芸術分野における人材育成 ―― 専門性と複合性

今回は、多摩美術大学学長の建畠晢氏に執筆いただきました。

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムをご紹介します。

今回は、多摩美術大学学長の建畠晢氏に執筆いただきました。

(以下、2018年9月13日アーツカウンシル東京「コラム&インタビュー」より転載)

芸術分野における人材の育成といえば、一昔前までは何はさておきアーティストの道を目ざす者への教育のことであって、ここで取り上げるような芸術活動と社会とをつなぐ人材の重要性がいわれるようになってからはまだ日が浅いし、その育成の方法も手探りの段階であって、制度的に整備されているとは言い難い状況にある。それに一口に人材育成といっても、仕事の幅は極めて多岐にわたっていて、思いつくままに挙げてみても、アート・アドミニストレーター、アート・コーディネーター、アート・ドキュメンタリト、アート・アーキヴィスト、アート・セラピストなどといったカタカナ職業があり、またアーティスト・イン・レジデンス、アーツ・カウンシル、企業メセナ、さらにはアート・オークションやアート・フェアなど、アーティストの活動の支援やアートと市場を直接に結び付ける仕事も増えてきてはいる。私自身、それらの職掌の範囲を明確に把握できているわけではないのだが、いずれも現場での経験を必要とする専門職であるには違いない。

こうした近年、関心を集めつつある仕事の中でも、もっとも華やかなポジションは各地で開かれるようになった国際現代芸術展(以下、国際展と記す)の芸術監督であろう。通例、芸術監督に指名されるのはベテランのミュージアム・キュレイターやインディペンデント・キュレイターであり、かくいう私もその末席に名を連ねてきた一人である。しかし興味深いのは最近の国際展で目に付くのはキュレイター以外からの芸術監督の起用であって、たとえばあいちトリエンナーレでは建築評論家の五十嵐太郎、写真家でエッセイストの港千尋、ジャーナリストの津田大介と三代続けて美術とは異なったジャンルの人材が選ばれ、札幌国際芸術祭でも坂本龍一、大友良英と二代続けて音楽家が起用されている。また、横浜トリエンナーレのように美術家(川俣正と森村泰昌)が芸術監督に立った例もある。次回(2020年)のさいたま国際芸術祭では、若手の映画監督の遠山昇司が選任されている。

国際展の芸術監督こそ豊富な経験が重んじられなければならないはずなのに、なぜこのような経験を度外視した人選が続けてなされ、結果的にもベテランのキュレイターに勝るとも劣らない成果を上げえてきたのだろうか。もちろん彼らの脇を何人もの国内外の国際展の経験のあるアシスタント・キュレイターが固め、実務をサポートしていたということはある。芸術監督に委ねられるのは基本的なコンセプトの作成や出品アーティストの決定といった大枠の仕事であって、それを展示に落とし込むのは、国際展のような壮大な規模の事業では、大勢の共同作業たらざるを得ないのも事実である。だが、それにしても広い意味でのアートに対する見識とリーダーシップがあれば、専門的なノウハウはなくても芸術監督は務まるということなのだろうか。

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あいちトリエンナーレ2010の展示風景 池田亮司《spectra[nagoya]》と名古屋城
(提供:あいちトリエンナーレ実行委員会)

答えはイエスでありノーでもある。上記のような人たちを選考するに当たっては、それぞれの専門分野における卓越した業績から類推される優れたビジョンへの期待があったに違いないが、正直なところ、任せて安心のベテランのキュレイターたちばかりを選んだのではどれも同工異曲の企画になり、国際展のクリシェを踏襲するだけの展覧会になってしまいかねないという懸念が、専門職以外からの人材登用の背景をなしていたのではないかと私には思われるのだ。

それはそれで意味のある考えではある。国際展や展覧会もまた"メディア"であるとするなら、そのメディア・リテラシーは専門家が用意してくれた内容に即せばいいというものではない。リテラシーとはむしろ批評的な読解力なのであって、美術なら美術の現状を新たな発想で読み解く眼差しを、他ならぬ芸術監督自身の目に託そうということなのだ。現代美術の専門家は、国際展の企画に当たっては、なるべく多くの未知の才能を発掘しようとするだろう。言い換えるなら、現状に知悉(ちしつ)しているがゆえに、かえって直近の展覧会との差異を強調しようとする大きなバイアスがかかってしまい、自転車操業のようなそのことの繰り返しが、方論的なクリシェをなすという逆説に陥りがちなのである。外部の人材はそのようなバイアスからは自由でいられるというわけだ。

ではなぜノーでもありうるのか。それは専門外の目もまた別の意味でのクリシェに陥ることがなくはないからである。彼らは(良くも悪くも)経験的な知識が少ないがゆえに、実際に触れえた限られた情報を現状の公約数と見なしがちである。それを支持するにせよ退けるにせよ、全体状況を把握しないままの判断になってしまいかねないのだ。たとえば美術の現状はポリティカルな「メッセージ・アート」が氾濫しているということもできるし、逆にフォーマルな思考が復権してきていると見ることもできるのだが、そのようなアンビギュイアスな状況は、かなりの期間、継続的に現場を見ていなければ判断しにくいのであって、そうでない場合、ともすればどちらかの傾向だけに目がいってしまうことになる。

さて本題に戻ろう。国際展の芸術監督は専門職であるべきなのか、専門外の人材を起用すべきなのかというのは二者択一的な問題ではない。どちらにも可能性と限界があるのだが、しかし芸術にかかわる人材育成のジレンマの解消に関しては、留意すべき視点を提供してくれるように思う。

端的にいおう。あるジャンルの専門家を育成するには、そのプロセスにおいて出来る限り他のジャンルのイベントのキュレイションなりプロデュースなりを、短期間であっても経験させておくことが望ましいのだ。私はこれまでに美術に加えて映像とパフィーミング・アーツのイベントの現場にも参画しえたことは、視野を広げると同時にジャンルの流動性や境界領域こそがアートの状況を活性化させるということを体験的に知りえたという点で貴重な機会であった。

目下私が非常勤の館長をしている京都芸術センターは、小規模ながら先端的なアートから伝統芸能までをレパートリーとしている文化施設で、国際的なアート・イン・レジデンスを運営してもいるが、その重要な役割の一つはアート・コーディネーターを養成することにある。3年間の任期で7名ほどの新人を採用し、一応、各自の専門性を決めてはいるものの、それには縛られずにいきなり未経験のジャンルのイベントの現場に放り込む。企画の提案もしてもらう。先輩が付いてはいるものの、育成のシステムもへったくれもない。それなのに誰もが驚くほどのバイタリティーを発揮し、たちどころに成長していく姿を目の当たりにするのは、優れたアーティストたちと組んだ現場経験こそが、もっともよいコーディネーターの育成法であることを証していよう。

若き日に多様なジャンルを経験するのは、それぞれの専門性を深めることと必ずしも抵触するものではあるまい。それはジレンマのように思われるかもしれないが、視野を相対化することで、長い目で見れば自らの専門領域の可能性をより開かれたものにしてくれるはずなのである。

そういえば国際展や美術館の世界でも、最近、ジャンル複合的な性格を有するものが出てきている。次世代の柔軟な発想をもつ"専門家"たちが、スーパー芸術監督として羽ばたく日を楽しみに待ちたい。

建畠晢(たてはた あきら)

多摩美術大学学長

1947年京都市生まれ、1972年早稲田大学文学部仏文学科卒業。専門は近現代美術。

2005年から2011年まで国立国際美術館館長、2011年から2015年まで京都市立芸術大学学長、2011年から埼玉県立近代美術館館長、2015年から多摩美術大学学長及び京都芸術センター館長。2017年には、草間彌生美術館長にも就任。このほか、「ヴェネチア・ビエンナーレ」日本館コミッショナー(1990年及び1993年)、「横浜トリエンナーレ2001」アーティスティック・ディレクター、「あいちトリエンナーレ2010」芸術監督など、多くの国際美術展を組織し、アジアの近現代美術の企画にも多数参画。

詩人としても活動し、『余白のランナー(第2回歴程新鋭賞受賞)』(1991年)、『問いなき回答 オブジェと彫刻』(1998年)、『未完の過去 絵画とモダニズム』(2000年)、詩集『零度の犬(第35回高見順賞受賞)』(2004年)、エッセイ集『ダブリンの緑』(2005年)、詩集『死語のレッスン(第21回萩原朔太郎賞受賞)』(2013 年)など、著作も多い。

(2018年9月13日アーツカウンシル東京「コラム&インタビュー」より転載)