「政治家になりたい」という夢を持ち、大学の法学部政治学科に進学した斎木陽平さん。政治を学ぶかたわら18歳で起業した理由や、「全国高校生未来会議」の共同発起人の一人として様々な批判を受けてきた経緯なども含め、斎木さんが目指すこれからをお聞きしました。
■政治家になるために、まずは手に職を付けた
―政治や社会に関心を持ったきっかけを教えてください。
家族のご縁で安倍晋三さんとは子どものころからお付き合いがあり、身近な存在でした。そんな人が小泉政権で幹事長や官房長官、そして2006年には総理になって、という姿を思春期の多感な時期に目の当たりにしました。当時の僕みたいな中学生でも「小泉劇場」と呼ばれた政治手法は面白くうつったし、自分でも校則の自由化を訴えて生徒会長に立候補したりもしました。
それで政治の本をたくさん読んで、将来は政治家になりたいと思うようになり、大学はAO(アドミッションズ・オフィス)入試で慶應義塾大学法学部の政治学科を選びました。
受験するにあたって「政治って何だろう」と問い直してみたんですが、政治の果たすべき役割はやっぱり弱い立場に立たされている人の救済ではないでしょうか。僕は医者の家に生まれて恵まれた生活をしていましたが、周囲を見渡せば道端にホームレスの人がいました。それって何か社会の構造的な問題があったり、その人自身のさまざまな不遇が重なったりしているケースが多いと思うんです。
だからこそ社会的弱者として追いやられている人たちに、手を差し伸べていくのが政治なのではないか、と。こういう考えを持ったのは、小中高とキリスト教系の学校に通っていたことも影響していると思っています。
―大学生になってから起業されたのはどうしてですか?
慶応では、総合政策学部(湘南藤沢キャンパス、SFC)か、法学部に出願するか悩みました。それで自分が総理大臣になったことを想定して作っていたマニフェストを添付して「自分は将来、政治家になりたいんだけれども...」といった内容のメールを双方の先生にぶつけてみたんです。
そうするとSFCの上山信一専任教授から思いのほか丁寧な返信をもらいました。マニフェストの内容については、大筋でほめてもらったと思いますが、「最も重要なことは、これを実現できる政治家になれるかどうか」だと言われたんですね。そのポイントとなるのが「手に職をつけること」、「政治家という職業を生業にしないこと」だと。
つまり手に職を付けていれば利益誘導に乗らず、自分が取り組む政策に没頭できる。これからの政治家には、それが一番求められることなので、まずは手に職を付けなさい、ということでした。その後、僕は結局、法学部に進みましたが、上山先生のこのアドバイスにはいたく感銘を受けました。それで自分なら何のビジネスができるだろうと考えた結果、AO入試専門の塾を作ろうと思いたったんです。
■高校生の声に背中を押してもらっている
-起業した後、一般社団法人「RE:VISION(リビジョン)」を立ち上げたのはどうしてですか?
リビジョンを作ったのは2013年の12月です。その年の夏に参院選があって、民主党(当時)の鈴木寛さんが落選したことが僕にとっては大きなショックでした。
いくら民主党への逆風など不利な条件があったとはいえ、あれだけ高校無償化などを推し進め、「コンクリートから人へ」のスローガンで若い人たちへの投資に対して熱心に取り組んでいた人が落選するなんて、ありえないって思ったんです。若い人たちのことも考えた政治でないと「今さえ良ければ」とか後ろ向きな発想になって、未来を見据えられないですよね。それでは持続可能な社会を作っていけないじゃないですか。
だからこそ若い人たちが政治にもっと関心をもって、ちゃんと投票に行かなければ自分たちの未来がなくなってしまうと思うんですが、実際の投票率はとても低い。その現状にすごく問題意識を感じて、じゃあ若い人たちの投票率をあげるにはどうしたらよいだろうか、となったときにまずは18歳選挙権の実現だと。それでリビジョンを立ち上げたんです。
―高校生たちと接する機会が多いと思いますが、18歳選挙権についてはどう感じていますか。
リビジョンの主要な活動は「高校生未来会議」の実施ですが、今年は全国47都道府県から2人ずつ参加してもらい、国会議員と"熟議"をしたり、地元の地域創生プランコンテストを行ったりしました。高校生未来会議に参加する人は、何かしら社会や政治に関心がある人たちで、自分の街に戻ってからも自発的、主体的に行動する若者が増えています。そこに18歳選挙権が始まり、「若者と政治」に注目が集まっているわけですから、これからも自分たちの声を政治の現場に届けていってほしいと思います。
一方で政治に関心のない若い人は18歳選挙権に戸惑いもあるはずです。そういった人たちに対してどうしたら良いのかは考えなければいけませんが、大人の投票率だって半分ぐらいしかないときもあるのですから、10代の投票率も温かく見守ってあげてほしいですね。
―今年の高校生未来会議については、ネット上でさまざまな声があったと聞いています。
熱意のある高校生に費用の負担なく参加してもらいたい、との願いから、参加者の交通費や宿泊費などを主催者側で負担しました。しかし僕が安倍首相と関わりがある人物ということで、ネット上ではいろいろな批判や憶測が飛び交って。費用についてはクラウドファンディングで集めて、足りない分は自分のポケットマネーで出しましたし、僕自身は与野党関係なく、いろいろな政治家の方たちと関わりがあるんです。でも一度、イメージが作られてしまうと、とにかく批判ばかりで。もう政治と関わりたくないと思うほど、正直、気持ちがなえたこともあります。
だけど参加した高校生たちは僕の本音や想いをくみ取ってくれたみたいで、後から感謝の言葉とか、自分もがんばらなきゃいけないと思ったとかメッセージをくれるんですね。その言葉を見て、逆に僕が高校生に背中を押されています。
■政治に求められるのは多様な議論と分かち合い
―ご自身のこれからの展望や目標について教えてください。
ずっと「政治家になりたい」と言ってきたので、人生のどこかのタイミングで挑戦することもあると思いますが、正直、先のことは分かりません。鈴木寛先生がよく言っていることですが、議員という立場でなくても社会を動かし、公のために行動する人はみんな、ある意味、政治家ですよね。なので、選挙に挑戦するとしたら、何か、これは議員でなければ取り組めない、というものが出てきたときだと思います。
―なるとすれば、どのような政治家になりたいと考えていますか?
少子高齢化が進んで格差も拡大し、社会保障の問題などで政治がとても難しい判断をしなければいけない場面が増えています。高度成長期で財源がどんどん増えているときなら、それをどう配分するか、だけを考えれば良かったんでしょうが今は違います。こっちにも、あっちにも財源が必要で、どちらを助けることも正義だというとき、どのように優先順位をつけて限られた財源を配分していくのか、究極の選択に直面することも多いでしょう。その難しい合意形成をはかるうえで、調整役となる政治家になれたらなと思っています。
正義って人それぞれ違いますし、多義的ですよね。なので、これが正しいと決めつけず、まずはじっくり丁寧に相手の立場を理解して、どう分かち合うのか、大いなる妥協をどう進めていくのか、というすり合わせをしっかりやっていきたいんです。これはグローバル化でいろいろな文化や宗教感が混在してくると、ますます難しくなってきます。今まで考えられなかったような技術の進歩もありますし、問題に直面するたび、一つ一つ議論しながら対応していくしかないと思っています。
―政治を志したきっかけとおっしゃっていた「弱者救済」という想いは今も変わりはありませんか?
僕自身も出産時の影響で手に障害があって、右手がうまく曲げられないんです。どうしてもロボットみたいな動きになってしまうので、ラジオ体操とかも難しくて。学校でいじめられて上履きが森に捨てられるとか、机が落書きされて廊下に出されているとかもあって、大げさなんですけど死にたいと思うほどつらい時期がありました。
そんなときに救いになったのは家族の存在で、とにかくいっぱい抱きしめて、大丈夫だからと励まし続けてくれました。つらい状態に置かれているときに、差し伸べられる温かい手、というもののありがたさはよく分かるので、今度は自分が困っている人に手を差し伸べる側にまわっていけたら、と願っています。
―今の政治に求められている政治家像はどのようなものだと思いますか?
理想は、当たり前なんですが、自分とは違う価値観を持っている人も思いやれる「優しさ」のある人ですよね。自分勝手ではいけなくて、自分の主張を他人に押し付けないような人でないとうまくいかないと思います。
でも一方で人間は合理的な考えをする生き物なので、やはり自分の味方とか、自分の利益にかなうことを主張するわけですよね。今の政治が問題なのは議員構成が偏っていて、多様な議論がなされていないこと。だからこそ、政治の場に若者や女性、性的マイノリティーの人、障害者など多様な人がいて、それぞれ自分の立場で意見を述べ、多様な議論ができるようになってほしいんです。
そのためには多様な人が選挙に出馬するしかなくて、何か主張したいことがあるなら「私には無理」と思わず選挙にチャレンジするのが大事ではないでしょうか。若い人も経験面では劣りますが、若いからこそ見える感性とか、未来を見据える力とかはあるので、どんどんチャレンジすべきだと思っています。
プロフィール
斎木陽平(さいき・ようへい)
1992年、福岡県北九州市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科へFIT・ AO入試で合格したのち、2011年にAO入試専門塾「AO義塾」を設立。また2013年には一般社団法人「RE:VISION(リビジョン)」も立ち上げた。大学卒業後、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻課程へ進学。2016年3月に卒業。