お笑い業界には、レジェンドと呼ばれる大物たちがいる。BIG3と呼ばれるビートたけし、タモリ、明石家さんま。その下の世代では、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンらがそれに該当するだろう。次世代のBIG3が誰なのか僕にはわからないが、その最右翼に現在、有吉弘行がいることは間違いないだろう。なぜ彼はここまでの支持を獲得したのだろうか。
有吉が芸人として最も輝く瞬間は、主に共演者に対して、時には時流に対して毒を吐くときだ。ただ、「毒舌の司会者」というのが有吉の現在の地位であるなら、2011年に芸能界を引退した島田紳助などもそこに該当するではないか。実際、有吉が「異端のひな壇芸人」から「メインMC」へステップアップした時期と、紳助の引退の時期は微妙に重なる。毒舌司会者を欲したテレビが有吉という逸材に頼ったところが大きいのではないか。
では、有吉の毒舌は紳助の毒舌と何が違うのか。それは、有吉の即興性だろう。有吉の芸風は音楽でたとえるならヒップホップのMCバトルのラッパーのようなものである。紳助の毒舌が、「特定のタレントをイジるよくできたネタ」なら、有吉は「ネタ」を持たず、優れた批評性を持って目の前のタレントを即興でイジる。改めて用意しておいた台本を感じさせない、いわばドキュメンタリー性を持った笑いに人々は魅了されるわけだ。ネタを持たないだけに毎回爆笑が起こるとは限らないが、逆に次に何を言うのかわからない面白さを秘めている。それはとてもテレビ的な瞬間芸だ。
ところで、あらためてお笑い界のレジェンドたちと有吉を並べた時、有吉の「ネタ」のイメージの少なさが際立つだつだろう。たとえば明石家さんまなら、トークの最中に離婚届にハンコを押す仕草で笑いを取る姿が目に浮かぶ。上の世代のレジェンドはすべて珠玉のネタを持っているが、有吉には決定的なネタがない。これはやはり往年の名曲を演奏する歌手たちと、その場でフロアの客を乗せるラッパーの違いによく似ている。彼には楽曲の完成度を期待はしていない。彼がマイクを取った瞬間、次に何を言うのかが聴衆は知りたいのだ。
有吉はまた、複雑に絡み合った芸能界をあけすけにお茶の間に伝える解説者でもある。その真骨頂が「あだ名芸」で、なんだかよくわからない下駄を履かされたタレントの本質を、あだ名を付けることによって丸裸にし、わかりやすく解説する。たとえば、爆笑問題や浅草キッドなど、芸能界・お笑い界の解説者的な存在はいたが、彼らがインテリ・オタク向けに射程を捉えたのに対し、有吉はバカにもわかりやすく解説した。いわば芸能の世界の池上彰のような存在だ。
予定調和に疑心暗鬼を覚え、とにかく誰かに解説してもらいたい願望を持った現代のニーズに有吉はぴったりハマっている。有吉は不安な時代における救世主だ。
有吉の魅力は様々なお笑いマニアが語っているので、文末にいくつかリンクを貼っておくのでそれらの解説を見ていただくとして、最後に有吉が象徴する最大の武器を挙げて締めよう。それは笑顔だ。あんなに老若男女に愛される笑顔を持った芸人を、そう多くは知らない。不安な世の中は今、有吉の笑顔を欲している。
有吉の“どん底時代”とは何か? 「ミニ有吉弘行年表」(テレビのスキマ)
有吉弘行が手にした「毒舌の免罪符」(日刊サイゾー、この芸人を見よ!)
(2014年6月1日「Yahoo!個人」より転載)