「」という団体をご存知だろうか。「ソーシャル・アントレプレナーシップ(社会起業)」という概念の生みの親であるビル・ドレイトン氏によって、1980年に米国ワシントンD.C.で創設された、社会起業家を支援する世界的なネットワーク組織だ…

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日本の社会起業家を支援する「アショカ・ジャパン」創設者の渡邊奈々さん 

 「ASHOKA(アショカ)」という名前をご存知だろうか。「ソーシャル・アントレプレナーシップ(社会起業)」という概念の生みの親であるビル・ドレイトン氏によって、1980年に米国ワシントンD.C.で創設された、社会起業家を支援する世界的なネットワーク組織だ。アジア、ヨーロッパ、中東、北アメリカ、南アメリカの32地域に活動の場を広げ、これまでに支援した社会起業家は約2800人。世界80カ国以上で社会問題の解決に向けて活動している。

 「社会起業家とは、社会に構造的な変革を起こす強力なチェンジメーカーである」。それが世界のアショカ・ネットワークをつなぐ共通の信念だ。既存の枠組みを超えた発想で、深刻な社会問題に対する独創的な解決方法を提示し、それを実行している人がいる。しかし高い志とはうらはらに、社会の底辺で苦しむ人々のために活動している人たちの多くは、生計が不安定であったり、精神的につらい状況に置かれていることが多い。

 そのため、アショカでは彼らの生活をサポートする「アショカ・フェロー」という制度を設けている。選ばれる確率は1000万人に1人というほどの厳しい選考を通過し、フェローに認定されれば、生活費の援助、法律相談、ビジネスコンサルティングなどのサービスを受けられる。また、各国のフェローと連携して新しい活動を始めることも可能だ。フェローたちのアイデアは、5年以内にその56%が各国政府の政策に影響を与え、社会変革に貢献しているという。

カメラマンからの転身

 日本支部である「アショカ・ジャパン」の事務所は、東京・広尾のビルの小さな一室にある。創設者で代表理事を務める渡邊奈々さんは、20代の若いスタッフ3人とともに働いている。

 渡邊さんはかつて、プロカメラマンとしてアメリカで活躍していた。慶応義塾大学文学部英文科卒業後、渡米。「自分の魂のレベルにあるような深い感覚を表現したい」と独学で撮影技術を学び、1980年にニューヨークで独立した。その後、「ヴォーグ」誌をはじめ人気のファッション誌に写真を提供、東京、ニューヨーク、上海、ベルリンなどで個展を開くまでになった。そんな、プロカメラマンとして順風満帆のはずだった人生が、なぜ社会起業家支援という方向に変わったのだろうか。

日本の若者たちに必要なのは「ロールモデル」

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 今から約15年前、米国から日本へ一時里帰りした渡邊さんは、日本社会を包む異様な「暗さ」に驚いた。思いつめたような顔をして歩く若者たち。電車に乗れば当たり前のように人身事故が起こる。3万人を超える自殺者。いじめ、ひきこもりの子どもたち。バブル崩壊後、何の解決策も見いだせぬまま疲弊していく日本を見て「こんな国で育った若者たちはどうなってしまうのか」と絶望感を抱いた。

 何かできることはないかと悶々とした気持ちでいた1999年のある日、人生を変えるほど衝撃的で画期的なアイデアに出会った。当時、ハーバード大やスタンフォード大などの学生たちに最も人気のあった卒業後の進路、「社会起業家」という生き方を友人に教えてもらったのだ。

 「これこそ、沈んでいる日本の若者を変えるロールモデル(お手本)になるに違いない」。そう直感した渡邊さんは、友人から話を聞いた翌日から社会起業家たちに会いに行くための準備を始めた。そして2000年、社会起業に向けてチャレンジしている若者たちの姿を撮影し、紹介するという特集を日本の雑誌で組めることになった。「彼らに会うと、まるで今までその存在に気がつかなかった扉が開いて、光が差し込んできたような衝撃を受けた」。渡邊さんはそう振り返る。

 信念に基づいた生き方をし、しっかりと生計を立てている人たちを、一人でも多くの日本の若者に見せたいという思いでインタビューと撮影を続けた。その取材内容が本にまとめられ、「チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える」(日経BP社)として2005年に出版された。読者から「仕事を変えた」とか「新しく社会的インパクトのある取り組みを始めた」といったコメントが届き、「新しい価値観に支えられた新しい仕事の選択肢を、伝えるだけではなく生計を立てることができる仕事として日本につくりたい、それが私のミッション」と強く思うようになったという。

 ちょうどその頃、ビル・ドレイトン氏に会うチャンスがあった。二人はすぐに意気投合し、アショカにとって東アジア初の拠点となる日本支部をつくる計画が決まった。さっそく、ワシントンD.C.の本部にいる幹部たちに連絡を取ってみると、意外にも「日本は安全で生活水準も高いのだから、深刻な問題も存在しないでしょう」と消極的な対応だったという。渡邊さんは諦めることなく日本の現状を説明した。「経済的には豊かに見えても、精神的な貧困が急速に広がっている」。努力は実り、2009年から日本支部の立ちあげ準備を開始、2011年11月に念願の設立を迎えることになった。

本物に会えば、きっと変わる 

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 アショカ・ジャパンの活動の柱は三つ。世界共通のプログラムである「アショカ・フェロー」、12〜20歳の才能あふれる若者たちを支援する「ユース・ベンチャー」、そして、世界で活躍しているフェローたちを日本に招き、彼らのアイデアと取り組みを伝える講演会「フェロー・スピーカー・シリーズ」だ。

 「今の若者がダメだなんて思わない、変わるチャンスに出会えていないだけ。一人でも多くの若者に本物のリーダーの姿を見てもらい、素晴らしいアイデアに触れるチャンスを与えていきたい」。渡邊さんは活動の意義をそう語る。

 2012年3月11日、慶応義塾大学で開かれたフェロー・スピーカー・シリーズに登壇したデイヴィッド・グリーン氏は、先進国の人々だけを対象とする医療を変え、貧しい人々にも医療を行き渡らせるという目標を掲げ、1983年から活動を続けている。「高価な医療製品を安く作って、所得が低い人々でも買えるようにしたい。『世の中はお金だけではない』と世界に示すことが競争であり、それが人々に奉仕するということだ」と若者たちに訴えた。

 アショカの活動のキーワードは「Everyone A Changemaker」。つまり、誰もが変化を生み出せる人だということだ。社会に不満があり、何かを変えたいと思うのなら、まずは身近にある問題から取り組んでみよう。あきらめずに努力していればきっと、同じような気持ちを持った仲間に出会えるはず。人と人とが出会うことで社会は変わっていく。この世界を変えるきっかけは、あなた自身だ。

ビル・ドレイトン氏は、世界の変革者たちに問いかける。

 「How is the world different because you are here?」

 (あなたがいることで、この世界はどう変わるだろう?)

☆「アショカ」の名前の由来について

アショカの名前は紀元前3世紀にインド亜大陸を統一したアショカ王にちなんで名付けられています。アショカ王は暴力の払拭、社会福祉の向上、経済の成長に自分の生涯をささげました。彼はその創造性、寛容性、そしてグローバルな視点をもって社会改革に挑んだ歴史を先取りする社会変革者と言えます(アショカ・ジャパンホームページより)

[アソシエイトニュースエディター 千代明弘]

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 ソーシャルメディア時代が到来、これまで散在していたひとりひとりの声をつなげ、ボトムアップで政治や社会をよりよい方向に変えてゆこうとしている人たちが登場しています。ハフィントン・ポスト日本版では、連載「変えるのは、あなただ」で、そうした人たちとその活動を紹介します。連載「変えるのは、あなただ」はこちらからお読み頂けます。