白い砂浜に鮮やかな青い海。ヴィヴィッドな色彩豊かな建物に、笑顔がたえない楽園。それが、沖縄だ。
この楽園に訪れる観光客は増え続け、2015年は初の700万人に達した。今後はテーマパークの進出も決定しており、経済成長は著しい。しかし「このままだとヤバいでしょうね」と語る人がいる。NPO法人「地球友の会 沖縄協会」代表の新川大蔵さんだ。
知っていたのは、"整備されたビーチ"だった
「地球友の会 沖縄協会」代表 新川大蔵さん(36)
新川さんは、「地球友の会沖縄協会」代表を務めながら、飲食店の経営やイベント企画制作業など地元沖縄で活躍するリーダーの1人だ。東京の大学に通い、エンターテインメント会社に就職。華やかな仕事をこなしていたが、過労によって身体を壊してしまう。肺に穴が開いたのだ。ボロボロになった心身を癒やすため沖縄に戻ってきた際"ある発見"をし、人生の舵を切ることとなる。
「気分転換に毎日海へ行って潮風にあたりました。癒やしというか。でも、その時にふと浜辺にゴミが落ちているのを見つけたんです。それまでは全く気が付かなかった。自分が恩を受けている海が汚いぞと」
一度気が付くと、浜辺の多くがゴミで汚れているように見えてきたという。それまで、海は海水浴やバーベキューをするレジャーの場所と認識していた。しかし、自分が海だと思っていたのは「管理されているビーチ」だったのだ。沖縄で生まれ育ったにも関わらず。
「ずっと身近にあったのに、海を全然知らなかったんです。本当の海は、岩がゴツゴツしていて生物がいっぱいいてゴミもたくさんある。このことに気付いてから、無我夢中で沖縄中の海を歩きまわりました。漂着ゴミもあれば不法投棄もある。沖縄の海って全然きれいじゃないって愕然としましたね」
「沖縄には御嶽(うたき)という琉球王国からの信仰の場が残っています。うるま市にある御嶽に行った時に見つけたのが、不法投棄された業務用バッテリーでした。それも20個。信じられます? 人が手を合わせる聖域ですよ。撤去しようと思って市に問い合わせたら『不法投棄だからそのままにしてください』と言われました。その後、何回もアプローチしたんですけど、『ほっとけ』と言われ続けました」
捨てられていたバッテリー
「他にも、世界遺産になった中城城(なかぐすくじょう)では数十本分の空き瓶を見つけました。それは僕らが小さい時......20年くらい前のものでした。地元の人間が放置していた生活ゴミなわけです。全部拾って管理事務所へ『世界遺産になったのだから、しっかり管理しないと』って言いに行きました。そうしたら『最近来る観光客が捨てていくんですよね』と。何十年も前のものなのに。沖縄の人たちがそういうスタンスじゃ、ダメでしょ」
中城城跡。2000年に世界遺産に登録された。
郷土を愛する想いはないのだろうか? 「ないわけではないが、ありがたみに慣れきってしまったのではないか」と新川さんは言う。加えて身近で起きているシリアスな問題を直視しない雰囲気が漂っているのだそうだ。四方を海に囲まれた環境で不和はもたらしたくない――閉じた感覚は、人に思考停止をもたらす。異なった思考は、異分子とみなされ、迫害の対象になるからだ。
一度、島から出て行ったからこそ、新川さんの眼には沖縄のある種の危機的状況が見えたのだろう。ゆっくりと何かが衰退していく流れを食い止めようと、2008年に「地球友の会沖縄協会」を立ち上げた。
「ビーチクリーニング? 内地に行った人の発想よね」
「沖縄でNPO活動するのは難しかった」。新川さんはそう語る。沖縄に帰って来た当初、ゴミ拾いやボランティアをする前例がほとんどなかった。今でこそ、地域のために無償でクリーンアップ作業をするのは「いいこと」だと推奨される。しかし、その発想がなかったら状況は違うかもしれない。「この人はお金ももらえないのに何をしているのだろう?」といぶかしい眼を向けてしまう可能性だってある。新しさを受け入れないとは、そういうことだ。
「設立した当初は本当に苦労しましたね。企業や役所......色んな所に足を運びました。でもNPOという概念がそもそも認識されておらず、『地球友の会』の説明をすると、怪しい団体に見られることが多かったですね。『内地の人の考えだ』と言われたこともありました。沖縄は島国の中の島国なので、閉鎖的。新しいものに対してアレルギーを起こすんです。あと、一回東京に行った人間に対しても拒絶反応みたいなものがありました。だって、そんな人間、異分子だから」
そんな故郷に対して、嫌悪感を抱いた時期もあった。沖縄は居住者も増加傾向にある。新しい住民と上手く共存しなければ、その土地の将来は厳しいだろう。だからこそ新川さんは「今こそ沖縄の人の意識を変えなければ」と、異分子として活動を続けているのだ。
「何かあれば文句を言って、新しい動きを拒絶して、長いものに巻かれる風潮にムカついたんですよ。だから色んなものに振りまわされる。ゴミの問題だけじゃない。翻弄され続けてきた歴史は1609年の薩摩侵攻、1897年の琉球処分、1945年の戦争。最近だってそう」と語る新川さんの言葉は重い。
人の心を動かすのは、どんな言葉よりも「結果」
最初は1人で動くほかなかった――。国際通りで清掃活動をしていると「あいつゴミ拾ってるよ、大丈夫か?」と冷たい視線を感じたこともあったという。しかし、もともと沖縄出身。国際通りに友人がたくさんいた。新川さんの本気な姿を見て、次第に「俺もやるわ」と仲間が増えていったそうだ。
ビーチクリーニングの様子
「僕って髪は長いし喧嘩腰だし、見てくれで判断されることも多いんですね。でも、人って外見だけじゃないじゃないですか。やんちゃな大人が、慈善活動してもいいんじゃないの?って。そういう先輩がいたら、若い子たちもポジティブな気持ちになると思うんです。沖縄は、貧困率や学力問題とか問題を抱えている子が多い。そういう子たちに、自分の背中を見せて『レッテルなんて無視しろ! 他人の目で価値を決めるんじゃねぇ』って伝えられたらなと」
こうして友人の輪が広がり、地元の高校生なども新川さんの後に続くようになった。「最初は冷たい目で見られても『やり続けたら勝ちだろ』と思っていたので」と言うように、継続することで人の心を変えてきたのだ。閉塞感のある島は少しずつ開けてきたのかもしれない。
その1つがトヨタのハイブリッドカーAQUAが展開しているAQUA SOCIAL FES!!(以下ASF)だ。これは、全国各地で開催されているエコイベントとして2012年から始まった。新川さんがオーガナイズする沖縄のASFは、1度の参加人数は500人と最大規模を誇る。たった1人で始めた清掃活動がここまで拡大したのだ。今では、ビーチクリーニングは沖縄で1つのムーブメントになっている。
7月21日に開催されたASF 。45リットルのゴミ袋1000個分のゴミを集めた。
人種国籍なんて関係ない
新川さんの仲間は、沖縄出身の人だけではない。
「北谷町(ちゃたんちょう)で174人の海兵隊とビーチクリーニングしたこともあります。赴任している隊員たちが社会貢献活動をする団体のシングル・マリン・プログラムに企画を持ち込んで。しんどい作業なので文句を言う奴もいました。身体は僕より大きいし、言葉も通じないけれど、『ここは俺がボスなんだ。言うこと聞かないなら帰れ』って本気で迫ると、ちゃんとわかってくれるんですよね。真っ直ぐ向かっていけば言葉とか関係ないんですよ。それに、清掃活動の目的は、自分たちがいる場所を守っていこうっていう意識を持ってもらえばいいので。人種国籍なんて関係ない。色分けしていくのがナンセンス。一緒にこの島に住んでいるんだから」
「沖縄には韓国、中国、ヨーロッパ、東南アジアのものまでたくさんの漂着ゴミが流れてきます。でもそれって、世界は1つ『海』でつながっている証しなんですよ。だから何かで隔てるのはおかしい」
沖縄は海で囲まれた島国。だからこそ異分子を排除する閉鎖性もある。しかし海はもっと広い世界への扉でもある。閉じているようで、開けた楽園。それが沖縄なのかもしれない。
「沖縄はかつて琉球国という小国でした。小さいながらも、日本をはじめアジア各国と対等に貿易をして繁栄を築いた。それが可能だったのは、やっぱり海で世界とつながっていたから。島の外の世界と結びついた結果が、鮮やかな琉球文化なんです。他者のすべてを受け入れて、自分たちのカラーにしていく。沖縄はもともとグローバルな場所だったんです。歴史の中でこじれてしまったけれど、沖縄には琉球のDNAが宿っている。だから、自分は喧嘩しながらも、誇りを持ってその可能性に懸けていきたいですね。琉球アイデンティティを取り戻したい」
かつて広い世界を夢見て島を出た青年は、琉球の血をもとに、閉じた故郷をどう変えていくのだろうか。きっとその先にあるのは、海を臨む広大な新世界に違いない。
(写真撮影:西田香織)
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