闇に葬られた「オウム・北朝鮮」の関係:サリン製造技術から警察庁長官狙撃事件まで--春名幹男

実は、米議会・情報機関および民間団体の方がよほど徹底的な調査活動を行ってきた。
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時事通信社

「多国籍の宗派」――オウム真理教の元代表、松本智津夫(麻原彰晃=63)ら7人の処刑を伝えた米紙『ニューヨーク・タイムズ』国際版は、このカルト集団のことをそう形容した。

 この組織は世界各地で活動していた。ロシアで武器調達、オーストラリアでウラン鉱入手を図り、米国ではヘリコプター操縦免許の取得など。その他ドイツ、台湾、スリランカ、旧ユーゴスラビアなどでも危険な動きをしていた。しかし日本の法執行機関が、こうした国際的活動の解明に努めた形跡は見られない。

「坂本堤弁護士一家」事件で3人を殺害、「松本サリン事件」で8人殺害、「地下鉄サリン事件」で13人殺害・6000人以上負傷という残忍な犯行に対して彼らの刑事責任を追及し、有罪判決を得たら、警察・検察の法執行機関としての仕事は終わる。しかしそれでは、国家の治安を維持し、今後の危機に備える情報を残したとは言えない。

 その上、幹部の死刑を執行し彼らを葬れば、真実は永久に失われてしまうだろう。

 実は、米議会・情報機関および民間団体の方がよほど徹底的な調査活動を行ってきた。

 米議会上院政府活動委員会(当時)調査小委員会は米中央情報局(CIA)など情報機関の専門家らの応援も得て、2000ページを超える計3冊の報告書をまとめた。米民間シンクタンクの中にも興味深い報告書を作成した機関がある。

 しかし、これら米国の調査でもいまだに盲点になっているのは、オウム真理教と北朝鮮との関係だ。日本の公安関係者らから取材した情報を交えながら、オウムの"闇"を追ってみたい。

ナチス・ドイツの製造方法

 地下鉄サリン事件のあと、日本の法執行機関に米陸軍情報部から依頼が舞い込んだ、と公安関係者は言う。地下鉄サリン事件の際、現場で採取されたサリンのサンプルがほしい、というのだ。

 しかし、法執行機関が裁判に備えて「証拠」として保管してきたものを外国情報機関に提供することはできず、断ったという。

 米陸軍情報部は北朝鮮が絡んでいた可能性に注目したらしい。オウムが製造したサリンに混ざったごく少量の不純物を調査して、製造過程を分析しようと考えたと見られる。

 ただ、オウムでの製造方法については、専門家の間で、旧ソ連・ロシア由来の方法、との見方が一般的だった。だが、上九一色村(当時)の教団施設で文献を参考に実験を重ねた土谷正実死刑囚(53)=死刑執行=はこれを否定していたという。

 米シンクタンク「新米国安全保障センター(CNAS)」は、オウムでの製造工程から見て、ナチス・ドイツが行った有機リン化合物の合成方式を基にした製造法、との結論を出している。CNASが2011年7月に発表した報告書「オウム真理教への洞察:テロ組織はいかにして生物・化学兵器を開発したか」で指摘している。

 CNASは、松本死刑囚の主治医で「法皇内庁」のトップを兼ねていた中川智正死刑囚(55)=死刑執行=からCNASのリチャード・ダンジグ理事長に送られてきた手紙の中に挿入されていたサリン製造装置の略図などを参考にしたようだ。

村井秀夫刺殺事件

 オウム真理教と北朝鮮との関係を指摘する情報はいくつか指摘されてきた。

 例えば、麻原の下で事実上のナンバー2として、「サリン70トンの製造」といった命令を土谷正実に伝えていた村井秀夫幹部の刺殺事件だ。

 この事件は、地下鉄サリン事件翌月の1995年4月23日、東京・南青山の教団総本部の前で、在日韓国人の男が衆人環視の中で実行した。本人は義憤にかられた犯行と自供したと伝えられたが、動機が分かりにくいとする見方が強かった。これについて、当時の公安関係者は、犯行の前夜、犯人の男が都内のある飲み屋で酒を飲んでいたとの情報を漏らしている。

 この飲み屋の経営者は北朝鮮系の女性で、拉致事件にも関わっていた辛光洙(シン・グァンス)元死刑囚(現在北朝鮮在住)の「ハウスキーパー(男性の工作員と一緒に生活する女性)」をしていた女性の妹だったという。

 しかし、北朝鮮との関係はこれ以上突き止められなかった、と公安関係者は言う。

國松長官狙撃事件現場にあった証拠

 地下鉄サリン事件の10日後の3月30日、当時の國松孝次警察庁長官が出勤しようと東京・南千住のマンションを出た瞬間、銃撃された事件には、直接的に北朝鮮との関連を示す証拠があった。

 この事件では当初、オウム信者で警視庁の「現職警官の犯行」との情報がマスコミに流れたが、警視庁がこの元巡査長を殺人未遂容疑などで逮捕したのは、9年後の2004年のことだった。しかし、逮捕された彼と元信者ら計4人は嫌疑不十分で不起訴となった。

 問題は、2010年3月30日、時効が成立し、事件が迷宮入りした翌日から30日間にわたって、警視庁がホームページにそれまでの捜査内容をまとめた文書と現場遺留品の写真を掲載したことだ。

 その遺留品には、ハングルで「朝鮮人民軍」と書かれたバッジや韓国の10ウォン硬貨などがあった。また現場で見つかった弾丸は、先端をくぼませ殺傷力を高めたホローポイント型マグナム弾といわれ、この弾を発射可能な米コルト社製パイソンなど銃身の長い銃は、国内の暴力団ルートなどでは容易に入手できないものだったといわれる。

 警視庁捜査員の間では「オウム以外の組織的背景を持つ団体の犯行と見せかけ、捜査をかく乱させるための工作」との見方が強かったというが、そう単純に判断できるだろうか。

 北朝鮮とオウムの間に何らかの秘密の協力関係があったのか、なかったのか。徹底捜査する必要はあったはずだ。オウムは国家転覆を企てていたのだから。

 捜査機関でできなかったのであれば、インテリジェンス機関が歴史的責任を果たす役割は大きかったのではないか。

 そうしたトップシークレットの情報を知っていた可能性がある、村井秀夫と麻原彰晃、さらに北朝鮮への渡航情報も伝えられていた早川紀代秀死刑囚(68)はいずれももうこの世にいない。(春名幹男)

春名幹男 1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。

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(2018年7月10日
より転載)