時価総額が50億円とか100億円程度で上場するのが本当に良い選択肢なのか? ――今の日本のスタートアップ界に対して、こういう問いを発しているのがベンチャーキャピタル「Atomico」(アトミコ)だ。
AtomicoはSkype創業者のニクラス・ゼンストローム氏が2006年に創設したグローバルなVCで、これまでXobni、Fab、Supercell、Rovio(Angry Birds)、Last.fm、6Wunderkinder、The Climate Corporation、Jawboneなどに投資してきた。日本と関係のあるところだと、元DeNA共同創業者の渡辺雅之氏がロンドンで創業したQuipperや、東京・渋谷にありながらチームもサービスもグローバルなGengoといった投資先もある。Atomicoは2013年末に約480億円の資金を集めて3号ファンドをスタート。日本市場への積極参入もしていくという段階にある。
東京・神谷町にあるAtomicoオフィスで岩田真一氏に話を聞くと、最初に指摘したのが日本のスタートアップ・エコシステムの抱える課題だった。
■「途中下車駅」を用意し、大きく育つスタートアップ企業を
「日本では起業家や経営者の先輩として、3億円ほど調達して企業評価額数十億〜百億円程度で上場するという"小さなIPO"がたくさんあります。懸念してるのは、こうした事例をみて日本のスタートアップ企業が小さくまとまってしまいがちなことです。海外では、このぐらいの規模の資金ならIPOではなく、VCから調達しています。上場コストをかけずに、スピード感を持って成長したほうがいいケースもあるはずです」(岩田氏)
起業家が成功すること自体は素晴らしいし、もっと起業家を賞賛することが日本にも必要だと岩田氏は話すが、その一方で、日本から1000億円や1兆円といった規模の「メガベンチャー」が出てこずに、小さくまとまりがちな理由の1つは、現状のエコシステムに欠けているものがあるからではないかという。先輩起業家の背中を見て、成功とはこういうものだという「型」を見てしまうと、より大きなポテンシャルを持った起業が出てこなくなるからだ。
数十億円のバリュエーションでエグジットすることでリターンを得る、という比較的短期少額の投資・回収モデルのVCやシードアクセラレーターの存在も、この傾向に拍車をかけている。
「先日、とある会社の創業者2人と会ったんですね。すごくお金をたくさん稼げているというんですが、IPOしないって彼らは言うんですよ。でもそんなに業績良好なら投資家が来てるでしょと聞いたら、来てないというんです。つまり比較的短期のエグジットによるリターンがある程度織り込めないと、日本の一般的な投資家は投資しないんですね」
「VCやシードアクセラレーターによって日本のスタートアップ企業の足元が固まっています。日本の投資家が求めてるのは、短期間で数十億円以上のバリュエーションでエグジットできるもの。だから、ニッチなものであっても、それなりのキャッシュフローが生まれるとか、IPOの可能性が高まるとか、大きな規模でなくてもリターンが出るというものに投資が集まりがちなんです」
日本のスタートアップ企業が小さくまとまりがちなのは、シードファンドや比較的小規模のVCが増えている一方で、「その後」に大きめの金額を投資して成長させる担い手が続かないことが課題という。
「日本でもシードアクセラレーターを中心に500万円や1000万円という資金調達が増えて、スタートアップを始めやすくなっています。そうしたアーリーステージに投資するアクセラレータやエンジェル投資家は、創業間もないスタートアップ企業が、まだ何千万円という(小さな)企業価値にときに、すごく大きなリスクを取ってリードインベスターとして投資しているので、それなりのリターンを求めるのは当然です」
「ただ、1000億円のプロダクトやアイデアに育てていくためには、初期の投資家たちへのリターンを確保しながら大きくしていくことが必要で、そのためにはエンジェル投資家や初期投資家が希望すれば、例えば1つのアイデアとして"途中下車"できるようなエコシステムを作っていくというのがあります。より多くエンジェル投資家が生まれ、かつ日本でも長期的な視点でより大きな成長を目指すことにつながると考えています。われわれAtomicoは、その点で貢献できると考えています」
岩田氏が「途中下車」と表現するのは、リレーでバトンを渡すようにステージごとに投資家が変わっていくモデルを指している。長い投資期間を考えていない投資家と、長い目でスタートアップ企業を支援し、より大きな成長を狙う戦略の矛盾を解消するためのアイデアだ。シードファンドの投資家から、より大きな規模のファンドに引き継ぐ形でシリーズA、シリーズB、シリーズC......と資金調達を続けて、IPOまでに大きく事業規模をスケールするという成長シナリオだ。
起業したばかりで、まだプロダクトに市場があるかどうか、市場に受け入れられるかどうか分からない段階で投資をするのは「プロダクトリスク」を取る行為。一方、プロダクトに市場性があると分かった段階で、その事業を大きくするのはまた別のチャレンジで、ここで経営や組織運営、マーケティングで失敗することもある。そこの「エグゼキューションリスク」を取るVCや投資家は、シードファンドやエンジェル投資家とは別という。
「途中下車する駅を作れば、そこで降りたい人(エンジェル投資家)もいるでしょう。各投資家の性質によって違うはずなんです。われわれがエグゼキューションの面でスケールさせる役割を担っていければ、日本のスタートアップ・エコシステムが盛り上がっていく可能性は高い。シリコンバレーでは、そういうステージごとの投資家の分業が行われていますよね。シードやアーリーステージの投資家と、ミドル、レイターの投資家で、どちらがベターかという話ではありません。取っているリスクの段階が違うんです。ノウハウや経験値も違います。日本のVCやシードステージの投資家が持っているノウハウに、我々はかなわない部分は多くあると思います。ローカルマーケットの知見についても、われわれは日本のVCにかなわないかもしれない。それが役割分担として補い合えると思っています」
■進化するファンド、国際展開を積極サポート
2012年末に組成された3号ファンドは規模が大きいが、最初からAtomicoがそうだったわけではない。Atomico創業者のニクラスとともにファンドの資金調達から投資先の発掘や交渉を行う田村裕之氏は、これまでのAtomicoの歩みを、こう振り返る。
「以前はAtomicoでもシードファンディングもしていたんですが、いまはアーリーグロースステージ以降が対象です。Atomicoはファンドとして進化しています。2006年の1号ファンドは、外部の資本がない状態でした。約100億円で20数社に投資しました。すでにAtomico以前にリードインベスターがいて、面白い会社に投資していくという形でした。気象の分析データに基いて農家に天災時の保険を提供するThe Climate Corporationなどがそうです」
「2号ファンドはプロアクティブに、リードインベスターとしてやっていこうということになりました。別にシリコンバレーじゃなくても起業して成功できる、というのが前提でした。このときは機関投資家をファンドに入れてアーリーからレイターステージの投資を手がけました。QuipperのようなアーリーステージのものからRovio(Angry Birdsの開発会社)といった売上や利益が出ている会社です」
Atomicoの創業者のニクラスにしても、そのほかのメンバーにしても、かつてSkypeを各国市場で立ち上げてきた経験とノウハウの蓄積があるという。こうしたノウハウと各国にある人的ネットワークを活用して、起業をサポートするというのが、Atomicoのもう1つのVCとしての差別化戦略という。
「3号ファンドでは資金を提供するだけではなく積極的にサポートをしていくという方針です。シリコンバレー以外の市場は、起業家にとってエコシステムが充実していません。メディアのアウトレットだったり、BizDevのサポートだったり、消費者や企業社会でのテクノロジーベンチャーの受け入れのスピードも違います。ここには特定市場のみを対象にするのとは異なるチャレンジがあるのではないかと感じていました。起業時と異なる市場に事業展開するステージに到達しているスタートアップ企業や起業家に対してサポートを提供していく、ということです」
Atomicoはロンドンを本拠地として、北京、サンパウロ、イスタンブール、東京、ソウルと世界に6拠点を置いている。Skype創業者のゼンストローム氏を含む4人のパートナーのほかに、投資担当と、バリュークリエーションという2つのチームにそれぞれ7人ずつ、合計18人で構成されている。Skypeの各地域で展開を経験し、文化的な特徴などに深い洞察を持つメンバーが、各地で人的ネットワークを使ってサポートする、という。
例えば、あるサービスが「画期的だ」という理由ではブラジル(あるいは日本)のユーザーには使われないという。ブラジルでは「みんなが使うから使う」という特性が強いという。こうした文化的な違いによってプロダクトやマーケティングを個々にチューニングしていくことが必要だという。
「ただ、Atomicoとしては起業家がいちばんだと思っていて、こういう考えもあるんじゃない? とデータをインプットするだけです。そうしたアドバイスを受けると、起業家は自分で考えて決断するもの。われわれとしてはプロダクトの個々の話よりも、そういうダイナミズムを大事にしたいですね」
■先進国と新興国とでシナジーを出す戦略
グローバル市場におけるスタートアップ投資を見た場合、新興市場と先進国という2つの異なるグループがある。この2つを行き来してシナジーを出せるのも、Atomicoの強みという。
「投資先でみると新興市場と先進国があります。まだポートフォリオは完成ではありませんが、投資先の社数は同じぐらいで、比率は1対1ぐらいです。新興市場と先進国は違います。新興市場からは、世界に出て行く企業やプロダクトは期待していません。ですから、その国でエグゼキューションを上手くやってるところに投資するというのが戦略です。ここでは、先進国のスタートアップのノウハウや技術を新興国に持ってくることができます。KPIをトラッキングするだとか、先進国のトレンドを新興国でインプリするといったことで、ここで大きなアービトラージが取れます。ローカル市場ごとの細かいマーケットのダイナミックが分かるので、先進国のスタートアップのノウハウを持っていくことができるんです」(田村氏)
日本からメガベンチャーが出てくるという見通しはあるのだろうか?
「日本は先進国ですが、スタートアップのエコシステムとしては新興国ですよね。プライベートキャピタルの資本規模も小さいです。一方、日本は市場としては十分に大きく、地域のトップはヤフーや楽天のように大きいわけです」(田村氏)
「だから海外に行く前に日本を取ってからにしようという発想になりがちです。日本のスタートアップ企業は、グローバルマーケットに着手するのが遅くなりがちです。われわれが入ることで早い段階で世界展開ができる可能性があります。実際には、もうちょっと待ったほうがいいとか、そのマーケットには行かないほうがいいというアドバイスをすることもあるのですけどね。競争に勝つためには国内にフォーカスしろ、ということもあるわけです。われわれには、そういうアドバイスができるのです」(岩田氏)
「日本からメガベンチャーが出てこない理由には、そもそも資本がないということもあるでしょうね。長期成長のためにやることって、プロダクト周りだったり、BizDevだったり、そこに時間をかけることによって、最終的に規模感が大きくなるものも出てくる。プロダクトを進化させていって企業規模を1000億円にしていく期間というのが、もうちょっとあっても良いのではないかいうことです。時価総額が50億から100億で上場するのが本当に良い選択肢なのか。そのギャップを埋めるために、われわれがエコシステムに変革を起こす」(田村氏)
「アイデアとか良い発想を持っている個人は日本にもいっぱいいます。それを実行する人もいる。他国に比べて何かが遺伝的に欠けているわけではありません。ですから、日本からグローバルに成功するスタートアップ企業が絶対出てくるだろうという確信を我々は持っています。ただ、プロダクトのノウハウを持っていて、能力が秀でている創業チームでも、マーケット関係のノウハウはないかもしれない。そこをアクセラレートする、という段階はある。われわれはそこでリスクを取っていきます」(田村氏)
「われわれだけでなく、日本市場を投資対象とするVCが生まれたり、新規参入するなどして、VC間の競争が増えるのは良いこと。起業家のオプションが増えますからね。データ集めをして、リスクを最小限にするというのが投資の1つのスタイルですが、VCによって、いろんな違いがある。いろんな視点の投資家がいて活性化するのはいいことですよね」(岩田氏)
日本の場合、資本も人も大企業に偏在しがちという状況がある。大企業とスタートアップ・エコシステムの関係はどうなるのだろうか?
「企業の目的にあった開発をしているのと、(スタートアップ企業が)マーケットが求めるものを開発するのは違います。ここはノウハウというより、政治かもしれません。大企業から出てくるものは、自分たち(企業)のニーズにはいいかもしれないけど、市場が本当にほしがっているものじゃないことがある」(田村氏)
「バルクで新人を何千人も雇って、ゼロから研修して、全てをインハウスで作るという発想は、もう時代に合いません。かつては、R&Dで出てきたものは売れました。昔は研究すれば売れる製品が作れたんですね。でも、今は細分化していてモジュールの組み合わせになっています。そういうところはスタートアップ企業に任せればいいと思うんです。ヘンな稟議もなく新しいプロダクトを生み出せる。それを買ってあげるというのが大企業の役割かもしれませんよね」(岩田氏)
「今までは、大企業とスタートアップ企業とうい2つの世界が合流することはなかったですが、それも変わってくるでしょう。どこかの時点でティッピングポイントがやってくると思います。大企業はマーケットを良く分かってますから、ある程度スタートアップ企業のプロダクトにトラクションが出てきたら、M&Aで持ってくるというような動きが増えるでしょう。このとき、これまで日本企業が製造業でやってきたように、プロダクトを外のマーケットに持って行くというのと同じことは、できないことではないはずです」(田村氏)
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(2014年3月26日「TechCrunch Japan」)