイツ映画が公開された。本作品(原題Im Labyrinth des Schweigens=沈黙の迷宮の中で)は、1963年にアウシュビッツ裁判を実現させた検察官たちの苦闘を克明に描く。この裁判は、ドイツ社会を「過去との対決」へ突き動かした、重要な出来事だった。
映画の一場面から。ナチスの犯罪に関する資料の山に直面した主人公の検察官。
© 2014 Claussen+Wöbke+Putz Filmproduktion GmbH / naked eye filmproduction GmbH & Co.KG
現在のドイツでは、政府、司法、教育機関、メディアなどが一体となって、ユダヤ人の大量虐殺などナチスの犯罪を糾弾し、若い世代に事実を伝える努力を続けている。ドイツの首相はことあるごとに被害国に謝罪し、犠牲者に追悼の意を表する。2015年1月にアウシュビッツ解放70年目の追悼式典で、ドイツのヨハヒム・ガウク大統領は、「アウシュビッツについて思いを馳せることなしに、ドイツ人のアイデンティティーはあり得ない」とまで言い切った。つまりこの国では、ナチスの犯罪を批判し、被害者たちに謝罪することが、国是となっている。
だが1950年代~60年代の西ドイツでは、ナチスの犯罪を糊塗したり、矮小化しようとしたりする傾向が強かった。社会の非ナチ化は表面的にしか行われず、西ドイツの諜報機関や警察、外務省、法務省などには、元ナチス党員らが数多く働いていた。
今日の若いドイツ人たちが、映画に描かれた50年代の西ドイツ社会を見たら、「まるで別の惑星のようだ」と思うに違いない。それほど当時の西ドイツでは、ナチスの犯罪に関しては「臭い物にフタ」という雰囲気が強かった。ナチスの犯罪を暴露する者は、「Nestbeschmutzer(巣を汚す者)」と批判された。
映画の一場面から。© 2014 Claussen+Wöbke+Putz Filmproduktion GmbH / naked eye filmproduction GmbH & Co.KG
そうした時代の空気に抗して、映画にも登場する検事総長フリッツ・バウアーを初めとする一部の検察官たちは、アウシュビッツ強制収容所の副所長や医師ら20人を起訴し、法廷に引き出した。この内17人が殺人幇助などの罪で有罪判決を受けている。バウアーはユダヤ人で、ナチスに迫害された経験を持つ。彼が映画の中で語る「執務室を一歩出れば、敵だらけだ」という言葉は、過去との対決を拒否していた当時の西ドイツ社会の雰囲気をよく表している。
この裁判の最大の意義は、アウシュビッツでの残虐行為の細部を初めて西ドイツ社会に広く知らせたことである。それまで大半の西ドイツ人は、アウシュビッツで何が起きていたかをほとんど知らなかった。フランクフルトで行われた裁判では、収容所に囚われていた被害者たちが、ガス室による大量虐殺や、親衛隊員らによる拷問、虐待の細部を証言し、メディアが連日報道した。アウシュビッツ裁判は、虐殺に加担した犯罪者たちが戦後の西ドイツでビジネスマンや役人として、長年にわたり罪を問われずに平穏な暮らしを送っていた事実をも、白日の下に曝したのだ。
その後、ナチス犯罪と批判的に対決する動きは、1968年の学園紛争、そして1979年のテレビ映画「ホロコースト」の放映を通じて、政府から教会、庶民など社会全体を巻き込んだ運動に発展する。アウシュビッツ裁判はドイツの過去との対決の原点なのだ。
西ドイツの連邦議会は、1979年に悪質で計画的な殺人については、時効を廃止した。その最大の目的は、ナチスの犯罪に加担した人物が生きている限り、訴追するためである。日本では連合軍が極東軍事裁判で戦争遂行に加担した軍人や政治家を処刑したり禁固刑に処したりした。だが日本の司法当局が日本人を訴追したことは一度もなかった。
これに対し、ドイツの司法当局はナチスによる虐殺に加担した人物に対する捜査を、今も続けている。たとえば2011年5月12日、ミュンヘン地方裁判所は、当時91歳だったジョン・デミヤニュクに対し、ソビボール絶滅収容所の看守としてユダヤ人虐殺に加担した罪で、禁固5年間の実刑判決を下した。リューネブルク地裁では、アウシュビッツで事務作業を行っていた元親衛隊員(94歳)に対する公判が続いている。今日のドイツの裁判所は、1950年代よりも法律解釈を厳しくしており、ナチスの収容所で働いたことが立証されるだけで、殺人幇助と断定する。
私は、1989年から過去との対決についての取材を続けている。映画に登場するような正義感に溢れた検察官たちを、インタビューしてきた。たとえばルートヴィヒスブルクの「ナチス犯罪追及センター」の所長だったアルフレート・シュトライム上級検事(故人)や、ハンブルク地方検察庁のヘルゲ・グラビッツ上級検事(故人)は、一生をナチス犯罪の追及に捧げた検察官である。
彼らは「ナチスの犯罪に関する細部を知らなければ、ヒトラー体制の凶悪さは理解できない」と語った。映画の中で、速記者の女性が、初めて被害者の証言を聞いて涙を流すシーンがある。私もアウシュビッツから生還した女性をインタビューし、拷問による腕の傷痕を見た後は、涙が止まらなかった。その意味で、ナチス犯罪の追及によって、ドイツ人の良心を呼び覚ました検察官たちの功績は大きい。
ただし、生き証人が減っていく中、ナチス犯罪の追及は難しい。ドイツの司法当局は1950年代からナチス関連の犯罪容疑者約10万人に対して捜査を行ったが、その内有罪判決を受けたのは、約7000人にとどまる。「捕まるのは小魚ばかり。人体実験を繰り返したヨーゼフ・メンゲレなどの凶悪犯は摘発できなかった」という批判もある。
だがドイツ人がこうした歴史との対決を続けているからこそ、この国は旧被害国の間で一定の信頼を回復することができた。もしもドイツが歴史との対決を怠っていたら、欧州連合の事実上のリーダーになることはできなかったに違いない。
今日、日独それぞれが持つ周辺諸国との関係には、大きな違いがある。ドイツは、周辺諸国との間で虐殺の犠牲者数や慰安婦の数をめぐる不毛な論争は行っていない。この映画は、日独の歴史に対する向き合い方の間になぜ違いがあるのかについて、考えるきっかけも与えてくれる。
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『顔のないヒトラーたち』
出演:アレクサンダー・フェーリング、フリーデリーケ・ベヒト、アンドレ・シマンスキ、ゲルト・フォス ほか。
監督:ジュリオ・リッチャレッリ 脚本:エリザベト・バルテル、ジュリオ・リッチャレッリ
製作:ヤコブ・クラウセン、ウリ・プッツ 撮影:マルティン・ランガー、ロマン・オーシン
音楽:ニキ・ライザー、セバスチャン・ピレ
2014/ドイツ/123分/シネマスコープ/ドルビーSRD/DCP/提供・配給:アットエンタテインメント PG-12
10月3日より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開