アウンサンスーチーがロヒンギャ問題について沈黙している。その理由は許しがたいものだ

スーチーは沈黙したままだ。ロヒンギャが文字通り自分たちの生命をかけて逃げているときに、彼女は、ロヒンギャを助けるための努力を何もしていない。
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Myanmar pro-democracy leader Aung San Suu Kyi addresses supporters during a rally at Mawlamyaing, Mon State on May 16, 2015. AFP PHOTO / Ye Aung THU (Photo credit should read Ye Aung Thu/AFP/Getty Images)
YE AUNG THU via Getty Images

「アウンサンスーチー氏へのノーベル平和賞を授与するにあたり...」 1991年にノルウェーのノーベル委員会は「彼女の不断の努力を称えるため、また平和的手段によって民主主義、人権、民族和解を達成しようと努力している世界中の多くの人々への支持を示す」と声明を発表した。

委員会はさらに、スーチーは「弾圧との闘いにおける重要な象徴」であると付け加えた。

早くもそれから24年経つが、ミャンマーの少数派イスラム教徒ロヒンギャは、ノーベル委員会の5人が曇った目でスーチーを平和賞に選んだことに同意しないのではないか。それに、スーチーを「世界で最も名高く勇気ある良心の囚人」と褒め称えたイギリスのゴードン・ブラウン元首相にも同意しないだろう 。そして、ミャンマーの人々は「アウンサンスーチー氏がもたらす、道徳的で原理原則に基づくリーダーシップを、切に求める」と述べた、南アフリカのデズモンド・ツツ大司教に同意しないのは、言うまでもないだろう。

近年、国連が言うところの「世界で最も迫害されているマイノリティ」のロヒンギャは、自分たちの窮状に関心を引き付けるのに苦労してきた。

その状態は、数週間前にロヒンギャ難民数千人がタイやマレーシア、インドネシアに到着し始めたときまで続いていた。しかし一方で、さらに多くのロヒンギャが、食品や清潔な水の供給が先細っていく中、依然としてこれら3カ国の沖合にあるおんぼろ船に取り残されていると考えられている

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ロヒンギャの少年が、ミャンマー・ラカイン州シットウェ市外にある難民キャンプの桟橋の近くで、小さなボートの上で魚を抱えている。Ye Aung Thu/AFP/Getty Images.

「とても腹を空かせていて、とても痩せている」

5月20日付のAFP通信は、「インドネシア沖で、絶望し飢えたロヒンギャを乗せた超満員のボートに目を向けたとき、漁師のムクタル・アリは泣き出してしまった」とレポートしている。

アリは、AFP通信にこう語った。「私は言葉を失いました。この人々を見ると、あまりにも飢えていて痩せて見えたので、私と私の友人たちは泣いてしまいました」

しかし、こうしたロヒンギャの「ボートピープル」は、氷山の一角でしかなく、はるかに大きな問題がある。アムネスティ・インターナショナルのアジア太平洋地域研究者ケイト・シュエッツェは、次のように述べた。「危険にさらされている多くの命が最優先課題とされるべきですが、この危機の根本原因にも対処しなければなりません。大多数のロヒンギャが、ミャンマーに留まるよりも、生き延びられるか分からない危険な船旅を選択するという事実は、彼らが直面する状況の深刻さを物語っています」

過酷な状況は、130万人いるロヒンギャの市民権の否定から、移動・雇用・教育・医療への厳しい制限、そして彼らの故郷であるラカイン州でロヒンギャの家族に対し「子供ども2人」までの制限を課す差別的な法律まで、広範囲に及ぶ。

数十万人が家から追い出されてきた。ロヒンギャの町や村は、略奪を重ねる暴徒によって跡形もなく破壊された。政府は2014年、何世代にもわたってミャンマーに住んでいるこのイスラム教徒少数民族は「ベンガル人」として国勢調査に登録すべきだと主張し、「ロヒンギャ」という言葉の使用さえも禁止した。

仏教徒過激派がロヒンギャに加えた暴力はもちろんのこと、国家の支援を受けてロヒンギャを抑圧しているのに、非難するどころか、完全に認めようとしない。スーチーは問題を解決するではなく、問題の一部になっている。

許しがたい沈黙

では、スーチーは、こうした問題の中でどのような立ち位置なのだろうか? そもそもの話として、彼女の沈黙は許しがたい。僧侶アシン・ウィラトゥ(別名「ビルマのビン・ラディン」)に触発された仏教徒過激派がロヒンギャに暴力を加えているのはもちろんのこと、国家の支援を受けてロヒンギャを抑圧しているのに、非難するどころか、完全に認めようとすらしない。スーチーは問題を解決するのではなく、問題の一部になっている。

ロンドン大学の法学教授で国家犯罪イニシアティブのディレクター、ペニー・グリーンは、イギリスの「インディペンデント」紙に寄稿した論説で、「ジェノサイド(大量殺害)に沈黙することは共犯に等しい。だからアウンサンスーチーも共犯だ」と見解を述べた。「巨大な道徳的・政治的資本(有権者からの支持、信用)を手にしている」のだから、ミャンマーの野党指導者スーチーは「ビルマ人の政治的・社会的な世論の特徴ともいえる下劣な人種差別とイスラム恐怖症」に挑戦できたはずだと、グリーンは主張した。

彼女はそれをしなかった。その代わり、彼女は過去数年間、――軍が彼女の大統領選出を可能にする、あるいは彼女の出馬を認めた場合 ――2016年に大統領に選出されるために必要な票をもつミャンマーのマジョリティである仏教徒に擦り寄った。そのため、ロヒンギャに犯した暴力を軽視し、迫害の加害者と被害者に対して見せかけだけの平等を提言してきた。

例えば、2013年のBBCのインタビューでは、スーチーはインタビュアーのミシャル・フサインに「イスラム教徒が標的にされていますが、仏教徒も暴力にさらされてきました」と語り、恥ずかしげもなく「双方」への暴力を非難した。

しかしミャンマーでは、仏教徒は悪臭を放つキャンプに閉じ込められることはない。ロヒンギャはキャンプで「徐々に飢餓、絶望、そして病気で倒れていく」。ヒューマン・ライツ・ウォッチは「民族浄化」と呼び、ミャンマーの人権状況に関する国連の特別代表が「人道に対する罪に相当する可能性がある」と述べているが、仏教徒は犠牲者ではない。仏教徒は国からを逃げようとしてボートに群がって乗り込み、そうしている間にもハンマーやナイフで暴行を受けてもいない。単刀直入に言えば、仏教徒は大量虐殺(ジェノサイド)に直面していない。

「ジェノサイド」の危険性

これは単なる誇張だろうか? そうであったらいいのだが。アメリカ国立ホロコースト記念博物館の調査グループが下した判断に耳を傾けてみよう。

「私たちはミャンマーを去りました」 彼らは今月初めに公表したレポートでこう書いた。「ジェノサイドへの非常に多くの前提条件が、すでに整っていることを深く懸念しています」

ロヒンギャ抑留キャンプを訪問し、襲撃から生き延びた人にインタビューした同調査グループは、次のように結論付けた。「ミャンマー政府が、ロヒンギャのコミュニティ全体を圧迫する法律や政策を直ちに実行しない場合、ジェノサイドはロヒンギャにとって深刻なリスクでありつづける」

しかし、これだけ難民ボートや遺体、レポート、告発があるにもかかわらず、スーチーは沈黙したままだ。ロヒンギャが文字通り自分たちの生命をかけて逃げているときに、彼女は、ロヒンギャを助けるための努力を何もしていない。私たちは、ノーベル平和賞受賞者にもっと多くのものを期待すべきではないだろうか?

いや、そうではないのかもしれない。「ヘンリー」と「キッシンジャー」という言葉が脳裏に浮かんでくる。さらに、ノーベル委員会には、拙速に平和賞を授与してきたかなり問題のあるの歴史がある。1994年のイツハク・ラビン、シモン・ペレス(イスラエル元大統領)、そしてヤセル・アラファト(パレスチナ自治政府前議長)の共同受賞を覚えているだろうか? ガザの子供どもたちに、それがどのように役に立ったか聞いてみてほしい。2009年の、バラク・オバマ米大統領の受賞を覚えているだろうか? パキスタンへの無人機攻撃で犠牲となった民間人に、それがどのように役に立ったか聞いてみてほしい。

ラビン、アラファト、オバマ......もちろん、突き詰めていくと彼らはみな政治家だ。スーチーは、彼らとは違った、彼ら以上の人物になると思われていた。スーチーは良心の象徴、人権のチャンピオン(擁護者)、現代のガンジーだったのだが。

悲しい現実

野党指導者で元政治囚のスーチーが、2013年にCNNに「私はずっと政治家であった」と語った。そして、彼女の野望はミャンマーの大統領になることだと語った。なぜ私たちはこの発言をちゃんと聞いていなかったのだろう?

悲しい現実がある。それは、映画『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』で描かれたようなスーチーはもういない、それは過去のものであり、楽観的な見方は捨てることだ。スーチーをありのままで認識しよう。かつての良心の囚人はどうなったのか。そう、今は喜んで原則よりも票を、無実のロヒンギャの命よりも政党の発展を優先する、シニカルな政治家なのだ。

スーチーは21年間の自宅軟禁を経て、ノーベル平和賞をようやく手にした2012年に、厳かに宣言した。「究極的に、私たちが目標にすべきなのは、避難民、ホームレス、絶望的な状況にいる人がいない世界を創造することです。そこでは、ありとあらゆる人たちが本当の意味で守られ、自由と平和のうちに生きることができるのです」

世界についてはひとまず置いておこう。彼女は、自国のラカイン州にいるロヒンギャから始めるべきだ。そして、もし彼女がやらない、もしくはできないなら、おそらく彼女は手にするまで20年以上も待ったノーベル平和賞の返上を検討しなくてはならない。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。