私は2015年12月21日の地元福島県いわき平競輪場でのレースを最後に、競輪選手を引退いたしました。
2016年3月には、念願の「アスリート支援と日本酒の世界発信」をコンセプトにした日本酒バーを渋谷にオープンいたします。
アスリートは並々ならぬ努力をし自分自身とそして世界と戦ってます。私達に大きな感動を与えてくれるアスリートと応援する方達が一体となって2020年東京オリンピックを盛り上げていくきっかけをつくりたいという思い。
そしてもう一つ増えゆく外国人のお客様へ日本全国から取り寄せた日本酒で「おもてなし」をしたい。
福島出身である私だからこそできる日本酒への熱い思いと知識。
日本有数の日本酒どころである福島に生まれ育ちました。福島といえば!といったときにまず挙がるものは、原発、被災地といったネガティブなイメージが多いのが現状だと思います。以前、復興支援ではなく福幸支援がしたいと書かせていただきました。それにに基づき、福島を、更にはもっと深く日本の文化を知ってもらいたい。
福島のみならず、地方と一体となって日本酒の世界的認知度を高めたいという思いがこのプロジェクトのコンセプトです。
この思いから、社会貢献と東北復興の思いも込めて「アスリート支援と日本酒の世界発信」をテーマに今回の日本酒バープロジェクトを立ち上げました。
私自身、競輪選手としてスポーツの現場で、スポーツが人を元気にしてくれる場面をたくさん見てきました。そんな私達に夢と感動を与えてくれるアスリートですが、有名な選手以外は、活動資金に悩み一人黙々と厳しいトレーニングに励んでいるというのが現状です。
そんなアスリートへ「もっと頑張ってほしい」と応援してくれる方達の気持ちを伝えて形にすべくアスリートと応援者が一緒に夢を実現させる方法を考えました。
日本酒バーに来ていただいた方達の「飲み代」がそのままアスリート支援となり、お店で日本酒を飲むことでそのまま応援者となることができます。
なぜそうなるかといいますと、売上の一部をアスリートへと活動資金として支援するからです。応援者と日本酒バーの熱いバックアップにより活動しやすい環境を作ることができます。
皆様の暖かい思いがこれから活躍するアスリートの背中を押すことができるのです。
また、交流会やスポーツサミットなど定期的に開催し応援者と一体となる場として、そして、大きな舞台でプレッシャーと戦うアスリートの憩いの場としても考えてます。
競輪選手の平均引退年齢が45歳という他のスポーツに比べて比較的息の長い世界で、どうして私が30歳という年齢で引退を決意できたかというと、幸いにもスポーツを通じアスリートに限らず多くの仲間と出会い、自分の世界を広げることができたからです。
仲間に支えられているという実感を人一倍得られる環境にいたと思います。
それは今までに出会った強力な仲間たちが今回のプロジェクトに加わってくれたからです。
仲間の支えから始まったこのプロジェクト、ここでは二人紹介したいと思います。
まず一人目は"田中敦"さんです。
田中さんは14年間中国北京でビジネスの場で活躍。北京オリンピックにおけるアスリート達へのサポートをきっかけに、アスリートから頼られる存在となる。特に大の競輪好きです。
そしてもう一人が"石毛大蔵" さん。
総合格闘技パンクラス、第2代ウエルター級チャンピオン。プロの競輪の経験有り。現在はメダリストが多数訪れる浜松町スマートボディを経営しており、営業終了後には日本代表級アスリート達による日本酒会を開催している。アスリートのセカンドキャリアとして見事に成功している方です。
仲間の支えのおかげで、自分一人ではできなかったことが進み出し、構想も想像以上に大きく膨らんでいきました。実際に素晴らしい形になりつつあります。
古川功二、今回のプロジェクトで初めて経営者になります。
只々一生懸命で右も左もわからず悪戦苦闘してますが、社会の厳しさをひしひしと感じ、たくさんの方々に有り難いご指導を頂いております。
仲間の期待に応えることができるよう成長することが、今の自分の使命です。
皆様のアスリートを応援したい気持ちを形にし、日本酒を楽しみながら応援者とアスリートを繋ぐ。
アスリートを応援し、東京オリンピックの成功を大成功にするためにも、是非、皆様の熱い思いで盛り上げていきましょう。
(2016年3月4日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)